9 過去に怯えるアーデルハイト
セラフィム王太子殿下の求婚を受け入れたので、エスコートは陛下ではなく、セラフィム王太子殿下にしていただくことになりました。
予定としましては、陛下とわたくしが入場いたしまして、陛下のご挨拶を拝聴した後に、セラフィム王太子殿下が入場されることになっておりましたが、セラフィム王太子殿下がわたくしをエスコートしたいとおっしゃるので、陛下と共に三人で入場することになったのです。
ワガママを言って申し訳ないと眉を下げるセラフィム王太子殿下でしたが、「アーデルハイト王太子殿下をエスコートしていることで、周りは私たちの婚約が決まったのだと判断できるだろうからな」と、ちょっと嬉しそうでした。
こういう、好きなものを好きなのだと声に出して主張し、手に入れようとされるのは、少し羨ましいものがありますわね。
死ぬ前のときのクセで、大事なものをことごとく奪われてきた過去が、わたくしを止めようとするのです。
また、奪われたら、どうしよう……と。
でも、大事に思っているもの、大切なものを、今のところ誰にも奪われることなく過ごせているので、この手をもう少し広げて増やしていこうかと、そう思っております。
歓迎会の会場へと繋がる扉前にいる使用人から、陛下の側仕えへと報告が入り、「入場の時間となりました」と、声をかけられました。
死ぬ前のときの歓迎会は、立席ではなく席を用意して、王族が挨拶に回るようにしていたのですが、それは、ヴィヨン帝国の第三皇子殿下と仮婚約をしていたからそうしていたのであって、今回はセラフィム王太子殿下とは婚約に至っていませんでしたから、立席にしたのです。
歓迎会ですので、セラフィム王太子殿下に「お好きにどうぞ」と放置するようなことはしませんが、気になったご令嬢がいれば、そのお方とお話ができるようにするつもりでいました。
…………何やら、こう、スン……となりますわね。
セラフィム王太子殿下が、どこかのご令嬢と仲良くされようとしているのを想像しますと、スン……となります。
これが、セラ様のおっしゃっておられた、嫉妬というものなのでしょうか?
まぁっ、わたくしが嫉妬!ふふっ、随分と感情豊かになったものですわ。無感情無表情のお人形と呼ばれた、わたくしが!
「うん?何やら楽しそうだね、アーデルハイト王太子殿下」
「え?そうかしら?」
「うん、とても楽しそうな顔をしているよ」
「楽しい……のかしらね?」
「自覚がなかったのか……。あ、あのっ、その、だな。その……、愛称で、よびたいの、だが?良いだろうかっ?」
「えっ。愛称で、ですか?えっと、構いませんけれど……」
「そうか!!では、その、よ、よろしくな、ハ、ハイジ」
「うぅ……。こちらこそ、よろしくお願いしますわ。……照れますわね」
「私のことも是非っ……、うむ、私のことは、フィムと呼んでくれないか?」
「あっ……、そう、ですわね。ええ、では、フィム、と」
ヴァルター卿の「初々しいですなぁ〜」という声に更に顔が熱くなりましたが、会場へと繋がる扉が開かれるようですので、心を落ち着けて、平常に戻しました。
使用人によって扉が開かれ、会場に入ると、皆が頭を下げて礼をとっていました。
10歳になったばかりの子息令嬢は少し甘さがございますが、それも緊張していれば仕方のないことですからね。チラリと陛下の方へ視線を向けますと、微笑ましそうに目元を緩めておられました。
厳かな表情に戻した陛下は、「皆の者、面をあげよ」と仰せになられ、歓迎会の始まりの挨拶をされました。
「今日は、テルネイ王国王太子であるセラフィム王太子殿下の歓迎会に集まってくれたこと、感謝する。急なことではあるが、アーデルハイトがセラフィム王太子殿下にエスコートされていたことからも分かる通り、二人の婚約が決まった」
婚約した二人が王太子という立場であることに困惑する者がいる中で、セラフィム王太子殿下の妃の座を狙っていたらしき令嬢は憎々しげな表情で、わたくしを睨んでくるのですが、少しは感情を隠すべきではないかしらね?
