閑話 王妃となったセラフィマ

 わたくしが生まれたとき、それはもう歓喜に包まれたそうです。

待望の王たる証を持つ者の誕生とあって、王族から安堵の息が漏れる中、王たる証のことを知る臣下たちは、祖国奪還の準備と、わたくしの王配の席を巡って水面下で激しく競り合う日々でした。


 いくら王たる証を持っていようとも、暴君や愚者になってもらっては困ると、わたくしは周囲の王子や王女よりも厳しく育てられましたが、その分、両親や周りの者たちからは、たくさんの愛情を注がれました。

辛くても、その辛いことの後には必ずお母様が優しく抱きしめて褒めてくださいましたので、なんとか頑張って来られたのです。


 そんな日々を過ごしておりましたが、わたくしの婚約者候補の席は空白のまま、10歳のお披露目会を迎えました。

周りの令嬢たちはお披露目会を終えると共に婚約している者が多く、その中には王配の最有力候補だと言われていた子息もおりまして、その子息と婚約している令嬢からは、愉悦に満ちた目で「きっと陛下は、もっと素晴らしいお方を考えておられるのでしょうねぇ?」と言われたわ。


 しかし、蓋を開けてみれば、わたくしに用意された相手は、親子ほど年の離れたアイゼン王国の国王陛下でした。

やはり……という気持ちと、どうして……という悲しい気持ちでいっぱいになりましたが、テルネイ王国国王陛下であるお父様から、「すまぬ、耐えてくれ……。奪還した後は、なるべくお前の意志を優先させてやるから」と言われてしまえば諦めるしか無かったのです。


 テルネイ王国は、祖国奪還を掲げる過激派の方が幅を利かせているため、わたくしが抵抗しようものなら、国王陛下の側室であるお母様を人質に取られてしまうもの。

お母様だけではないわ。王たる証を持つ者を産むため、重圧に押し潰されそうになっていた王妃様と他の側室たちも、わたくしの誕生を喜んでくださった。そんな彼女たちも人質になってしまう。


 そして、準備が整ったということで、穏健派の令嬢たちからは嘲笑の眼差しを、過激派の者たちからはギラギラとした眼差しを向けられながら、わたくしはアイゼン王国へと出立しました。

このとき、海の上で16歳の誕生日を迎えたことに、一緒について来てくれた幼なじみでもある執事のカジミールが憤慨していましたが、過激派にとって王たる証を持つ者よりも、祖国奪還の方が大事なのだから、仕方がないと宥めるのが大変でしたわ。


 過激派にとって、王たる証を持つ者でさえも道具の一つでしかないのよ。

どれだけ優秀な者が他にいようとも、王たる証を持つ者が即位する決まりだから、仕方なくそうしているだけなのが分かるわ。


 船に揺られ、アイゼン王国に上陸すると、気味が悪いほどの歓迎ぶりでした。

あとになって、アイゼン王国の王都へと向かう旅程は、全て過激派がいる場所ばかりだったのだと、側仕えのドナートから聞かされました。


 側仕えのドナートは、カジミールの兄なのですが、幼い頃はカジミールと共によく叱られたわ。


 テルネイ王国の王たる証は、時戻しという能力なので、対象の時を戻すことが出来ます。

それを使ってわたくしは、イタズラをして割ってしまった花器などを元に戻して証拠隠滅をしていたのですが、年代物になると、戻し過ぎて新品になってしまい、すぐにバレてしまったのよね。


 でも、そのおかげもあって、維持するのが困難になってきた年代物の品々の時を戻し、後世に残していくことが出来るようになったのよ。


 過激派に屈しながらも、それでも愛情に溢れた日々を叱られながら送っていたわたくしの人生は、アイゼン王国へ来てから苦悶と苦難に満ちていました。


 アイゼン王国王太子アーデルハイト殿下に初めてお会いしたときの、あの気持ちは言葉には出来ません。

過激派が祖国を奪還するために都合よく扱った結果、彼女は人形のように表情も感情も動かすことはなかったのです。


 でも、誰も見向きもしないから、全く気付いていなかったみたいだけれど、何の感情も浮かんでいないように見えて、アーデルハイト王太子殿下の瞳には怯えが潜んでいました。

どうしても気になって、ドナートに探ってもらったところ、彼女は言葉とムチによる暴力を受けているということでした。


 ねぇ……、一人の少女をこのように追い詰めて、苦しめて、そんなことをしなければ、国の奪還は叶わないものなの?

