2 過去を見つめるアーデルハイト
ロザリンドが常にわたくしと行動を共にするのではないかと、現実的ではない思考に囚われてしまいましたが、ロザリンドの側仕えが「ロザリンド様、王太子殿下がお困りになられるようなことをしては、なりませんわ。ご一緒できるときに、きちんとお声掛けしてくださるでしょうから、それをお待ちいたしましょう?」と、優しく諭してくれたことで、ロザリンドは渋々頷いてくれました。
さすがにロザリンドは、目がほぼ見えないと言っていい状態であるし、これからは姉妹とはいえ、女王と伯爵家令嬢という立場になることから、わたくしと常に共にいることは叶わなくなりますからね。
それまでは、なるべく一緒に過ごそうと思って、それを口にしようとしたのですが、それは、ロザリンドを診てくれていた医師であるレンツ殿によって「ご一緒されるのは、難しいかと存じます。まだ、普通の生活に戻れるほどは回復されてはおりませんので」と言われたことで、諦めざるを得えなくなりました。
「そうでしたわ。何日も意識がなかったのですもの。無理はいけないわね」
「差し出がましいことを申し上げましたこと、謝罪いたします」
「いえ、構いませんわ。……腕は確かですもの。あなたが、そう言うのであれば、そうした方が早く良くなるでしょうから」
「……私をご存知のように仰せになられるのですね。面識があったとは存じ上げませんでした」
「今は、はじめましてですわ」
「今は……、とは、どういう意味なのでしょうか?」
ロザリンドを診てくれていた医師であるレンツ殿には、わたくしも死ぬ前にお世話になったことがあり、とっても苦い下痢止めである青薬をよく処方してもらっていました。
死ぬ前のことなので、今目の前にいる彼は、わたくしとの面識はありませんけれどね。
レンツ殿は、先代王妃様の弟なのです。
姉を理不尽な目に遭わせ、不幸にした王家に医師として仕えていますが、医師として私情を挟むことはしないと、死ぬ前のときに言われたことがありました。
しかし、わたくしはその時、祖母である先代王妃様がどういった経緯で輿入れされたのか全く知らず、レンツ殿が先代王妃様の弟であることも知りませんでした。
わたくしは、彼がどのような思いでそれを口にしたのか、何も考えることなく、そう言われたことに「それは素晴らしい心掛けですわね」と安堵の笑顔を浮かべただけなのです。
それに対して彼は、ほんの一瞬だけでしたが、失望した顔を見せ、俯いてしまったため、わたくしは気にすることもなく処置室を去って行き、その後も何食わぬ顔で医務室を利用しておりました。
死ぬ前のときは、自分のことでいっぱいいっぱいで、周りが見えていなかったとはいえ、なんて愚かだったのでしょうか。
撫でているうち眠ってしまったロザリンドを起こさないように、そっとベッドへ寝かせたあと、わたくしたちは医務室内にある王族用の待機室へと入り、お茶にすることにしました。
わたくしの発言の意味が分からず、首を傾げているレンツ殿に、お茶を飲みがてら説明しようと思ったのです。
侍女のレオナに用意してもらったお茶で喉を潤し、わたくしは、死ぬ前のときのことを説明しました。
時折、レンツ殿からの質問を挟みつつ話を終えると、彼は少し顔を顰めたあと、ため息をついて何度か頷いていたので、自分なりに何か納得をしようとしていたのかもしれません。
「……なるほど。にわかには信じ難い話ですが、ヴァルター殿がその話を信じておられるのであれば、本当のことなのでしょうね。私は、王太子殿下のお人柄をよくは存じ上げておりませんが、ヴァルター殿のことは、よく存じておりますから」
「ハイジ殿下には、まだ話しておりませんでしたな。先代王妃様が婚約されておられた相手というのが、儂を庇って死んだ親友でした」
「まぁ……、なんてこと……」
「ヴァルター殿、あれは庇ったなんてものではありません。その状況を利用した後追いです」
「いや、そんなことは……」
「あります。庇ったときに、魔が差したはずです。でなければ、あの人が死んだりするはずがありません。殺したって死にそうもない人ですよ?それに、本人を前にして言うことではありませんが、致命傷にならない程度に庇えば良かったのです。それをヴァルター殿が無傷で済むような庇い方をするからっ」