わたくしとセラフィム王太子殿下が、互いに王太子という立場なので、二人の婚約はないと思って、自身が選ばれる可能性に期待していたのかもしれません。
まさか、テルネイ王国国王陛下が過激派に腹を立てて、こちらへの吸収に踏み切るとは、誰も予想できないものね。
横から視線を感じ、そちらに目を向けると、セラフィム王太子殿下が頬を染めて嬉しそうにわたくしを見ていました。
このような視線を向けられたことなど、死ぬ前も含めてなかったものですから、どうして良いのか分からず、とりあえず頷いておきました。何に対して頷いたのか自分でも不明ですが……。
陛下のお言葉が終わりまして、セラフィム王太子殿下のご挨拶となったとき、ふいに鳴るはずのない音が会場内に響きました。
ギィィィ……と、
そんな音が響いたのを聞いて、胸の辺りがドクリ……と、嫌な音を立てた。
気持ちの悪い汗が背中を伝い、指先が冷えていくのを感じながら、視線を扉へと向けると、そこには、儚げな雰囲気に、悲しそうな顔をしているのに、目だけは嫌らしく笑みをたたえているロザリンドがいました。
…………どう、して?
今日だけは、必ず王宮から出させないようにと、陛下が厳命してくださっていたはずなのに……。
魅了の魔眼に惑わされないように、人員も増やして対処していたのに、どうして……。
ふいに、ゾワリ……とした空気が肌を撫でたような感じがして、咄嗟に腕をさすると、陛下から小さな呻き声が聞こえました。
まさかと思い陛下を見ると、頭痛を堪えるような仕草で顔色も悪くなり、目の焦点も合っておられないような感じでしたので、魔眼の影響かもしれません。
ヴァルター卿に視線を向け、「陛下を」と何とか小さいながらも声を発することが出来たので、指示を出せたのですが、その途端に彼は、「総員っ!!速やかに対象を庭へ退避させよ!!」と、空気がビリビリと震えるような大声を張り上げました。
万が一のときのためにと、扉や庭へと出られるテラス窓付近には、ヴァルター卿のお家であるベルトラント侯爵家の方々が待機されていたようで、速やかに動き出してくれたのですが、ロザリンドの周囲に展開していた護衛たちの方が数が多く、なかなか思うように行動を取れずにいるようです。
切って捨ててしまえば早いのでしょうが、歓迎会の会場内ということと、陛下や他国の王太子といった王族の前で、流血沙汰は控えたいといった思いから、手加減してしまったのかもしれません。
しかし、あちら側は手加減などすることはなく、容赦なく反撃してきており、ベルトラント侯爵家の方々が押されぎみになっているようです。
そんな様子などお構い無しにロザリンドは悠然とした歩みで、こちらへと近付いてきて、「おねぇさまぁ、酷いではありませんか。いつも、いつも、わたくしを除け者にして、閉じ込めて、ご自分だけは、このような華やかな会を開くだなんて。皆様もあんまりだと思いませんこと?」と、愛らしく首を傾げました。
「わたくしを除け者にして、お父様を洗脳して、おねぇさまは、この国を支配しようとしていたのでしょう?帝国の皇子様に袖にされたら、今度は違う国の王子様を誘惑して。なんて、はしたないのかしら」
「ちが……」
「違わないでしょう?おねぇさまったら、わたくしのことを、まるで魔物のように言うのだもの。お父様を洗脳して、王子様を誘惑する、おねぇさまの方が魔物だというのに」
「そんな……、ちがっ……」
「だって、そうでしょう?おねぇさまには、魔獣馬が従ったのだから、それこそが、おねぇさまが魔物である証拠だわ」
ロザリンドの言葉に、ざわつく会場内。
疑うような周囲の視線に、死ぬ前のときの情景と重なり、息が出来なくなっていく。
「おねぇさま、もう十分楽しんだでしょう?お遊びはお終いにして、お父様を解放してください。おねぇさまが魔物だったとしても、王族の血を引いているのですから、きちんと過ごさせてあげますから、安心なさって?お婿さんは、わたくしが選んで差し上げますわ。きっと、わたくしの
「悪いが、ハイジを誰にも渡すつもりはないよ。私の婚約者だからね」
