9話 シロイルカ
――あのまま帰る話の流れになってしまったが一日はまだ始まったばかりのため、お互いに心を落ち着かせた後は気を取り直して水族館内を見てまわった。
誰もが一度は聞いたことあるような名前の魚や、普通に生活していれば聞かないであろう珍しくコアな魚、ペンギンやホッキョクグマなど魚以外の生物。
俺もこころも水族館に来たことすらなかったため、初めて直に見る海の生物達にある種の感動のようなものを感じていた。
一通り館内を回った俺たちは、こころが「もう一度イルカを見たい」と言ったのでイルカが泳ぐ水槽へと足を運んでいた。
「イルカって客席から見た時はそれほど大きく感じなかったけど、近くで見るとこれだけ大きいんだな」
水槽の中で泳いでいるイルカを見つめながら、こころは感嘆の声を漏らす。
表情は変わらずとも、その瞳はいつもより輝きを増していた。
「やっぱり直に触れてみないと分からないことってたくさんあるよな。イルカショーもテレビで見たことはあったが、実際に生で見るとあれだけ迫力があったとは思わなかった」
迫力だけではない。
愛着というか、イルカに対する思い入れもテレビで見たときとは段違いだった。
ただ画面を一つ介しているだけでも伝わり方にこれほどの差があるとは。
「直に触れてみる……か」
俺が気持ち良さそうに泳いでいるイルカに見入っていると、こころに服の裾をクイクイと引っ張られる。
「どうした?」
「見て、白いイルカ」
こころが指差す方を見ると、そこには彼女の言う通り白いイルカが顔を出していた。
その近くには飼育員らしき人物と「ふれあいコーナー」と書かれた看板も立っている。
「シロイルカか。触れ合いができるみたいだな」
「触れ合えるのか?」
「あぁ。行ってみるか?」
「行くっ」
余程イルカがお気に召したらしい。
その上シロイルカだからか、興奮を頬に染めて瞳をキラキラと輝かせるこころがあどけなく、それはまるで小学生にも見えるほど可愛らしかった。
声を跳ねさせて答えたこころはスタターっと飼育員に駆け寄っていく。
……やばい、今日のこころはいつになく可愛いかもしれない。
心臓がバクバクと鳴り響いて落ち着かなかった。
「あの……!」
「ふれあいですか?」
声をかけられたことに気づいた飼育員は笑顔を浮かべてこころに問いかけるが、飼育員と目が合った瞬間にこころの勢いが止まってしまった。
どうやら他人と接したことで興奮が一気に冷めてしまったようだ。
「あの……えと……」
瞳を伏せてタジタジとするこころ。
このまま彼女を見守るのもよかったが、それだと彼女が流石に可哀想だったので俺も歩み寄って飼育員に声をかける。
「すみません。そこのシロイルカと触れ合うことってできますか?」
「できますよ。是非触ってみてください」
近づくことを促すようにシロイルカに手を向けた飼育員に「ありがとうございます」と礼を言うと、俺は再びこころに視線を戻した。
「ほら、触ってみようぜ」
「あっ、うん」
先程よりも若干顔の強張りが消えたものの、それでも緊張は消えていない様子。
加えて興奮はもう冷めたはずなのに、こころは再び頬をほんのりと染めていた。
そのままシロイルカに近づくと恐る恐る手を近づけて、頭にそっと手を乗せた。
「わっ、すべすべだ」
「本当か?」
こころの反応で我慢できなくなった俺は、こころの手の横に手を置きスライドさせてみる。
「すごい。気持ちいいな」
「あぁ」
「頭部は脂肪で出来ているので、もう少し強く触れても大丈夫ですよ」
「本当ですか?」
飼育員にそう言われては、試してみるほかなかった。
こころも同じことを思ったのか、二人して頭部の上で手を跳ねさせる。
「ぷにょぷにょしてるぞ!」
「本当だな」
横で子供のようにはしゃぐこころ。
興奮が最高潮に達しているのか口元には笑みが零れている。
イルカショーも偉大だったが、直接触れ合えるシロイルカはもっと偉大だった。
「もし良ければエサもあげてみませんか」
「やります!」
「ではこちらをどうぞ」
そう言って飼育員が手渡してきたのは一尾の魚だった。
「これは?」
「これは
「分かりましたっ」
ワクワクさせながら再びシロイルカの傍に向かったこころは「ほら、鯖だよ」と言って流し入れるようにエサを与えた。
エサをもらったシロイルカは頭を上下に動かす。
それはまるでこころにお礼を言っているようだった。
「わっ、食べた食べた!」
エサを食べたシロイルカも可愛かったが、それを見て拍手しているこころも可愛い。
同じように俺もエサを与えると、また二人でシロイルカの頭を触り始めた。
「可愛いな、留衣!」
そう言ってこころは俺に満面の笑みを見せてくれる。
その笑顔を見て頬を緩めた俺は「あぁ、そうだな」と返すのだった。
心の中で、お前の方が可愛いけどな、と付け足しながら。
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