一人の少女の犠牲で済むなら安いものだとでも言うの?


 ドナートが連絡を取りあっていた穏健派に属するマヌエラという年配の女性から得た情報によると、アイゼン王国国王陛下の先妻である亡き王妃殿下は、過激派によって消された可能性があるということでした。

マヌエラが王宮侍女長のままであれば、病気療養程度で離宮に匿うことも出来たらしいのですが、王妃殿下はマヌエラを嫌がり、王宮侍女長の任を解いてしまったため、助けることが叶わなかったそうです。


 本当に?本当に助けるつもりがあったの?助けるつもりがあったのなら、どうしてアーデルハイト王太子殿下には手を差し伸べなかったの!?

わたくしが、家族に囲まれて幸せな日々を過ごしていた、あの頃。アーデルハイト王太子殿下は、家族から引き離され、暴力に晒され、蔑まれていたのに!!


 「申し訳ございません、セラフィマ様。過激派が周りを固めているため、どうすることも出来ないのです」

「……いいわ、マヌエラ。分かったわ。もう期待などしないわ。わたくしがアーデルハイト王太子殿下を、いえ、ハイジを助けます。王になれば良いのでしょう?ここをテルネイ王国にすれば良いのでしょう?そうすれば、ハイジは解放されるのでしょう!?」

「セラフィマ様。慎重に行動なさってくださいませ。下手に動きますと、王太子殿下が消されます」

「どうして彼女を消す必要があるの!?」

「アイゼン王国王家の血を引いているからです。血を残していては、いつ魔眼が復活するか分からないのですから」


 バカバカしい。血に魔眼が流れているのなら、アイゼン王国の王侯貴族は全員魔眼持ちになっているわよ。どれだけの血が王家と貴族家で行ったり来たりしていると思っているのよ。


 勘でしかないけれど、恐らく魔眼は一つ。

誰かに出ていれば、そこにしかないのだと思うわ。


 つまり、今、魔眼を持っていると思しき第二王女ロザリンドが子を産まなければいいのよ。

最悪、彼女を消せば魔眼も消えるかもしれないけれど、魔眼持ちは周囲を魅了の影響下に置いた者で固めてしまっていて、手出しが出来ないという話よ。


 今まで何百年か知らないけれど、それほど掛かってどうにか出来なかったのだから、急いだところで、たいして変わらないわ。


 まずは、アイゼン王国国王陛下との関係を良好なものにして、ある程度、行動の自由を得なければ、と思い挑んだ初夜で、とんでもないことを言われました。


 「あ、あの……、も、もう一度おっしゃっていただけ、ますか?」

「すまない。……あなたに非は一切ない。王たる証を持たぬ王家は、私の代で終わらせたいのだ。だから、余は、あなたと閨を共にする気はない」

「いえ、でも……」

「酷なことを言うが、閨の相手は、あなたが選んでくれたら良い。その者との間にできた子を表向きは余の子として公表しよう。アーデルハイトは廃嫡とする」

「そんな……っ!?」

「それが望みなのであろう?」

「わたくしは、そのようなこと望んでおりません!!」


 つい、声を荒らげてしまいましたが、ここは、人払いがされているため、多少ならば大丈夫でしょう。

恐らく、過激派の者たちがアイゼン王国国王陛下を唆し、陛下と閨を共にしなかったことを知られないようにするため、人払いさせたのだわ。


 アイゼン王国国王陛下は、アーデルハイト王太子殿下のことを「ワガママばかりで手のつけられない出来損ない」だと言うのですが、本当にそうなのか尋ねても、優秀であったところで証を持っていないのだから、どの道、即位させることはないとのことでした。

公表せずとも、証を持つわたくしを女王とすることは可能だということで、子供を産むのは、秘密裏に即位した後にしてほしいと言われました。


 結局その夜は何事もなく終え、翌日には、疲れていたようだから寝かせてあげたというアイゼン王国国王陛下の言葉によって、わたくしが処女のままであることの説明がなされました。