「……あら?そう。王子様は、おねぇさまに洗脳されていないのね。つまり、魔物なおねぇさまの意見と同じということかしら?そんな危ないお人には、退場してもらわなくてはいけないわ」
ロザリンドは、歩みを止めることなく、こちらへと近付いてきて、「ねぇ、あなた達もそう思うでしょう?」と、セラフィム王太子殿下のそばにいた側近たちを見つめた。
それを見たヴァルター卿がわたくしを守るようにして前に出て、周囲から距離を取れるように少し身体の位置をずらしたところで、ドナート殿が「確かにアーデルハイト王太子殿下に都合の良い話ばかりを耳に致しましたね」と、口にしました。
「何を言うのだ、ドナート!?」
「私共は、アーデルハイト王太子殿下から、第二王女殿下が魔眼持ちだと聞かされましたが、それを確かめたことはないのですよ」
「なっ!?しかし……っ」
「教皇様から認められた王の証を持つと仰せになられたいのでしょう?しかし、その教皇様が、アレ(印璽)を持ってこちらへ参られるというのは、どうもおかしな話ではありませんか?それこそ、アーデルハイト王太子殿下がテルネイ王国をも手中におさめるために、教皇様を洗脳したのでは?」
「ハイジがそんなことするはずがないだろう!!」
もしかして、ドナート殿も魔眼の影響下に入ってしまったのでしょうか……。
また、わたくしは、誰にも信じて貰えず、ひとりで死んでいくのかしら……。
そう思ったとき、温かなものが指先に触れました。
その温かなものは、わたくしの指先を握り込み、そして、しっかりと手を握ってきたのです。
「アーデルハイト王太子殿下。大丈夫、私がいる」
「ぇ……。グリ、ゼルダ……嬢?」
「はい。グリゼルダですぞ」
わたくしの手を握っているのは、グリゼルダ嬢でした。
そんな彼女の言動にセラフィム王太子殿下は、「いや、そこは、私の役なのだが?」と、不満そうにしています。
相変わらず眼帯をつけているグリゼルダ嬢は、強い意志を込めた視線をロザリンドに向けたあと、セラフィム王太子殿下へと剣を振り上げました。
ザパ……っという音がしたと同時に、赤い色が舞い散り、視界が真っ赤に染まりました。
「え……」
「フィ、ム……?」
処分は如何様にでもなさってくださいと言ったグリゼルダ嬢の手には、セラフィム王太子殿下から切り落とした、彼の真っ赤な長い髪が握られていました。
何故、グリゼルダ嬢がセラフィム王太子殿下の髪を切り落としたのかは分かりませんが、本人に言って切ってもらえば、不敬に問われることはないと思うのですけれど……。
そんなふうに思っていたわたくしの横でグリゼルダ嬢は、自身の眼帯を外し、セラフィム王太子殿下の髪を掲げました。
「我が右眼に封印されし力よ。朝焼けの炎を
「いや、何で、この状況で、それをやる!?私も小さい頃ごっこ遊びでやったが、何故、今やる!?て、あっつ!!私の髪が本当に燃えたぞ!?」
「ぐぁ……っ」
「フィム!!グリゼルダ嬢っ!!」
グリゼルダ嬢が切ったことで、肩までになっていたセラフィム王太子殿下の髪は、彼女が掲げていた髪が燃えたことで、本人の髪にも引火してしまったようでした。
そして、それと同時に、グリゼルダ嬢の右眼から炎が噴き出し、キーーーンという耳鳴りのような音が、どこからともなく聞こえてきました。
ハッとして、ロザリンドの方を見ると、憎々しげに顔を歪めており、何かが起こったと感じたのか、逃げようとしたのかもしれません。
しかし、控え室がある方へと身体の向きを変えようとしたところで、その行動が不自然に止まり、右足を引きずりながら移動しようとしています。
何が起こったのか分からず、見ているだけになってしまいましたが、憎しみに歪んだ表情のロザリンドの顔の右半分が、辛そうに変わり、右側の唇だけが動き、「ねぇ……しゃま」と、掠れた言葉が紡がれました。
左目は控え室のある方を向いているのに、右目は、わたくしの方を向いているという、恐ろしい状態になっています。
「もしかして……、ロザリンド?あなた、ちゃんと中にいるのね!?そうなのね!!魔眼とは別に、ちゃんと中にいるのね!?」
「ど、どういうことなんだ、ハイジ!?」
「あぁっ、フィム!髪がチリチリになってるわ!!」
