女王へ
1 大丈夫だと自分に言い聞かせるアーデルハイト
皆様、ごきげんよう。
わたくしは今、優雅さの欠片もなく城内を走り抜けております。
いつでも迅速に行動できるようにと、最近は、パンツスタイルの執務服にヒールの低い靴を履いていたからこそ出来ることなのですけれどね。
どうして、わたくしが走っているのかと申しますと、ロザリンドが目覚めたとの報告を受けたからですわ。
教皇様が仰せになられていたので、魔眼は間違いなく消えているのでしょうが、目覚めたロザリンドの周囲でおかしなことは起きていないとのことで、ようやく張り詰めていたものが緩んだような気がします。
はしたなくも走るわたくしに何も言わず、ついて来てくれる側近たちですが、途中で合流したヴァルター卿が「お運びしましょうか?」と提案してくださったのは、お断りさせていただきました。
歩けない状態であるとか、何かから逃げなくてはならないわけではありませんので、自分で走ります。
ヴァルター卿に運んでいただいた方が早いのは分かっているのですが、走りながらロザリンドにどのように接すれば良いのか、心の準備をしているところもあって、それでお断りしたのです。
それに、ヴァルター卿が走る速さに侍女のレオナがついて来られないというのもありますからね。
セラフィム王太子殿下の歓迎会中に起こった騒動。
そのあと、意識のなくなったロザリンドは、城にある王族が使う医務室へと運び込まれ、今もそこにいるのです。
ロザリンドを王宮へ運ぶとなると、城から王宮まで馬車に乗せなければなりません。
医師から、ロザリンドの意識がないため、動かさない方が良いと言われたので、城の医務室にて看病がされておりました。
それに、王宮の奥、ロザリンドが住んでいた場所の周辺は、ベルトラント侯爵家の方々など、そこで警戒任務にあたっていた者たちと、魔眼に影響された者たちとで、ひと悶着ありまして、その結果、戦闘になり、修繕が必要になってしまったので、戻れなかったというのもあるのですけれどね。
ベルトラント侯爵家の人たちは、なるべく斬らないように殴打したりして制圧したのに対し、魔眼によって影響されていた者たちは、相手がどうなろうと関係ないとばかりに攻撃してきていたため、戦闘があった場所は血濡れになっていたり、武器が当たった壁にヒビが入っていたり、割れたりしていたそうです。
陛下から、建国することだし、王宮を建て直してはどうかと提案していただいたのですが、改装だけにしておこうと思っております。
老朽化が進んでいて危険ならばまだしも、まだ新しいですからね。
というのも、今の王宮は、先代の国王陛下が建て直させたもので、その理由は"愛しい人の帰る場所だから、過ごしやすくしてやりたい"というものだったのだそうですが、その愛しい人というのは、妻ではありませんでした。
それならば愛人なのかといえば、そうではなく、自身の叔母です。そう、魔眼持ちの王女であった人物で、わたくしのお母様の祖母にあたる人のことです。
魔眼は、どうやら魔力の多い人物を相手に選んでいたようで、先代国王陛下の叔母も例に漏れず、魔力の多そうな相手のところに嫁いでおりました。
どうやら叔母に執着していた先代国王陛下は、青年に差し掛かるくらいの頃に、実際に迫ったこともあったらしく、そのときに「魔力の少ない男に興味なんてないわ」と、手酷く拒絶されたそうです。
そのことがあって、先代国王陛下は魔力の多さに固執するようになり、その結果、政略によって結ばれていた婚約を勝手に破棄して、魔力が多い家系の令嬢を無理やり娶ったのだとか。
つまり、襲ったのですわ。手をつけてしまえば、お相手は嫁がざるを得ませんもの。
グスタフ様から聞いたときには、そのようなクズ……、いえ、ロクデナ……まあ、そのような人物が自身の祖父であるなどと思いたくはありませんでしたが、流れる血は変えることが出来ませんからね。
