4話 あーん

「――そういえば、昼飯まだなんだよな」


 こころに制服の裾を離してもらった俺は、地べたに胡座をかきながらふと呟く。


 事が一段落ついたからか、深く息をつくようにお腹が鳴った。

 感情が顔に出る人と一緒にいたら気まずかったのだろうが、幸いにもここにはザ・ポーカーフェイスのこころしかいなかったので、気まずさを感じることも恥ずかしさを感じることもなかった。


「そういや、お前もここで食べるのか?」

「食べる。そのために弁当も持ってきたんだ」


 鞄の中を漁りながら尋ねると、こころは風呂敷に包まれた弁当箱を掲げるように見せる。


「聞いて驚け、今日はオムライスだぞ」

「はっ、オムライス!? オムライスって、あのオムライスだよな!?」

「お前の想像しているオムライスがどういうものか私には分からないが、多分そのオムライスで合ってると思うぞ」

「マジかよ……」


 俺がこんなにも衝撃を受けているのには、ある理由があった。

 それは、彼女が一人暮らしだからだ。


 もし親やその他に弁当を用意してくれる人間がいたら、そこまで衝撃は受けなかっただろう。

 でも彼女は一人暮らしなのだ。

 学校へ行くのはもちろんのこと、帰ってからも身の回りのことを全て一人でやらなければいけない上に手の込むオムライスを弁当として持って来ているのだから驚かないわけがなかった。


「ちなみに、おかずは……?」

「おかずはハーブソルトで味付けして焼いた鶏肉とポテサラだ」

「それらは全て……?」

「もちろん手作りだ」


 言いながら風呂敷を解いて弁当箱の蓋を開けるこころ。

 その中には彼女が言った通りの料理が敷き詰められていた。


 オムライスは光沢が見えるほどに半熟でとろとろの卵がチキンライスを覆い隠しているし、鶏肉はハーブソルトのいい匂いと適度に滴っている肉汁が否応にも食欲をそそる。

 ポテサラも白く滑らかそうな塊の中に人参のオレンジや胡瓜きゅうりの緑色、コーンの黄色が見え隠れしていて彩りも綺麗だ。


「すげぇ……」


 十二年間一緒にいて初めて見る彼女の手料理の完成度と、それを作れるだけの手際の良さを想像すれば「すげぇ」の一言に尽きる。


「どうしてわざわざこんなのを手作りしてるんだ? 手間がかかるだろ?」

「ポテサラに関して言えば冷凍のやつだとあんまり美味しくないからな。体にも悪そうだし、やっぱり自分で作るに限る」

「なるほどなぁ」

「食事は私の数少ない楽しみの一つだから、なるべく凝った美味しいものにありつきたいんだ。凝れば凝るだけ食べることの幸せが膨らむし、達成感も生まれて次に作るときの原動力にもなる」


 彼女の言う食事は食べることだけでなく、きっと作ることまで含んで食事というのだろう。

 表情は変わらずとも、声を明るくして活き活きと話している彼女からは食事を心から楽しみにしているのだと感じられる。

 そんな彼女の微笑ましい姿が文字通り本当に微笑ましくて、思わず俺は頬を緩めてしまった。


「……む、どうした? 私を見て笑ってるぞ?」

「いや、なんでもないよ」

「そうか?」

「それよりもほら、そんなに食べるのを楽しみにしてるんだったら早く食べようぜ」

「言われなくともそのつもりだ」


 そう言って弁当に視線を落とすこころを尻目に、俺も鞄から取り出した弁当箱を開ける。

 俺は一人暮らしではないので弁当は毎回母さんが作ってくれるのだが、それでもところどころに冷凍食品らしきものが見えていた。


 もう一度こころの弁当箱に視線が行ってしまう。


 とろとろ卵のオムライス、肉汁滴る鶏肉、いかにも滑らかそうなポテサラ。

 美味そうだな……。


「……一口、分けてやらんこともないぞ」


 俺の視線で悟ったのか、こころは嬉しい提案を口にしてくれた。


「いいのか?」

「オムライスだけな」

「それだけでも十分だ! サンキューな!」


 あまりの嬉しさに笑顔を浮かべてお礼を述べれば、彼女は頬に朱色を灯して視線を左右に揺らしながら「別に……」とだけ言う。

 そうして持参してきたスプーンでオムライスを掬うと、左手を添えて俺に差し出してきた。


 それはまるで、「あーん」をするかのように。


「……あの、こころさん?」

「なんだ?」

「俺、別に自分で食べられるんだが」


 頬を引き攣らせながら言う俺は彼女から有無を言わさぬ圧力を感じていると、案の定彼女は「じゃあ、分けてやらん」と不機嫌そうにそっぽを向いた。


「このまま食べれば、分けてくれるのか?」

「そういうことだ」

「……分かった。じゃあ、食べる」


 何故いきなり彼女はあーんをしてきたのだろうか。

 それを頑なに押し通そうとしたのだろうか。

 そんな疑問が頭をよぎるが、彼女からあーんをされることは自体は嫌じゃないし、それでこの美味しそうなオムライス食べられるのなら少しの羞恥など安いものだった。


「あーん」


 少しの羞恥と思っていたのだが、彼女がそう声を上げたものだから途端に意識してしまう。

 いくら幼馴染と言えど俺たちは年頃の男女。

 恋人同士でもなければ、普通あーんをすることはない。

 そう思っているからこそ余計に頬が熱くなって、顔が強張る。


 だが、これを受け入れなければ彼女の作った美味しそうなオムライスを食べることは出来ない。


「あ、あー」


 羞恥を抑え込みながらも照れ混じりに口を開けば、そこにオムライスが入ってくる。

 舌に触れた瞬間、散々感じていた恥ずかしさが一気に吹き込んだ。


 チキンライスを包んでいた卵は舌触りがよく甘い。

 そしてそれがケチャップの酸味ととても良くマッチしている。

 チキンライスもベタつきがなく食べやすい。

 少々冷たかったが、それを加味しても美味いと断言できる美味しさだった。


「ど、どうだ?」


 恐る恐るといった様子で感想を急かすこころを尻目に、俺はオムライスを味わって咀嚼し飲み込むと口元に弧を描いて言った。


「めっちゃ美味い!」

「そ……そうか。ならよかった」


 これほど美味しいオムライスを食べられるのだから、食事が楽しみになるのも頷ける。

 さらに言えばそれを自分で作ることが出来るのだから、次の調理もさぞかしはかどることだろう。


 俺の端的な感想を受けたこころは安堵するように息を付くとさらにオムライスを掬い……今度は自分の口に入れた。


「はむっ」

「ちょっ、おい!」

「なんだ?」


 むぐむぐと咀嚼しながら聞き返す彼女は、俺が言いたいことをまるで察そうとしない。

 だが、ここで黙ることも出来ないため俺は視線を彷徨わせながら呟くように言った。


「か、間接キス……」

「間接キス……っ!?」


 俺の言葉を反芻させると、今更ながら目を見開く。

 どうやら、さっきの行動は完全に無意識ようだ。


「いや、えと、その……これは、違くて、その……」


 頬を真っ赤にしながらたどたどしく言葉を並べるこころの表情は珍しく崩れている。

 恥ずかしそうに眉をひそめてあわあわとしている彼女がいつになく可愛くて、俺は自分の照れ臭さを感じる余裕もなく口元を緩ませるのだった。

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