レンツ殿が言うには、先代王妃様と元々婚約されていたお方は、相思相愛でとても仲が良かったそうです。
それに、先代王妃様は迂闊な行動を取られるよう人でもなかったことから、当時の王太子であった先代国王に襲われる状況に陥るとは思えなかった。
そこでレンツ殿は、医師を志していたこともあって、先代王妃様である姉が遭遇した不幸な出来事の真相を探るべく、王家に医師として仕えることを決め、少しずつ色んな情報を集めた結果、先代王妃様が分家の令嬢であった従姉妹に陥れられたことが分かったのだとか。
先代王妃様の従姉妹というのが、ヴァルター卿を庇って亡くなられた親友の奥様で、婚約していた先代王妃様に瑕疵がつけば、婚約が破談になり、自分が嫁げる可能性がとても高くなると踏んだことから、当時の王太子であった先代国王と共謀したのだそうです。
とはいえ、令嬢ひとりで出来ることではないので、分家の者たちも手を貸していたようですけれどね。
先代王妃様ご本人や家族としては、到底許せるものではないのですが、周囲からは「王太子のお手つきになって妃として輿入れできたのだから、上手くやったものだ」といったようなことを言われたのだとか。
……わたくし、セラ様やロザリンドがそのような目に遭ったら、相手が誰であろうと八つ裂きにしてやりますわよ!?
と、まあ、横恋慕の末に略奪といった感じで結婚したものだから、先代王妃様の従姉妹は、第一子となる息子を産んだあとは、役目を終えたとばかりに放置されることになったそうですわ。
しかし、夫は戦場で親友を庇って早々にこの世を去ってしまい、家督は夫の弟が継ぐことになり、嫡男として生まれた息子も跡取りから外されることになってしまったことから、先代王妃様の従姉妹は実家へと戻されることになりました。
彼女は、嫁ぐはずであった先代王妃様の代わりということで、分家の子爵家からエルトマン伯爵家へと養女に入ってから、嫁いでいるのですが、戻された実家というのはエルトマン伯爵家ではなく、分家の子爵家です。
戻されたあとは、社交の場にも出してもらえなくなっていたのですが、出戻りとはいえ先代王妃様の従姉妹という立場であったため、後妻の話が来て、本人の意思も関係なく嫁いでいった先が、過激派の家でした。
そうなのです。今回の騒動からの大掃除によって、過激派の家へと後妻として嫁いでいった先代王妃様の従姉妹は、身分を剥奪された上での処刑となりました。
年齢や性別、地位など何も考慮されることなく、処刑一択であったことから、彼女自身も国家反逆に加担していたことが窺えます。
ただ、後妻として嫁いだ際に、息子とは縁を切っていたため、そちらに累が及ぶことはありませんでしたけれどね。
彼女の息子は、家督を継いだ夫の弟が「跡継ぎから外されることにはなったが、兄の忘れ形見であるから、こちらで大事に育てる」と言い、今では立派な頼もしい騎士として国内を巡回しておりますわ。
ええ、国内を巡回しておりますの。
つまり、王太子アーデルハイト直属の部隊に所属しているのですわ。
今では騎士の花形とも呼ばれるようになった、わたくしの部隊なのですが、採用する際には、側近たちの意見も聞いているので、人柄に問題はありません。
彼を採用するにあたって、わたくしと僅かながら血縁があることは知っておりましたが、その裏にある物語までは知りませんでしたからね。
「時が経ち、顔を会わせることがあっても、憎しみの籠った目を向けられることはなくなっていたのだが、彼女の中では、何も変わっていなかったのだろうな……」
「愛する夫が死んだ原因なのだとヴァルター殿を恨んでいたのでしょうが、時が経つにつれて、夫を亡くした悲しみからではなく、自分が惨めに思えたことによる逆恨みだったのですよ」
「逆恨み……」
「それに、あの女とは離縁するのも時間の問題だったのです。嫡男の変更があったということは、そういうことです」