 そして、秘密裏に即位した わたくしが相手に選んだのは、ドナートでした。

ドナートから、「カジミールの方が歳が近いけれど、私で良いのですか?」と尋ねられたので、カジミールのことは歳の近い兄のような弟のような感じにしか思えず、とても閨を共にする気にはなれないと答えました。


 でも、そのことが、あとで、あのような悲劇に繋がるとは思わなかった。


 ハイジが、わたくしの前でだけではありますが、柔らかな笑顔を見せてくれるようになった頃、わたくしのお腹に命が宿りました。

真相を知る者以外は、アイゼン王国国王陛下との間にできた子だと思っているようですが、本当はドナートとの子です。


 ドナートとの間にあるのは、戦友に対するような感情が主で、男女の色恋はありませんでした。

閨の時も様々な不満を解消するかのような、とても睦まじいとは言えないもので、終わったあとは二人でお酒を飲んでグダグダ言い合うことが多かったわ。


 でも、相手がドナートであるからこそ、周囲に知られることなく関係を持てたのですが、さすがに妊娠したので関係は終わらせましたけれどね。


 あんな痛みは二度と御免だわ、という痛さに耐えて産んだ子は、わたくしによく似た男の子でした。

といっても、ドナートとわたくしの母親は姉妹で、彼とは従兄妹になるので、わたくしに似た子が生まれる確率は高かったのですけれどね。

 ちなみに、ドナートとカジミールは異母兄弟なので、わたくしとカジミールに血縁はありませんわ。


 生まれた わたくしの子に「お姉様よ」と言って愛おしそうに、けれど、寂しそうに撫でるハイジには、とても言えなかった。

異母弟だと信じ込んでいる王子を介して、ハイジは、わたくしと家族になれたと思っていたから。


 過激派が望む通り、わたくしはテルネイ王国の者である、ドナートとの間に王子を産んだわ。

あとは、ハイジに「このままでは殺されてしまうから、だから、病気療養ということにして、王太子の位を降りて」と懇願するつもりでいました。


 徐々に公務も減らしていき、その穴をわたくしが埋めていけば、病気療養ということに信憑性を持たせられると思って……。


 それなのに……。

それなのに……っ!!


 どうして、ハイジがヴィヨン帝国の皇太子殿下を暗殺したなどと、そのような冤罪をかけたのですか!?

有り得ないでしょう!?誰に聞いても有り得ないと答えるわよ!!


 「でも、ですね、セラフィマ王妃殿下。ロザリンド殿下が間違いないと、そう仰せなのですよ」

「…………なんですって?」

「ですから、ロザリンド殿下が『お姉様は何てことを……』と、大層お嘆きになられているのですよ」

「ドナート……、あなた、本気で言ってるの?」

「はい。ロザリンド殿下が嘘を言うはずがありませんからね」

「……もういいわ、出て行って」

「セラフィマ王妃殿下?」

「いいから、出て行って!!」


 なんてことなの……っ!!

ロザリンドの影響がここまで来てしまっただなんて!!テルネイ王国の者たちは何をしているの!?わたくしやハイジの人生を踏みつけて従わせてきておいて、この惨状は何!?


 魅了の魔眼を防ぐ魔道具はどうなったの!?どうして、みんな、魔眼の影響下にあるのよ!?


 このままでは、ハイジが殺されてしまう!!


 冤罪を晴らせないまでも、何とか穏便に済ませられないかと、処刑ではなく、せめて幽閉にできれば、秘密裏に逃がすことも出来るはずだと動いていたけれど、魔眼の影響下にある者たちが増えてきたため、思うようにはならなかった。


