閑話 アーデルハイトを想うセラフィム

 アイゼン王国に上陸してから、王都へと目指した日数は何だったのかと思えるほど、ほぼ強行軍と言っても良い旅程で港までやって来て出港したのは、テルネイ大公領の粛正を急ぐためだった。


 本来ならば、現在はアイゼン伯爵となったハイジの父君が文官として政務を手伝うことになっていたはずが、それが出来なくなってしまったため、私の父上がハイジを手伝いたいと言い出し、粛正に掛かる時間を出来るだけ削ることにしたのだ。

テルネイの主要な過激派は父上が連れて来てくれたが、その過激派たちの一族や協力者などが多数、テルネイに残っているため、そちらを片付ける必要がある。


 全部を片付けることは不可能というか、そこまでやると人員が全く足りなくなるし、政治が滞ることにもなりかねないので、それほど脅威にならない部分は放置することにしたらしい。

片付けたところで、いずれまた反抗的な人は出てくるので、キリがないとも言っていた。


 ということで、テルネイ大公領まで穏やかな船旅となったけれど、空は冬らしい様子で、どんよりと曇っている。

まるで、私の心のようだ。


 「何をそんなに遠い目をしておられるのですか?」

「ん?ドナートか。いや、曇ってるな〜と思って」

「セラフィム様の目がですか?」

「何で私の目が曇ってるんだ!どこがだ!?」

「いえ、携帯用にと小さめの肖像画を描いてもらっておられましたが、あの絵はどうかと思いまして……」

「何でだ。めちゃくちゃハイジらしくて、良いではないか」


 手に持ったムチをピシッともう片方の手に巻き付けて、得意げに少しツンと逸らした顔がまた愛らしくも美しいではないか。

まだ幼さが残る面影の中に、王たる覇気をまとわせた、今だけの姿だぞ。

 ハイジのお抱え画家ブラットは、見事にそれを表現してくれたが、あの短時間でよくもここまで描き上げたものだ。


 セラフィマ姉上を私も見たかったという、その願いを叶えるべく、ハイジが私を女装させるようにと手配してくれたときに、彼女は画家のブラットを呼んで、私たち二人が並んだ絵を描かせたのだが、そのときに、これほど早く描けるのならば、ハイジの肖像画も欲しいと描いてもらったのが、ムチを持った絵だった。


 持ち歩く上に海を越えるとあって、私が描いてもらったハイジの肖像画には、表面を保護する加工が施してあるのだが、それをすると絵の表面が剥がれやすくなるらしく、長期間保存する絵には向かないと言われたので、保存するために同じ絵を大きめに描いてもらい、それはモルゲンロート王国王城の私の部屋に置いてある。


 私はモルゲンロート王国女王となったハイジの婚約者であるため、城に部屋を用意してもらっているが、大公となった父上はそういうわけにはいかず、王都の一等地に邸を用意しなければならない。

王都の一等地ともなれば、公爵や侯爵の邸などばかりで、本来ならば空きなど無さそうなものだが、アイゼン王国であったときに粛正したので、持ち主がいなくなった邸が結構空いているらしく、その中で一番良い所をテルネイ大公邸として、他にもいくつか買い上げ、改装することになっている。


 しかし、勝手に改装すると、元テルネイ王国王妃であった現テルネイ大公夫人や、私の母上を含む側室たちから文句が出ると、父上が「妻たちを連れて戻るまで、改装を待ってはくれないだろうか……」とお願いしたことで、清掃と庭の手入れだけで済ませてもらったのだ。


