7話 デートのお誘い

 大きなため息をつく。


 いや、こうなることは分かっていた。

 そりゃあまともに勉強をしていないのだからこの順位になるのも致し方ない。


「でもなぁ……」

「どうした?」


 帰路を辿りながら肩を落としていると、隣からこころの声が聞こえてきた。

 振り向く気力すら湧かなかったので、俺は頭を下げたまま声を上げる。


「お前、テストの順位は?」

「一位だな」

「相変わらず凄いよなぁ」

「別にそうでもない。それこそ留衣は?」

「……聞かないでくれ」


 平均点三十の奴がいい結果になるわけがなかった。

 口に出すことだけは勘弁してくれ。


「ちゃんと勉強しないからそんな結果になるんだぞ」

「そんなこと分かってるよ……」


 でもしょうがないじゃないか。

 勉強など進んでやる気になれるわけがない。

 正直なところ俺は何事もなく学校に通って卒業出来ればそれでいいと思っているので、テストの点数も最低限取れればよかった。


 ……まぁ、今回はその最低限も取れていないからこうして落ち込んでいるのだが。


「もう過ぎたことでくよくよしてても何にもならないぞ」

「そうだけどさぁ……」


 そろそろ本気で危機感を持たなければならないのかもしれない。

 定期テストがこの調子だったら単位が足りるかも分からないし、もし足りなければ何事もなく学校に通うことすら出来なくなってしまう。


 それだけはなんとしても避けなければならない。

 ……けど、いまいちやる気がなぁ。

 これさえなんとかなってくれたら俺の学校生活は御の字なんだが。


「ほら、遊びに誘ってやるから元気出せ」

「遊びに……?」


 ゆっくりと振り向けば、彼女は縦長の紙を手に持ってひらひらとさせていた。


「それは?」

「水族館のチケットだ。買い物をしたら福引券を貰ってな。それで当てたんだ」

「水族館のチケットも福引の景品になってることあるんだな」


 旅行の宿泊チケットとかならよく聞くが、水族館のチケットは聞いたことがなかった。


「まぁそういうことだから、今度の休みにでも一緒にいかないか?」

「……でもそれ、一枚しかないぞ?」


 こころが持っているチケットの枚数はどう見ても一枚にしか見えなかった。

 だが、二人で入館するとなったらチケットは二枚必要だろう。

 それなのに俺を誘ってきたのか?


 疑問に思っていると、こころは視線を彷徨わせながら小さな声で言った。


「……ほら、ああいうところは一人じゃ行きづらいだろ。だから、留衣についてきてほしくて」

「確かに、その気持ちは分かるかもしれない」


 今は夏だ。

 涼むことも出来る水族館は、他の季節よりも家族連れやカップルが多い時期だろう。

 そんな中一人で水族館の中を歩くとなれば、それなりの度胸がいる。

 故に、彼女の行きづらい気持ちがすんなりと俺に伝わってきた。


「そ、それに……」


 まだ何かあるのかと思えば、彼女は急に立ち止まる。

 相変わらず表情は変わらないが、体を捩る仕草と赤くなっている頬から彼女が恥ずかしがっているのだと分かった。

 そのせいで、俺の心臓も否応なしに早くなってしまう。


「それに、なんだ?」

「それに……水族館に行くんだったら、留衣と一緒に行きたかったし」


 ノックアウト。

 もう可愛すぎた。

 幼馴染がなんだとか関係なく、ただただ恥じらいながらそんなことを言うこころが可愛かった。


「……じゃあ、一緒に行こう」

「っ――!」


 息を呑んで目を見開いたこころは、「あ、あぁ」とぎこちなく零すのだった。



         ◆



「――ごめん、待たせたか?」


 荒く息をつく。


 彼女を待たせないようにと早めに部屋を出たつもりだったが、どうやら彼女は俺よりももっと早く部屋を出ていたらしい。

 集合時間の十分前に待ち合わせ場所に着いた俺は、遠目にこころを見つけて走ってきていた。


 日頃から運動をしていないと、ちょっと走っただけでもすぐに息切れしてしまう。

 少し体力つけないとダメか……。


「いや、待ってないぞ。私も今来たところだから」

「本当か?」

「わざわざ嘘をつく必要もない。それよりも、ほら」


 こころは俺の問い詰めを上手く躱すと、チケットを手渡してきた。


「せっかく付き合ってもらうんだから、これは留衣が使ってくれ」

「何言ってるんだよ。それはお前が当てたんだろ? 俺は大丈夫だからお前が使えよ」

「それだと留衣に申し訳ない」

「別にそんな思いしなくたっていい。というか、仮にこのチケットを俺が使ったとしてお前には入館料を払う余裕があるのか?」

「っ……そ、それは……」


 俺は知っている。

 こころが日々の生活で食いつなぐためにバイトをしていることと、それでも毎日カツカツな思いをしていることを。


 彼女は生きることに必死だ。

 趣味や娯楽に当てる金なんてあったものじゃない。

 だからこそ俺はチケットを彼女に使ってほしかった。


「無理して俺に気を遣う必要はない。幼馴染だろ?」

「幼馴染だからだよ。幼馴染だから、気を遣うんだ」


 表情に影を落とすこころ。

 彼女の気持ちも、分からないでもなかった。

 きっと俺が彼女の立場だったら、俺も彼女と同じ行動をしていたはずだ。

 でも……。


「俺は、変に気を遣われる方が嫌だな」

「えっ?」


 目を見開くこころに、俺は微笑んで見せる。


「いつもの威勢のいいこころはどこにいったんだよ。俺の幼馴染は、そんな変に気を遣う奴じゃないぞ」

「留衣……」


 瞳を揺らすこころに、俺は手渡されたチケットを返す。


「お前が使ってくれよ。そうしてくれた方が、俺も嬉しい」

「……いいのか?」

「いいも何も、それはお前のものだ。俺が許可するまでもない」


 こころに入館料を払わせて、後腐れもなく水族館を楽しんでもらってもよかったのかもしれない。

 でも、それで後々苦しむのはこころだった。

 こころが苦しむ姿を俺は見たくない。

 だから俺は、こころにチケットを使ってもらうことを決めた。


 こころは返されたチケットに視線を落として胸に押し当てたあと、口元に小さな弧を描く。


「ありがとう」

「っ! ……おう」


 久々に笑ったこころが見られた。

 それだけで、俺はたまらなく嬉しかった。


 彼女の顔に笑顔が浮かんだことを胸の中で噛み締めていると、途端に彼女は笑みをいやらしくした。


「その調子じゃあ、テストのことからも立ち直れているみたいだな」

「お、思い出させるなよ……」


 眉をひそめる俺を見てくすくすと笑いを零すこころ。

 彼女もすっかり立ち直れているようでよかった。


「それじゃあ、そろそろ行こう。もう少しでイルカショーも始まるみたいだぞ」

「おっ、じゃあまずはそこからだな」

「うん!」


 嬉しそうに笑みを浮かべて意気揚々と歩き出す彼女の背を見ながら、俺も後を追うのだった。

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