 それに、王太子であるハイジが抜けたため、そちらの公務や執務もこちらに回って来てしまい、仕事に追われてそれどころではなくなってしまっていたの。


 何故、急にこれほどまでに魔眼の影響が強くなったのか、何か理由があるはずだと、仕事の合間を縫ってあらゆることを並べ立てていくうちに、とあることに気付きました。


 影響に変化があったと思われる時期にハイジが関係していたのではないか、ということです。


 わたくしの前でだけではありましたが、ハイジが元気そうに、楽しそうにしていた頃は、周囲に魔眼の影響をそれほど感じなかった。

その後、わたくしが子を産み、ハイジが寂しそうな顔をすることが多くなって来た頃、周囲に違和感を覚えることがあった。


 ハイジが元気だと魔眼が弱る。

それと、わたくしに魔眼が効かない。


 そのことをあわせて出てきた答え……。


 それは、ハイジは、祖となる王の素質があるのでは、ということでした。


 わたくしが輿入れしてから、魔眼の影響が少し減ったように思うと、マヌエラが言っていたことがあったのです。

王たる証を持つ者には、魔眼を抑える、または、弱らせる力があるのだとしたら、祖となる王になれる可能性があるハイジは、わたくしよりも強く影響を抑えられるのかもしれません。

 そうであるならば、魔眼を持つロザリンドがハイジを排除しようとしていることにも納得がいきます。


 ……大変だわ!!このままでは、ますます魔眼が力を持ってしまう。

わたくしが輿入れしてから減ったというのは、わたくしの力もあったかもしれないけれど、わたくしといることでハイジが元気になったからこそ抑えられていたのかもしれないわ!!


 これは、ますますハイジを殺させるわけにはいかないと、そう思っていたら、慌てた様子で駆け寄ってきた侍女のレギーナが、マヌエラが階段から落ちて重篤な状態だと報告してきた。


 マヌエラは、魔眼の影響下にあっても、自身の心情よりも現実的な思考を優先させていたので、まだ何とか協力体制を取れていたのです。

それが、階段から落ちたとなると、恐らく何者かによって突き落とされたのでしょう。


 もう、こうなったら、刺し違える覚悟でロザリンドを始末しに行くしかないかもしれないと、懐剣を握りしめて部屋を飛び出そうとしたところで、幼い息子が入って来てしまいました。


 「あぁ……。この子を置いてなど……無理よね。わたくしがいなくなれば、この子が何をされるか……」

「かあさま?」

「うぅ……」

「ん、かあさま、くるし」

「っごめんなさい。苦しかった?」


 ロザリンドは新たな皇太子となったヴィヨン帝国第三皇子のところへ輿入れすることが決まっているため、ことを起こすなら、ロザリンドがアイゼン王国にいる間にしなければ、手を出せなくなってしまう。

でも、それをすれば、……いえ、ロザリンドが死んでしまえば、魔眼の影響は消えるのではないかしら?


 魔眼の影響さえ消えれば、あとは大変だろうけど、普通の日常へと戻っていくでしょうし、王たる証を持っているわたくしが産んだ息子がいれば、国は正常に回っていってくれるかもしれない。


 王女を、ましてやヴィヨン帝国の皇太子と婚約している王女を殺めれば、わたくしがいくら表向きの王妃で、実質の女王であったとしても、ただでは済まされないでしょう。

でも、相手が普通の王女であれば、の話よね?アレは王女の皮をかぶった魔物だもの。問題はないはずよ。


 それに、過激派が祖国奪還のためにわたくしの息子を排除することはしないでしょう。

マヌエラは今の状態だと難しいかもしれませんが、ドナートにくれぐれも頼んでおけば、何とかなるかもしれないし、上手くいけば、わたくしは離宮での幽閉で済んで、今後も息子に会うことが出来る可能性もあります。


 本来ならば自害のために持たされる懐剣ですが、王たる証を持つわたくしに自害など許されるはずもなく、これ懐剣は護身用なので、猛毒が仕込んであるため、かすりさえすれば殺れるわ。


 覚悟を決めたわたくしに幼いながらも何かを察した息子は、きゅっ……とわたくしに抱きついて来ました。


 ゆっくり、ゆっくりと、息子の不安を取り除くように頭を撫でていると、扉がノックされました。


 「誰?」

「私です。カジミールです」

「……何の用?」

「ご報告にあがりました」

「……報告?何の?まあ、いいわ、入りなさい」

「失礼いたします」


 ニヤニヤとした、嬉しそうな笑みを隠しきれずに入って来たカジミールは、形式だけの軽い礼をとると、処刑が終わったと言いました。


 …………処刑?