無理やり結婚させられ、わたくしの祖母となられたお方は、息子(わたくしのお父様)を産み、役目は果たしたのだからと、この世を去りました。
離縁しようとも穢された身では、元々婚約していた男性のもとへは戻れないから、と。
先代国王陛下は叔母に相手にされないことから、お酒に逃げることが多く、勝手に婚約を破棄したり娶ったりと、無茶苦茶なことをされたりもしたので、まあ……、お酒に少々盛られてサヨナラすることになったようですけれどね。
その辺は、過激派などは関係なく、様々な派閥が動いていたようですわ。
ということで、若くしてお父様が即位したのには、そういった背景があったのですが、ここまでのことが起きていて、過激派たちが国を奪還できなかったのは、テルネイ王国側に証持ちが生まれていなかったからなのでしょうね。
グスタフ様からお聞きしたことを思い出しながら、気を紛らわせているうちに、城の医務室へと到着しました。
乱れた息を整えて、心の準備をしていると、ヴァルター卿がさっさと扉を開けて、わたくしを促してきたのですが、ちょっと、もうちょっとだけ待ってちょうだい。
「ハイジ殿下。こういったことは、勢いが大事ですぞ。立ち止まってしまえば、動けなくなってしまう。また明日、などと思ってしまう前に動かねばなりません」
「わ、わかってはいるのです。いるのですが……」
「なぁに、戦場へ挑むわけではないのですから。失敗したとて命を失うことなどございませぬぞ」
「……それもそうね」
レオナが「納得しちゃうのですか……?」と小さく、つぶやいたのですが、良いのです。
失敗したとしても、命ある限りそこで終わりではないのですから、少しずつ関係を作っていけば良いのよ。
だって、わたくしたちは姉妹だもの。
あのとき、ロザリンドは確かに「ねぇしゃま」と口にしたわ。
たどたどしい口調ではあったけれど、死ぬ前のときのロザリンドとも違う、わたくしが初めて見たロザリンドでした。
医務室の扉から向こう側は、怪我の処置や薬を処方する処置室、付き添い人が待つ待機室、その場だけの処置では済まず滞在を余儀なくされた人のための滞在室などがあり、その部屋は、王族、上位貴族、下位貴族、騎士といったように、利用する人の立場の分だけ用意されています。
つまり、階級によって場所が分けられているので、騎士用の処置室で王族が手当てされたりすることはありません。
王族が使う場所は、一番奥に設けられており、守りは厳重になっているので大丈夫なのですが、王族は自身の宮へと医師を呼ぶので、ここを使うことは滅多にないのですけれどね。
医務室の中に入ると、爽やかな香りの中に、少し消毒の匂いが混じっていて、指先が冷たくなるのを感じました。
死ぬ前のときに、よくお腹を壊していたので、お薬を貰いに来ていたのですが、どうやら医務室に入るのに躊躇していたのは、その記憶のせいもあったみたいです。
お腹を壊しているならば早い方が良いでしょうと、死ぬ前のときは、奥にある王族用の処置室ではなく、手前にある騎士用の処置室で薬を渡されていましたが、今にして思えば、王族としての扱いをしてもらえていなかったということなのでしょう。
まあ、それはそれで、ありがたかったので、文句はございませんわ。迅速に対応してくれなければ、尊厳にかかわる事態になっていましたからね。
女は度胸、と自分を鼓舞して、女王として立つならば、この程度のことも乗り越えて行かなければと、案内に従って奥へと進んでいくと、ベルトラント侯爵家の方々が扉前で護衛をしていました。
彼らは、わたくしの姿を目にすると、優しく微笑み、頷いてくれたのですが、どうやら、ロザリンドが大丈夫であると態度で示してくれたのでしょう。
扉が開かれ中へと入ると、ソファーセットが置かれている部屋があり、案内をしてくれていた人が、「第二王女殿下は、あちらのお部屋におられます」と奥に見える扉を示しました。
今わたくしたちがいるのは、応接スペースで、ロザリンドは奥の部屋、つまりベッドのある寝室にいるとのことです。