 うむ。母上たちは怒ると怖いからな。父上、それで正解でしたね。

改装を待ってもらっているという父上の言葉に、母上たちは笑顔で褒めてくれたものな。


 粛正は父上たちに任せて、私は母上にハイジのことと、セラフィマ姉上のことを話し、私が女装してハイジと並んだ絵も見せた。

つまり、この絵はハイジのところと、ここにあるのとで2枚あるのだ。


 「まぁ……。あなたなの、これ?」

「そうです、母上。ハイジ曰く、セラフィマ姉上にそっくりで、喋らなければ、そこに本人が居ると思えるほど似ているそうです」

「喋らなければ?(わたくしの息子がおバカだと言いたいわけではないわよね?)」

「はい。喋ってしまうと声が違いますからね。見た目は似ていても性別が違うので、セラフィマ姉上の声までは真似まねることは出来ませんでした」

「ああ、そう、そうね。無理をして喉を痛めてもいけないわ(そういう意味でしたのね)」

「それと、セラフィマ姉上がとても気に入っていた画家がおりまして、この絵もその画家が描いてくれたのです」

「まあ、そうなの。ふふ良いセンスをしていたのね」

「ちなみに、その画家はハイジの叔父上です」

「…………は?」

「えっと、ハイジのお母君の異母弟だそうで、絵を描く以外のことは、ほとんどしないような人でして、見つけるのが少しでも遅ければ、餓死していた可能性が高いほどに絵を描くしかしない人なのだとか」

「そ、そうなの(血筋として大丈夫なのかしら……)」


 何か少し心配そうな顔をされたけれど、息子が女装して絵を描いてもらったとなれば、そうなるかな。


 ここがテルネイ大公領となったことで名称が色々と変わり、テルネイ王城はテルネイ大公城、王宮はテルネイ大公領本邸、離宮は付けられている名前はそのままで別邸と呼ばれることになった。

蒼空の離宮や陽光の離宮など、他にもいくつかあるけれど、その離宮は別邸の蒼空、別邸の陽光といった感じで呼ばれるようになる。


 この数ある離宮にも過激派たちの手が及んでおり、国王が意に沿わないことをしないように、側室たちやその子供たちが人質となっていた。

お忍びでテルネイの城下町へ遊びに出たときに、「あの宮で優雅に暮らしてんだろうなぁ。いいよなぁ……」とか、「豪華なドレスや宝石で着飾れるのよね、羨ましいなぁ」なんて庶民の声を聞いたことがあるけれど、そんな良いものではないよ。


 母上たちは、素晴らしい女性ばかりだったから良かったけれど、歴史を振り返ってみると、ドロドロとした女の争いみたいな話がザクザク出て来るからな。

かなり陰湿なイジメとかもあったみたいで、暗殺されたり、自害に追い込まれたりとか、背筋が寒くなる話が多かった。


 父上が言うには、共通の敵がいれば団結するものらしく、王妃様、今はテルネイ大公夫人だけど、彼女を中心に側室たちが集まって寄り添い、過激派たちから己と子供の身を守っていたから、陰湿なイジメなどは発生しなかったという話だ。


 ただ、その代わり、父上は妻たちの尻に敷かれることになったみたいだけどな。


 母上に見せるために取り出した絵画を眺めていると、そのハイジの嬉しそうな微笑みに、未だにセラフィマ姉上を超えられていない、もどかしさのようなものを感じてしまう。

どん底というより、もはや絶望を通り越してに近かったという、その当時のハイジを救ったのがセラフィマ姉上なのだから仕方がないのは分かっているけれど、と思っていたら、母上から「何をそんなに、いじけているの?」と頬をつつかれてしまった。


 あまり言いたくはないけれど、女性として母上から何か助言してもらえないかと思い、そのことを話してみたら、「あら?あなた友人になりたいの?」と、笑われてしまい、ハッとした。


 「そうでした。ハイジにとってセラフィマ姉上は、友であり、姉であり、母であったと聞いていたのに。私は、ハイジの、その、こ、恋人になりたいのであって、母親になりたいわけではないのでした」

「は、母親……(生まれて来たかもしれない娘が、歳の変わらない女の子の母親をしていたと聞くのは、何かこう……くるものがありますわね)」


 何故か遠くを見つめる母上だったが、セラフィマ姉上に見せたい絵があるので霊廟に向かいたいと伝えると、「すぐにでも向かいたいけれど、まだしばらくは出歩かない方が良いわね」と言った。


 そうだった。まだ粛正の残党狩りをしているから、母上のところで大人しくしているように言われたんだった。


 ハイジの直属部隊は、テルネイの騎士など、まるで子供を相手にするように無力化していっていたので、もう乾いた笑いしか出なかった。

斬り伏せる必要もなく、あしらって行くのだから、その差はかなりのものだろう。


 捕縛した後は、奴隷にするから、なるべく怪我はさせない方がすぐに使えるし、回復させるための物資や人手も、もったいないということだった。


 私の専属護衛騎士に話を聞いてみると、テルネイにはあまり強い魔物は出ないし、戦争もしていないので、死と隣り合わせな状況になることは、まず無いことから、騎士や兵士に危機感が足りないのだとか。