 「処刑……って、誰の?誰が処刑されたの?」

「アーデルハイトに決まっているではありませんか!あの役立たずのお飾り王太子ですよ!本当に最後まで手をわずらわせてくれるっ。ロザリンド殿下が広場での斬首ではお可哀想だから、毒杯にしてあげてほしいと仰せになられましてね。さすがは、慈悲深い王女殿下ですよ。アーデルハイトとは真逆ですね、まったく」

「うそ……でしょ?どう……して?どうして処刑などしたの!!?ハイジは、ハイジはっ……。どこ!?会わせてっ、どこにいるのよ!!」

「セラフィマ様、落ち着いてください。アレに同情していたのは分かっていますが、大罪人なのですから、いい加減に捨て置きください。それよりも、我々の未来のために色々と話し合わないといけないのですから、時間はいくらあっても足りませんよ」

「ハイジ……っ」 


 絶望感に襲われ、その中でも、もしかしたら毒杯をあおったように見せかけて、本当は生きているのではないかと、淡い期待があったわたくしの心は、カジミールの次の言葉で打ち砕かれてしまいました。


 「毒だけでは本当に死んだか分からないので、この剣でバラバラにしてやりましたからね。これでもうセラフィマ様がアレに煩わされることはありませんよ。さあ、セラフィマ様。そちらのガキをこっちへ寄越してください。先に逝ったアレの元へと私が直々に送ってあげます。アイゼンの血は絶やさないとなりませんからね」

「なに……を、何を言ってるの?」

「本当は私がセラフィマ様と初夜を共にしたかったのですが、あのジジィめ。私のセラフィマ様を弄び、そのガキを孕ませるなど!!なんと度し難いことかっ!!」

「度し難いのは、あなたの方よ!!何を言ってるの!?わたくしと初夜ですって!?嫌よ!!絶対に、嫌っ!!何で、あなたと共にしなければならないのよ、有り得ないわ!!」


 ハイジがっ……、ハイジが死んだ……ッ!!

何も悪くないのに、蔑まれても、虐待されて感情が薄れてしまっても、必死で耐えて、国の為にと王太子として生きていたハイジを、この男は殺したっ!!


 本当なら、さっさとハイジを王太子から降ろして、好きなことをさせてあげたかった。

既にわたくしが秘密裏に女王となっているのだから、ハイジが王太子でなくても大丈夫だったのに。


 でも、ハイジは、自分から王太子を取ったら何も残らないって言うから……っ!

だから、少しでも自分を肯定できるのならと、王太子のままにしておいたのに。


 こんなことなら、嫌われても恨まれてもいいから、ハイジを王太子から降ろして、隠してしまえば良かった……。

そうしたら、この愚かな男に殺されることはなかったかもしれない。


 この目の前の愚かな男カジミールは、知らないものね。わたくしが産んだ息子の父親がアイゼン王国国王陛下ではなく、カジミールの異母兄であるドナートである、と。

でも、今この男がそれを知ったら、状況が更に悪化するような気がして、喉まで出かかった言葉を無理やり飲み込んだ。


 醜悪に歪んだ顔でカジミールは、過激派の連中が、女王として即位したわたくしの王配として自分を認めたと、だから、既にわたくしの夫も同然なのだと、そう言って迫ってきた。


 女王として即位したらって、既にわたくしは秘密裏に即位しているのよ!?

カジミールは、ハイジを殺すためにいいように使われただけだわ!!