「いや、私の髪など、後で良い!!それよりも、中にいるとは、どういうことなんだ!?」
セラフィム王太子殿下の問いに答えようと口を開いたところで、ガシャーーーンっ!!とガラスが割れた大きな音が響き、再び視界が赤に染まりました。
咄嗟にわたくしを庇ってセラフィム王太子殿下が覆いかぶさり、更にその上から恐らく陛下が庇ってくださったようでした。
その瞬間。
耳をつんざくような絶叫が響きました。
「ギィヤァアアアアーーーーーっ!!!」
「っ!?なに?何が起きてるの!?」
「ハイジ殿下。炎が、……炎が第二王女殿下を貫いたようです」
「ロザリンドっ!?はやく、早く助けなくては!!あの子は、あの子は、きちんと中にいるの!!」
「ハイジ殿下、……もう手遅れです。炎が第二王女殿下の頭部を貫いて消えていきました」
「いや……っ、いやぁああああ!!ロザリンド!!ロザリンドーーーー!!」
知らなかった!!あの子が、魔眼とは別にいただなんて!!どうして……っ、なんで……。これでは、死ぬ前のときのわたくしと同じじゃない。あの子は何も悪くないのに。最後は、魔眼に抗っているようにも見えた。
もしかしたら、魔眼に支配されていただけで、そのうち、打ち勝つことが出来るようになったかもしれないのに。
「儂が見てきます。陛下、セラフィム王太子殿下、ハイジ殿下をお願いいたします」
「……頼んだ」
「わかった、ヴァルター殿。任せてくれ」
陛下が、わたくしの視界を遮るようにして頭を抱きかかえ、周りを見えないようにしてしまいました。
「グリゼルダ嬢。意識はあるか?」
「ヴァルター卿。何とか無事ですぞ。痛み止めと回復薬は口にしましたので、とりあえず大丈夫です」
「すぐに治療にかかれ。右目の周りも
「どうりで痛いと思ったら……」
「グリゼルダ嬢、第二王女殿下に何をしたのだ?」
「第二王女殿下に、というのではなく、私は、右眼に封印されていた
「
グリゼルダ嬢が言うには、彼女の右眼には、
母親が残していった文献や資料、研究書類などから、その力を解き放つには、「朝焼けの炎」というものが必要なことまでは分かったそうなのですが、その「朝焼けの炎」が何か分からずにいたのだとか。
それがセラフィム王太子殿下の髪、というより、テルネイ王国王家の燃えるような赤い髪なのではないかと思ったのは、セラフィム王太子殿下の何気ない話からだったそうです。
彼が王都へ来るまでに立ち寄ったところに、グリゼルダ嬢の曽祖父であるグスタフ様の家もあり、そこで歓待したときに耳にした話の中にヒントがあったらしいのです。
「テルネイ王国王太子殿下が幼少の頃にしておられたという、ごっこ遊びの文言は、母上が残していた資料にも書かれていたのです。それで、もしかしたらと思い、確かめた結果、当たりでしたので、決行しました」
「当たりだった?」
「はい、ヴァルター卿。メイドに頼んでテルネイ王国王太子殿下の御髪を1本だけ入手してもらい、試した結果、右眼に封印されていた力が微かに動いたのです」
「知らないうちに私の髪で実験されていたぞ……。まぁ、次はないようにしてくれ」
「申し訳ございませんでした」
話を聞きながらではありましたが、ヴァルター卿はロザリンドを確認してくれたところ、両目とその周囲が焼け
魔眼がどうなっているのか不明なため、ロザリンドの周囲をベルトラント侯爵家の面々で固めて、城にある医務室へと運ぶようにヴァルター卿が指示を出したのですが、ベルトラント侯爵家の面々も戦闘でかなりボロボロになっているので、そのまま一緒に治療されるようです。
穏健派や過激派などに分かれているとはいえ、テルネイ王国派の貴族たちには、今回の出来事が何だったのかは察しているのですが、そうではない貴族たちは混乱するのみであったため、陛下より後日、改めて説明の機会を設けると言われ、突然の戦闘に怯えた子供たちを連れて、渋々帰っていきます。
そして、ホッとしてしまったわたくしは、力が抜けて、その場で意識をなくしてしまったのでした。
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