2話 手を繋ぐ
「――あ、あの、衣沙さん? もしよかったらこの後……」
まるで話しかけられていると分かっていないように、こころはその男子生徒に目もくれずこちらへ向かってくる。
そうして下校の準備をしている俺の目の前に立つと、得意のポーカーフェイスで堂々と宣言した。
「留衣、一緒に帰るぞ」
瞬間、俺が顔を引き攣らせたと同時に同じ教室内にいたほとんどのクラスメイトがこちらに様々な視線を向ける。
嫉妬、驚き、期待、諦めなど、本当に様々な視線。
それを気にしないこころにはなんの問題もないのだろうが、それを気にする俺の身にもなってほしい。
ここからどうしよう。
とりあえず、周りの視線に晒されないように場所を移すのが得策か。
そう考えた俺は、こころの宣言に反応することもなく下校の準備を終えて教室から逃げ出した。
「あっ、ちょっと待てよ留衣ー」
抑揚の全く見えない棒読みで俺を引き止めるこころの声とともにこちらへ向かってくる足音が聞こえるが、俺はそれを無視したまま走り続けるのだった。
◆
「だー! 俺を追いかけるのやめろよ!」
ある程度学校から離れても尚こころは俺を追いかけ続けてきたので、体力の限界を迎えていた俺は荒く息を付きながら足を止めて叫んだ。
「お前が私から逃げるから追いかけてるんだろう」
「お前が俺を追いかけてくるから逃げるんだろ!」
こころは運動も出来るため、運動音痴な俺とは違い全く息を荒くすることなく平然と俺を見つめている。
少しはその運動神経を取り替えてほしいものだ。
あぁ……苦しい。
「ならどうして私から逃げ出したりなんかしたんだ」
「昨日も言っただろ。俺とお前が関わり続けていたら変な噂が立つ。俺はそれが嫌だからお前から逃げ出したんだ」
「……嫌なのか?」
そう言うこころの雰囲気は何故か少しだけ寂しげだった。
表情は変わらずともその瞳は僅かに伏せられ、寂しさとともにどこか悲しげな雰囲気も醸している。
……どうして。
こころがそんな反応をするとは欠片も思っていなくて、思わず戸惑ってしまう。
「だって、もし俺とお前が付き合ってるなんて噂が流れたらどうなる? お前がどうなるか分からんが、俺には少なくとも嫉妬の嵐だ。お前はもう少し自分が有名人だということを自覚した方がいい」
「お前は、私と付き合ってるって噂が流れるのが嫌だから私を避けるのか?」
「まぁ、要約すればそうだ」
付き合ってる噂が流れたりでもしたら、こころに気がある奴らに何されるか分かったものじゃない。
俺はただ平凡な学校生活を送りたかった。
だから、関わりたくてもこころと関わることは出来なかった。
「……じゃあ、周りに人がいなければお前は私を避けなくなるのか?」
「どういうことだ?」
聞き返すと、こころは人差し指をピンと立てた。
「周りに留衣と私の関わっているところを見る人がいないということは、そもそも噂が立つ心配もないということだ。それなら、留衣が私を避ける理由もなくなるんじゃないか?」
「それはそうかもしれないが……」
「なら、話は決まりだな」
心なしか少しだけ声を明るくしたこころは、あろうことかいきなり俺の手を握りしめてきた。
「ちょ、何やってるんだよ!」
「周りに人は誰もいないぞ。確認済みだ」
「だからっていきなり手を繋ぐ奴があるか!」
まるで当たり前だと言わんばかりにナチュラルに手を繋いでくるこころの手を俺は振り払う。
「どうしてそんなに慌てている。小さい頃はよく一緒に手を繋いでいたじゃないか」
「それは小さい頃だからだろ! 高校生にもなって幼馴染と手を繋ぐのは漫画やアニメの中だけだ!」
「ブーメランだぞ」
「何が!」
全く持って意味の分からないことを言うこころ。
「というか、お前も年頃の女子なんだからそれくらい抵抗しろよ!」
「お前、おっさんみたいなことを言うんだな」
「お前が抵抗なく手を繋ぐからだろ!」
「抵抗する理由がどこにある?」
「はぁ?」
きょとんと小首を傾げるこころに思わずため息交じりの声を上げてしまう。
「お前は嫌じゃないのかよ。俺と手を繋ぐの」
「私は、別に……嫌じゃないが」
途端にこころの口から言葉の出が悪くなる。
どこか照れ臭そうで、それを裏付けるように俺から視線を逸しながらほんのりと頬を染めていた。
「そ……そうかよ」
そんな反応をされてしまうと、流石に俺もさっきまでのテンションで彼女と関わることは難しくなってしまう。
というか、なんでいきなりそんな反応になるんだよ。
「お前は、私と手を繋ぐの……嫌か?」
こころは逸していた視線を何とか元に戻すと、不安げな上目遣いでそう問いかけてくる。
そんな彼女のことを、不覚にも可愛いと思ってしまった。
急に恥ずかしくなってしまって、今度は俺がこころから目を逸らす。
「……別に、嫌ではないけど」
「ならいいだろう」
そう言って再び俺の手を握ってくるこころ。
「いやよくはないだろ! なんで手を繋ぐ必要があるんだ!」
「繋ぎたいから繋ぐ。それじゃあ駄目か?」
「っ……分かったよ」
「見知った奴がいたらすぐに手を離す」
「お前が近くにいるだけでアウトなんだが……まぁ、もういいんじゃないかそれで」
考えることが面倒臭くなった俺はこころの手を受け入れる。
なぜ彼女が俺と手を繋ぎたいと言ったのかは、気になっても聞くことは出来なかった。
「じゃあ、帰るぞ」
「へいへい」
そうして俺とこころは共に帰路を辿る。
途中、どことなく俺の手を握りしめる彼女の手の力が強められたような気がした。
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