 「さあ、セラフィマ様。せっかく産んだのだから手放したくはないかもしれませんが、アイゼンの血は絶やさないといけないのです」

「……それなら、ロザリンドも始末するんでしょうね?」

「何を言うのですか!?ロザリンド殿下は素晴らしき王女にして、ヴィヨン帝国皇太子殿下の婚約者ですよ?アイゼンの血がどうとかいう問題など関係ないでしょう」

「この子は渡せないわ。何よりも大切な子だもの……」


 この懐剣でカジミールを刺そうにも、そうする前に息子が斬られてしまうでしょうね。

こんなことなら、隠れて武術でも習っておけば良かったわ。


 ジリジリと距離を詰めてくるカジミールから逃れるように、息子を抱き寄せて後退していたけれど、わたくしの後ろに逃げ場はない。


 それに、祖となる王になれる可能性があったハイジが殺されてしまった今、ロザリンドを止めることは難しくなってしまった。


 ……ごめんなさい、ハイジ。

あなたは何も悪くないのにね。わたくしが、もっと上手く動けていれば、あなたに辛い思いをさせることもなかったのに。


 子を産んで、そこで初めて母親というものを知ったように思うわ。

こんなに大切なものを自身のそばから理不尽に奪われて、アイゼン王国の前王妃殿下は、どれだけ無念であったことか。


 わたくしが、ハイジの母になると、そう言ったとき、ハイジは目を丸くして驚いたあと、悲しそうに、だけれど、縋るように目を潤ませていた。

少しずつ心を開いて、笑顔を見せてくれるようになって、少しは家族らしくなれたかしら、と思っていたのに……。


 幼い頃から辛い思いをして、理不尽な目に遭ってきたハイジを幸せに満ちた笑顔溢れるような、そんな人生を送れるようにしていこうと、みんなで幸せになろうと、そう思って耐えて頑張ってきたのに。

 

 なにが、母だと思って、よ。

肝心なときに何も出来ず、ハイジは殺されてしまった。


 愛していた。お腹を痛めて産んだ息子と同じくらいハイジを愛していた。

血の繋がりや一緒にいた時間なんて関係ないのよ。わたくしにとってハイジは、愛する娘なの。


 自身に対する怒りとハイジを殺した目の前の男に、怒りを通り越して殺意が沸いたけれど、この男を殺したところでハイジが戻ってくるわけじゃない。


 …………そうよ。戻せばいいのよ。


 そうよね。わたくしには、それが出来るのだもの。

このままでは、息子も殺されてしまうのだから……。


 この子がドナートとの子だと言っても、カジミールは信じないでしょう。

どうにも出来ないなら、やるしかないわ。


 わたくしは、そう思って内にある力を溢れさせた。

死んだハイジの時間を巻き戻すのではなく、彼女を過去へと戻すために。


 怒りと殺意で今までは無意識に抑えていた能力を、力任せに引き出していく。

奥深くにある、触れてはいけない場所に手をかける恐怖は、今は無い。


 本来のわたくしの力では、せいぜいが物の時間を戻すことだけ。

でも、それは、身体に支障のない範囲で、の話よ。


 ふわり……と、ドレスが揺れて裾が空気を孕んで広がった。


 それを見たカジミールは、わたくしが何をしようとしたのか気付き、目を見開いた。

そうよね。よく、遊んでいて壊してしまった花器などをこうして時を戻して証拠隠滅をはかっていたの、あなたも横で見ていたものね。


 「セラフィマ様っ、なにを!?」

「ハイジはね、祖となる王になれる可能性があったの」

「何を言ってるんですか!?そんなわけないでしょう!!」

「いいえ、あるのよ。だから、……ハイジを生き返らせるの。時を戻せば、あの子は生き返る」


 力が溢れ出すと共に、わたくしの周りに風が舞った。

はためくドレスの揺れに混じって小さな煌めきが舞い、とても綺麗だった。


 命が……、そして、魂が燃える。

この煌めきの一つ一つが命と魂の灯火。


 煌めきが溢れ、増えると共に、わたくしの身体が透けていった。


 物ではなく人の時を戻そうとするには、わたくしの身体、命だけでは、到底足りない。

だから、わたくしは、魂をも注ぎ込んだ。


 もう、二度とハイジには会えないでしょう。

ハイジが生き返った先に、わたくしは、いないと思うわ。


 でも、息子を殺されるくらいなら、ロザリンドが思うままに振る舞う世界を終わらせるためには、こうするしかないの。


 透けていくわたくしを見上げる息子は、わたくしの手を取ってコクリと頷いた。


 あぁ……、一緒に行ってくれるのね?