案内人が寝室の扉をノックし、わたくしが来ていることを告げると、そっと静かに扉が開かれました。
中へと入ると、ベッドに緩やかに背中を預けたロザリンドがいました。
目の部分を包帯で何重にも巻いた痛々しい姿のロザリンドに、かける言葉が見つかりません。
「……ん。ねぇ、しゃま、いるの?どこ?」
「……っ。こ、ここよ。ここに、いる、わ」
「!?ね、ねぇしゃま。ごめなしゃい。ロザ、いい子できなかった」
「ちがっ……!そんなこと、違うわ!!ロザリンドが悪いことなんて何もないの!あなたは、頑張ったのでしょう?」
「がんば……ひっく、うぅ……、がんばっ……たのに。ひっく……」
「ああぁっ、泣かないで、大丈夫よ。ロザリンドはいい子よ。いい子、いい子よ……」
どう接して良いのかと、まごついていたら、ロザリンドが泣きながら謝ってきたので、咄嗟に頭を撫でて「いい子」と声をかけて、そっと頬と頬を寄せました。
触れる包帯の感触に悲しみが込み上げて来ますが、悲しい思いをしているのは、わたくしではなくロザリンドなのですから、グッと堪えます。
死ぬ前のとき、セラ様が頬と頬を寄せて慰めてくださったことがあり、その頬の温かさが心まで伝わるようで、それを思い出してロザリンドにもしてみたのです。
ロザリンドは、おずおずと小さな手で、わたくしの服を握り、しゃくりあげながらも、今までのことをたどたどしくはありましたが、言葉にして伝えてきてくれました。
今までロザリンドは、ぼんやりとした意識の中で、遠くに家族が見えて、見えていても触れられず、自分が思っていることとは違うことを勝手に行動されてしまうのが辛かった、と。
たまに、僅かではあったけれど、自分の意思で動けたりした日もあったそうですが、その後に再び意識の奥へと押し込まれるようにして動けなくなると、自分の声とは思えないような喚き声が聞こえ、物を破壊する音が聞こえてきて、怖くなって自分の意思で動くことをやめてしまったそうです。
それでも、夜になると、たまに意識が浮上することもあり、そのときは、ひたすら「お願い助けて」と祈っていたのだとか。
「おねがい、聞いてもらえた。ロザの中から、こわいの、いなくなった」
「そうね、ええ、いなくなったわね」
「ねぇしゃまにも、さわれるようになった。ねぇしゃまと、お茶飲んで、お菓子食べたかった。おしゃべり、したかった。会いたかった……うぅっ、ひっく……」
「ええ、そうね。会いに行かなくて、ごめんなさい。寂しかったわよね。これから、お茶もお菓子も一緒にできるようになるわ」
「うん。……でも、ねぇしゃま、忙しい?」
「あぁー、ええ、そうね。しばらく忙しくなると思うわ。でも、わたくしだって生きているのですから、食事もするし、お茶を飲んで休憩もするわ。だから、そのときは、一緒にしましょう?」
「うんっ。する!いつでも一緒できるように、ねぇしゃまの、そばにいるね」
「ええ。……え?」
何か、ずっとそばにいるというように聞こえたのですが、さすがに本当にずっとそばにはいません……よね?
ロザリンドには、ロザリンドの生活がありますし、わたくしが即位してしまうと、彼女はお父様が退位後につく伯爵家の令嬢という立場になるのですから、女王となったわたくしのそばに常にいるということは無理があると思うのです……。
それに、まだ10歳になっておらず、お披露目会も済ませていないことから、公務のあるわたくしについて来ることも出来ませんし。
あら?これでは、死ぬ前のときと同じように、お披露目会を済ませていないロザリンドが公に出て来てしまうことにならないかしら?
でも、さすがに、それはありませんよね?魔眼の影響がなくなった今、ロザリンドがワガママを言っても通ることは無さそうですもの。
え、ないわよね?
そうね、ないわ、きっと。ええ、大丈夫よ、たぶん、きっと……。
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