閑話 アーデルハイトに会えるまで、あと少し
テルネイ王国国王は、小さな墓石を前に祈る、妻の一人である側室を静かに見つめていた。
その小さな墓石には、「名もなき小さな命・セラフィマ」と彫られているのだが、セラフィマの文字は最近になって彫られたものである。
祈りを終えた側室は、ゆったりと立ち上がると、「いつか、この子に会える日が来るといいわね……」と、背後にいた国王に振り返って声をかけた。
「それは、神のみぞ知ることだろう。縁があれば会えるさ」
「そうね。……流れた子に会えるわけもないのだから、諦めるしかないのは分かっているのです。何も子を亡くしたのは、わたくしだけではありません。産声をあげることもなく天へ帰って行った子は、世界中にたくさんおりますものね」
「そうだな……。お前たち妃には、辛い思いをさせた。だが、その重圧も終わる」
「わたくしたちが終えるだけで、あの国の王太子は背負っていかなければならないのよ?あの子も、セラフィムも一緒に背負っていくことになるのでしょう?」
「ああ。だが、あの王太子は祖となる王の証を得た。何をせずとも産んだ子には証が現れるだろう」
「でも、その先は……?いつまで、わたくしたち王族は、この重圧に耐えていかなければならないの?……あのまま、証なきまま国が存続していければ、証持ちなど不要な世界になると思っていたのに」
王たる証を持つ子を産んだ側室は、この証持ちについて、いつも考えていた。
神が与えるものなのだとは聞いていたし、テルネイ王国の先代国王が持っているのだから、存在は確かなものなのだろうとは思っていたのだが、それを本当に神が与えているのかは疑問だったのだ。
だが、アイゼン王国から王太子アーデルハイトが祖となる王の証を手にしたとの連絡があり、訪ねてきた教皇もそれを認めていることから、本当に神が与えているのだと知った。
教皇から、何を基準に選ばれているのかは教えてもらえなかったが、証持ちが現れた以上、やはり国にそれが必要なのかと、きつく手を握り込んで下を向いてしまった。
自身は役目を終えられたけれど、これから担っていかなければならない後進を思うと、愚痴りたくもなったのだろう。
「ここでならば他に聞こえないだろうから話しておく。国の移行は恙無く終えた。あとは、公の場にて調印式を済ませるだけだ」
「普通は調印式でサインをするものなのでしょう?」
「ただの条約などであれば、な。今回のように国が吸収されるようなものは、事前に済ませておくものだ。何せ国璽が必要だからな」
「……国璽が必要?……ま、まさか」
「テルネイもアイゼンも終わる。教皇様にセラフィムに全権を委任すると国璽と共に書類を預けていたが、セラフィムはやり遂げてくれたようだ」
「きょ、教皇様に、なんということを……」
「ははっ!誰も恐れ多くて、そのようなことなど思いつきもしないだろうな。バレずに事を終えたよ。教皇様からは『腹に据えかねたのですねぇ』と笑われたよ。政治に関与しないとされている教会のトップが、国璽と委任状を運んでくださるとは思えなかったが、何事も言ってみるものだな」
「怖いもの知らずとは、このことですわね……」
呆れた様子で夫である国王を見た側室は、苦笑して空を仰ぎ見た。
秋の高く澄んだ空は、息子から届いた手紙にあった色を思わせ、「こんな色なのかしらね」と、微笑んだ。
秋の冷たく澄んだ水色の空を思わせるその瞳を見ていると、豊穣の季節に歓喜するように心が騒めくのだと、そう書かれていたのを思い出し、いつの間にか、こんなマセたことを言うようになってと、子供の成長を嬉しく思うと共に、親の元を離れていく寂しさも感じていると、先程のつぶやきに国王が言葉を返してきた。
「何の色が?」
「アイゼン王国にいる王太子殿下の瞳の色よ。秋の高く澄んだ空のような色なのですって」
「それはまた冷たそうな色だな」
「惚れた相手の色であれば、どのような色でも美しく見えるものよ」
「確かにな」
「あなたの好きな色は?」
「よしてくれ。それを言うと諍いになるだろう?」
「ふふっ、妻が何人もいるのは、大変ね?」
「答えに窮するようなことを聞かないでくれ。セラフィムを送ったことをまだ怒っているのか?」
「側室としては納得していますが、母として怒らないわけがないでしょう?でも、好きな人が出来て、その人と支え合って生きていけそうであるならば、送り出して良かったとも思っているわ」
側室をエスコートしながら霊廟をあとにした国王は、墓前で話したことを秘密裏に王妃たちにも伝えて、備えておくように言うと、数日後にアイゼン王国へと向かったのだった。