 不甲斐ない母親でごめんなさい。


 あなたまで巻き込まないと何も遂げられないなんて……。


 ハイジ。


 わたくしの愛しい娘。


 わたくしの無二の親友。


 わたくしの可愛い妹。


 あなたを産めたら、どんなに良かったか。

そうしたら、あんな辛い目に遭わすことなどしなかったのに。


 身勝手なわたくしの行動で、死んだあなたを生き返らせることを申し訳なく思うけれど、許してなんて言わないわ。


 ごめんなさい、ハイジ。

生きて。そして、ロザリンドを止めて。もう、あなたにしか託せない。


 いよいよ、身体が透けて、向こう側が見えてしまうくらいになって、カジミールはわたくしが全てを賭けていることに気付いた。


 「やめ……ろ。やめるんだ!!」

「もう遅いわ」

「わかった、わかったから!!そのガキを殺さなければいいんだろ!?過激派の連中もガキを殺せなんて言ってない!!が勝手に殺したかっただけだ!!セラフィマ様の子は俺との子だけでいいと思って、それで……」

「だから、もう遅いのよ。どうせ殺されるくらいなら、この子も連れて行くわ」

「やめて……くれ、いやだ!!行くな!!」

「さようなら」

「いやだっ、やだ、やめろ!!セラフィ……セラぁぁぁあああーーーー!!!」


 カジミールが、わたくしのことを異性として意識していたことには気付いていた。

けれど、わたくしは、それに応えるつもりはなかった。


 これを見れば分かるでしょう?

己の欲を優先するような男よ?とても王配には出来ないわ。


 でも、あのとき、ドナートを選ばずにカジミールを選んでいたら、ハイジが殺されることも、息子が殺されそうになることもなかったかもしれない。


 過ぎ去った仮定の話をしても何にもならないけれど、そう思わずには、いられなかった。


 ごめんなさい。

どうか、ハイジの新たな人生が、幸せで満ちますように。


 身勝手にもそんなことを願い、わたくしは、息子と手を繋いで消えた。





 はずなのに、これは、どういうこと?

見渡す限り、真っ白な空間。左手には、愛する息子の手を握っている感覚があり、そちらに目を向ければ、キョトンとした顔の息子と目が合った。


 「どこなのかしら……。確実に死んだ、というか、魂ごと消えたと思ったのだけれど……」


 呆然と辺りを見回していると、ぼんやりとした光が灯り、段々とその光が強くなっていき、思わず目を閉じた。

すると、男性とも女性ともつかない声がしました。


 「ああ、間に合いましたね。まったく無茶をする」

「……えっと、あの?え?」

「私は世界の管理者の一柱です。まあ、あなた方が神と呼ぶものだと思って構いませんよ」

「神様っ!!?」


 わたくしは、思わず平伏し、息子を抱き寄せ庇いました。

魂を燃やし尽くし、ハイジを過去へと戻したと思ったのですが、もしかして失敗してしまったのでしょうか……。


 「アーデルハイトは、過去へと戻っていますよ。しかし、セラフィマ。あなたが戻した世界は、あなたと息子、そしてアーデルハイトがいなくなったまま続いていきます」

「つ……づく?」

「そうです。時戻しは、その対象にのみ起こせる現象。死んだアーデルハイトを過去へと戻せば、アーデルハイトが戻ったその時点から世界が分岐する」

「…………?」


 理解が及ばないわたくしのために、神様がどこからともなく図形を出し、色々と説明をしてくださいました。

そして、なんと、わたくしと息子が消えたあとの世界も見せてくれたのです。


 世界を覗くことができるという水鏡によって映し出されたのは、慟哭するカジミールと、茫然と立ち尽くすドナート、そして、場面が変わり、痛々しい包帯姿でベッドにて泣き崩れるマヌエラの姿でした。


 あぁ……、マヌエラ。無事でしたのね。階段から落ちて重篤な状態になっていると聞かされたのですが、様子を見るに助かったみたいね。


 神様によって次々に水鏡の場面が変えられていくのですが、わたくしがいなくなった世界では、かなり時が進んでおり、今は、ハイジが殺されてから15年ほど経っているそうで、混乱は色々とあったものの、世界は安定してきているそうです。