そのことから、訓練をしていても、このくらいで良いだろうと、必要とされる域に達していれば、それより上を目指すことは、ほぼ無い。


 元アイゼン王国で、今はモルゲンロート王国となった、その北西にある危険な魔物が出る森。

ハイジが即位した今は、だいぶ脅威は低くなって来ているようだけれど、それでもテルネイの騎士や兵士などでは、森の入り口付近で壊滅するくらいに魔物は強いし、テルネイの戦力は低い。


 しかし、テルネイの海の男は強いのだ。

陸の戦士は弱いが、海の戦士や漁師は強いので、そちら方面を強化して行けば、立派な海軍になれるだろうと、父上が話していた。


 陸はハイジの直属部隊がいるから、海は私に任せてもらおう。

そのうちハイジを連れて海の旅へ出られるくらいに、強くて安全な海軍にしてみせよう!


 「セラフィム……」

「何ですか、母上」

「女王陛下を連れて、海の旅に出掛けるのは無理があるのではないかしら……」

「どうしてですか?」

「あなた、お父上が旅に出掛けたのを見たことがありますか?」

「…………ありませんね。え、じゃあ、ハイジと旅行には行けないのですか!?」

「……外交、としてなら行けるでしょうが、女王陛下は祖となる王の証を持っているのでしょう?そう簡単に出掛けられるとは思えないのだけれど」

「そんな……っ」

「セラフィム。あなた、海の旅って、どこへ行くつもりでしたの?」

「…………考えてませんでした。あ、でも、セラフィマ姉上が見ていたであろう景色をハイジも見たがるかもしれません。落ち着いたら、テルネイに連れて来てあげたいな」

「そうね。そのときには、わたくしもお供させてもらっても良いかしら?」

「もちろんです!……ただ、ハイジはセラフィマ姉上が死んだのは自分のせいだと責めていたので、母上から声をかけていただければと思うのですが」

「ええ、大公夫人としてではなく、あなたと、そして、セラフィマの母として声をかけましょう(命を賭して時を戻した、その決断を否定することはしませんが、受け入れるのは難しいでしょう。だけれど、女王陛下が母となったときに、『この子が死んでしまったら……』と、子をなくす思いに触れることになる。そのときに支えられたらと思うわ)」


 しんみりした様子の母上に頭を撫でられたが、そういえば、母上はセラフィマ姉上を流産していたんだったと気が付いた。

ちょっと配慮が足りなかったかな。


 でも、ハイジが、その……子供を産んだら、セラフィマ姉上に会えるかもしれないと言っていたけど、生まれてきた子にセラフィマ姉上だった頃の記憶があるかは分からないし、そのことは母上には内緒にしておこう。

記憶が無ければ、その子がセラフィマ姉上の生まれ変わりであるなど、誰にも分からないのだから、母上に期待を持たせておくのは気が引ける。


 だけど、もし、セラフィマ姉上だった頃の記憶があって、そのことを母上に打ち明けたいとなったら、私とハイジとで支えてやれば良い。


 ……名前は、どうしようか。セラフィマとつけるには、ちょっと問題があるよな。

ハイジは、セラ様と呼んでいたから、セラのつく名前が良いだろうか?それとも新たな人生なのだから、新しく名前を考えてあげるべきなんだろうか。


 いや、まだ早いよな。結婚すらしていないんだし。

でも、今からゆっくり考えておかなきゃ、妊娠してからでは間に合わないかもしれないし。

 何せ、一生涯使うというか、モルゲンロート王国がある限り残る名前だぞ?

他国の歴史書にも残る可能性を思うと変な名前はつけられない!


 ああぁ〜、ハイジに相談したい!

ハイジは名前のことを考えているだろうか。セラ様はセラ様だからとか考えていたりしないかな。モルゲンロート王国初代国王となった女王アーデルハイトの第一子の名前が「セラ」になるのか?親しみやすくて良いか?わからん!!


 粛正が終わってお墓参りが済んだら帰ろう!

ハイジに会いたい!!


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