アイゼン王国では、王太子アーデルハイトの即位に向けて着々と準備が進められており、既に過激派は片付けられた後である。
そこで、テルネイ王国にいる過激派が不審に思わないように、油断させるために嘘の報告を魔鳥で飛ばしており、テルネイ王国の過激派たちは、アイゼン王国がテルネイ王国に吸収されたのだと思い込んでいる。
テルネイ王国国王は、彼らの顔が屈辱に歪む様子を見たいがために、テルネイ王国にいる過激派たちに声をかけたのだ。
「自身の目で見ようではないか。
膝をついて歯噛みするのは、過激派たちになるのだろうと、その様子を思い浮かべたテルネイ王国国王は内心で愉快だと笑う。
お前たちが望んだ通り、テルネイとアイゼンは一つになる、と。
テルネイ王国国王が教皇に国璽と委任状の運搬を頼んだことは、彼からすれば一世一代の勝負と言っても良いものだった。
断られた結果どうなるか皆目見当もつかず、咎められることがあれば、背負うのは自分だけでは済まされない可能性もあったため、受けて貰えたときの安堵は、はかり知れないものがあった。
教会は、貴賎を問わず手を差し伸べる場であるとしており、政治に関与はしない。
しかし、教皇の行動は、神託によって決まることがほとんどであるため、依頼された内容を神が是とするのであれば、その依頼を受けて行動に移れる。
今回のテルネイ王国国王の依頼は、神から是とされたため、教皇は国璽と委任状を預かり、アイゼン王国にいるセラフィムへと渡すことができたのだ。
そして、船に揺られること幾日か。
テルネイ王国国王は、過激派こと引き渡す予定の罪人を連れて、アイゼン王国の地に辿り着いた。
先祖が帰りたくても帰れずにいた、その地を踏みしめている感覚……。
そう思ったところで、これといって何も浮かばないことにテルネイ王国国王は、内心で「やはり、私にとっての故郷とは、テルネイのあの群島だな。アイゼン王国に辿り着いたとて、何とも思わん」と、ボヤいた。
過激派たちが、アイゼン王国の地を踏みしめたことで興奮しているのを冷めた目で見ているテルネイ王国国王は、喜んでいないのがバレるのも面倒だと思い、嬉しそうな顔を微かに作った。
(まあ、あの愚か者共が落ち行くサマを想像すれば、自然に笑顔にもなろうというものだ。あと少し。あと少しで悲願の達成だ。それまで気を抜くわけにはいかん)
テルネイ王国国王は、委任状と国璽を預け、大変な重荷を背負わせてしまった
「年内に王都へ入るぞ」
「随分な強行軍になりますねぇ」
「心配いらんさ。さっさと行きたいのは、
「確かにそうでございますねぇ」
「…………まだ気にしておるのか?」
「カジミールは、浅慮なところがあるとは思っておりましたよ?セラフィム王太子殿下とおバカをやってはドナートに叱られて。でもですねぇ、王太子殿下とはいえ、子供なのですから、それもまた必要なことと、温かい目で見守っていたのですがねぇ。浅慮なだけではなく愚かだったとは、わたくしめも耄碌したものです」
「父親に少しでも似ていてくれれば良かったのだろうがな。母親に似たのが運の尽きだ」
「多少、頭が回るところがあるようでしたので、そこは夫に少しは似たのでしょうねぇ」
カジミールが国家転覆に関与しているとして、彼の父親は、テルネイ王国国王の侍従を辞して、カジミールの母親を連れて蟄居とすることにしたため、この場にはいない。
表向きは病として、カジミールの母親は看病のため夫に同行したとされているので、不審には思われていないが、忠誠心が高過ぎるのも融通が効かなくて困ると、テルネイ王国国王は思っていたりする。
そして、テルネイ王国国王の側付きとして同行しているのは、ドナートの母親であり、セラフィムの母方の伯母でもある人物だ。
現在、ドナートと魔鳥のやり取りをしているのは彼女なのだが、あまり頻繁にやり取りをしていては、過激派から不審に思われる可能性があるとして、それをドナートに伝え、緊急時以外は頻度を抑えてやり取りをしている。
ドナートの母親が空を見上げると、物凄い速さで飛来するものがあった。
「あら?魔鳥でしょうか?」
「何かあったのでなければ良いが……」
「少し御前を失礼いたします」
「ああ、構わんよ」
頑丈な腕カバーを装着すると、旋回していた魔鳥はヒラリと、その腕に舞い降りた。
魔鳥に取り付けられていた筒から取り出した手紙には、「宿泊されるであろう場所には、既に人員の変更は済ませてあります」とあった。