 王たる証を持つ者が消えたアイゼン王国では、魔物が活発化し、人が住めるような状態ではなくなり、アイゼン王国民は難民となってヴィヨン帝国へと押し寄せた。


 テルネイ王国では、新たに証持ちの王族が誕生したけれど、アイゼン王国の惨状を見て、祖国奪還を放棄。

過激派は手のひらを返したように、祖国は、アイゼンではなく、ここテルネイであると言い出し、ヴィヨン帝国やその周辺国との貿易を開始。


 ヴィヨン帝国へと輿入れした全ての元凶ロザリンドは、魔眼が効かない証持ちである先代皇帝陛下を毒殺させて、好き放題していたが、何を思ったのか、危険な魔物が蔓延はびこるアイゼン王国があった北西にある森へと行き、「帰ってきたわ、我が同……っ」という言葉を最後に魔物に殺されていた。


 「……なにをしたかったのかしら?」

「魔眼はね、生きていたのです。セラフィマも気付いたでしょう?血によって広がるのではなく、魔眼は一つで、それが受け継がれていくことに」

「あ、はい。……やはり、血によって広がったりはしていなかったのですね」

「魔眼は、自身をまだ魔物だと思っていたのです。しかし、人の身に宿った時点で、魔物ではなくなる。魅了の魔眼が人に効いていた時点で、魔物ではなく、人なのですよ」

「でも、魔物が活発化していましたわ」

「ええ、多少は活発化しますよ。あの魔眼はそういった特性も持っていましたから。でも、魅了を宿していた眼は?あれは、人の眼です。魔物には効きません」


 つまり、血を介して受け継がれていた魔眼は、魔物としての能力、つまり活発化させる能力も有していたけれど、魅了の効力は眼を介していたことから、対象は人になってしまっており、魔物には魅了が効かなかったということなのだそうです。


 魔眼は、再び魅了を使い、魔物を支配下に置いて、君臨するつもりで、その機会を窺っていたのですが、人の身になってしまっていたので、魔物に魅了が効かずに即、その場で魔物に殺されてしまった、という最後でした。


 魔眼持ちのロザリンドが魔物に殺されたことで、正気を取り戻した者たちは、死にものぐるいでロザリンドの遺体を持ち帰って、教皇様のおられる教会へと運び入れ、そこで浄化していただくことで、魔眼は世界から消えたそうです。

だから、もう心配はいらないと言われました。


 わたくしだけならば、魂を消滅させたとしても、アーデルハイトをその場で生き返らせて、年齢を2〜3年若返らせただけに終わった可能性が高かったそうなのですが、王たる証を持つ女王の息子が一緒だったため、神様が手を出すのが間に合ったとのことでした。


 「セラフィマだけで行なっていたら、アーデルハイトはセラフィマも、異母弟もいない世界で、15〜6歳からのやり直しとなっていたことでしょう。もし、そうなっていれば、アーデルハイトは発狂していたでしょうし、結末はたいして変わりませんでした。でも、それでは力を使った意味がほぼ無いに等しいので、介入したのです。そうすることで、アーデルハイトを過去に戻せました。戻ったことに本人が気付くのは、5歳頃にしましたから、しばらくは世界にセラフィマがいないことに、気付かずにいられましたよ」

「ということは……」

「ええ。アーデルハイトが戻った分岐した世界では、あなたは生まれることなく流産となり、その2年後にあなたに代わってセラフィムという証持ちの王子が誕生しています」

「そう……ですか。……では、わたくしが、ここに呼ばれ、色々と見させられたのは、どういった意図があるのでしょうか?」

「教皇であるカリオがアーデルハイトに祝福を与えました。そのときに、あなた方の魂を結びつけました」

「っ……それは、まさか!?」

「生まれてからのお楽しみです」

「あぁ……っ、神様っ!!」

「はい、何でしょう?」

「『嗚呼、神よ』と口にして返事があるというのは、何とも恐ろしい話ですわ……」

「神とは、恐れ、そして、畏れ敬うものなのでしょう?」


 神様がとても友好的でお茶目な存在なのだと知りましたが、あまり知りたくはなかったかもしれません。


 「では、そのときまで、しばし眠りなさい。次に目覚めたときには、素晴らしい人生があることを願って」

「はい。ありがとうございます」


 神様が光を纏い、そして、眩しさに目を閉じると、そのままわたくしの意識は遠のいていきました。

でも、そのときでも、わたくしは、息子の手を離すことはしませんでした。


 必ず幸せになりましょうね。

ふふっ、今度こそ、ハイジと血の繋がった家族になれるわ。


 すごく楽しみね。


 


 

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