「あっ、そうですわよね?家督を弟が継いだとしても、エルトマン伯爵家との縁繋ぎを目的とした政略結婚だったのですから、嫡男は、そのままになるはずですものね?」
「そういうことです」
当時、エルトマン伯爵家の領地で水害が起こり、それの対処のために結んだ政略による婚約ということだったのですが、それは他からの横やりを防ぐための建前でしかなく、中身はただの恋愛による婚約だったのだそうです。
しかし、政略による婚約といった形を取っていたがために、先代王妃様が嫁げなくなってしまっても、エルトマン伯爵家から嫁を出さざるを得えなくなってしまった、と。
政略でも仲睦まじい婚約と、ただの恋愛による婚約では、周りの反応が違ったのではないかしら。
最初から恋愛による婚約だと周囲に分かるようにしていれば、先代王妃様が「上手くやった」などと言われることは少なかったでしょうね。
「そういえば、わたくし、レンツ殿に聞いてみたかったことがございますの」
「何でしょうか?」
「わたくしが死ぬ前のときの話なのですが、レンツ殿は『医師として私情を挟むことはしない』と言われたのです。でも、先代国王陛下の治療に尽力されておられたのは、復讐もあったのかしら?」
「それを聞いて、どうなさるおつもりですか?」
「どうもしませんわ。ただ、盛られていたであろう状況で、根本を排除せずに治療だけを行なっていれば、苦しみが続くでしょうね、と思っただけですわ」
「そうですか。……ええ、私情を挟むことなく治療いたしましたよ。私の仕事は犯人の特定でも排除でもなく、医師として治療をすることですからね」
「では、盛られていたのが、わたくしであったとしても同じことになった、と?」
「意地の悪い質問ですね……。まあ、そんな状況だったとしたら、そうですね、どうせ盛られるなら毒に慣れるよう、完全には治さずに、盛られている状況を利用するかもしれませんね」
「なるほど……」
死ぬ前のとき、毒を盛られても、きちんと治してもらえないことを「やはり私情を挟まないと言ったところで、それは、わたくしには適用されないのね」なんて思っていたのです。
それが、毒に慣れさせるためだった可能性が出て来ましたわ。
冤罪で処刑されたとき、毒杯をあおることになったのですが、そのあと、なかなか死ねなくて酷い目に遭ったのよ。
効き目の悪い毒でジワジワ殺したかったのかと思っておりましたが、わたくしに原因があったのかもしれませんわね。
「王太子殿下が、そういったことを聞かれるということは、周囲に不安なことでもあるのですか?」
「いいえ、とても良くしてもらっているわ」
「……御髪の様子を見るに、とても、そのようには思えないのですが?」
「髪?」
「香油で丁寧に梳いてありますので、気付く者はほとんどいないでしょうが、御髪に毒の形跡が出ておりますよ」
「ああ、さすがレンツ殿ですわ。身体の成長を阻害しない程度を見極めて摂取しているのよ。今、摂取している物は、髪に影響が出やすいと聞いているわ」
「……確かに、お身体に影響はあまり無さそうですが、ご無理はなさいませんように」
「ええ、ありがとう。気をつけるわ」
問題ない程度の摂取で、分かってしまうほどの腕を持つレンツ殿であれば、死ぬ前のときではありますが、わたくしが思いっきり毒を盛られていたことには気付いていたでしょうね。
毒に慣れていけば死なずに済みますが、苦しまないわけではないのです。
嫌がらせで盛られていた中には、うっかりなのか、それとも殺意があったのかは分かりませんが、死に至ってもおかしくないようなものもありました。
死ねずに長く苦しむ。
レンツ殿は、その様子を静かに見ていたのだと思います。
医師として治療は、する。
だけれど、犯人の特定や排除は、仕事ではないと言い、原因をそのままに苦しみが長引くように治療を施すのです。
わたくし、レンツ殿のその態度、割と好きですのよ?
ジワジワと弱り苦しんでいく。
恨みが強ければ強いほど、苦しめばいいと思ってしまうの。
んふっ、と笑い声を漏らしたわたくしにレンツ殿は、目を丸くしたあと、ニヤリと笑いました。
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