つまり、立ち寄ることになるであろう過激派のいる領地には、既に替え玉が用意されており、テルネイ王国にいた過激派たちがアイゼン王国を吸収できたと思い込んだままでいられるようにしてある、ということである。
「陛下」
「何だ?」
「立ち寄る予定になりそうな場所は、既に人員の変更は済ませてある、とのことです」
「ほぉ……、それはそれは。用意が良いな」
「ええ、本当でございますねぇ」
ニヤリと笑い合う主従は、引き渡す予定の罪人であるテルネイ王国の過激派たちを連れて王都を目指した。
しかし、どの宿泊先でも、過激派としか思えない人物たちが対応に出てきており、中にはテルネイ王国から来た過激派たちと仲良さげに話し込む者までいたことから、テルネイ王国国王たちは不安になってきていた。
本当に、過激派たちは替え玉なのだろうか、と。
そんな不安な様子が少し雰囲気に出てしまっていたのに気付いたのか、アイゼン王国にいる、とある過激派と思しき人物が、ドナートの母親に声をかけてきた。
「如何ですかな?」
「何がでございますか?」
「わたくし共の役者ぶりに決まっているではないですか」
「……本当に演技ですの?テルネイ王国にいた者たちと、やり取りをしていた内容までご存知のようですが?」
「フッ……。当然ですとも。彼奴らが隠す暇もなく、一斉に捕縛に動きましたからな。証拠もほとんど押さえることができましたよ。それにしても、ククっ。過激派共がやり取りしていた手紙を手元に残していたとは、驚きでしたがね。残しておいて、脅しのネタにでも使うつもりでいたのか。どう考えても自分が脅されるネタにしかならんだろうに」
「えぇ……?残っていたんですか?やり取りの手紙が?ありえないわ。……え?わたくしたちって、そんなアホ共にいいようにされて来たということなの?」
「魔眼の影響もあってのことでしょうな。これからは、そのような愚か者共が日の目を見ることなどないのですから、大丈夫だと思いますよ」
アイゼン王国にいた過激派を捕縛後に尋問し、その情報と共に押収した手紙類から、やり取りの内容を推測し、見事に過激派を演じた替え玉たちは、王都へと向かうテルネイ王国国王の一行を見送ると、互いにニヤリと笑って肩を叩きあった。
アイゼン王国を吸収できたものだと信じ込んでいる、テルネイ王国の過激派たちは、浮かれてしまったために、少々のことならば気のせいだと判断し、違和感をそのままにしてしまっていた。
手紙のやり取りだけで、直接言葉を交わしたことはなく、面識があったとしても、それは互いの側近や、どうかすると下っ端の人員であったため、今回対面した者たちが本人であるかなど、分からなかったのである。
それでも、手紙に書かれていた文字の癖やサインなどを見比べれば、字が違うと知ることも出来ただろうが、その確認も怠っていた。
過激派たちは、国王が自分たちに逆らわないと信じて疑わないため、国王が口にした「恙無く国の移行を終えた」という言葉を自分たちの都合のいいように解釈してしまったのだ。
しかし、文字を比べられて、そこに違和感を持たれても大丈夫なように、色々と小細工や言い訳を用意していたのに、それらを披露する機会もなく済んでしまった。
そのことに少々、残念な気持ちを抱きつつも、替え玉となった人員たちは、テルネイ王国ご一行が出発した翌日には、王都へ向けて移動した。
「せっかく言い訳を用意したり、サインを真似て練習もしたのだが、全く使わなかったからな。せめて、彼奴らが絶望する顔くらいは拝みたいものだ」
「あなた、『せめて』の使い方がおかしくありませんこと?」
「……やめろよな。お前、いつまで女房気取りでいるつもりだよ?」
「あら、いいじゃありませんの」
「良かないよ。何が悲しくて実の娘に女房面されなければならんのだ。しかも、その顔、化粧だよな?何でそんなに老けた顔になるんだ?お前、嫁入り前だったよな?どう見ても私の同年代に見えるぞ?」
「すごいでしょう?これ、ドナート様にお教えいただいたのよ?」
「そうなのか。さすがは、王太子殿下の侍従殿といったところか」
「……お父様、本気でおっしゃってます?」
「薮をつついて気付かないうちに死ぬことだってある。あまり気にするな」
「……そうですわね。気にしないことにしますわ」
テルネイ王国国王たち一行と、替え玉となっていた人員が王都に着くまで、あと少し。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます