5 誤魔化されたアーデルハイト

 セラ様が死んだ。

わたくしのせいで、死んだ。


 込み上げる吐き気を無理矢理押し込めて、意識を浮上させた翌日。

セラフィム王太子殿下から、手紙が届いた。


 読みたくないけれど、そういう訳にもいかず、震える冷えた指先で開封すると、そこには、わたくしを心配する気持ちが綴られており、慰めようと色々と言葉が尽くされていました。


 わたくしがセラ様を殺したのに、それなのに、どうにかして元気付けようとしてくださっていることが、余計にわたくしの心を締め付けていき、またしても吐き気が込み上げてきます。


 セラ様がいないこの世界。

セラ様が産むはずだった子も、この世界に生まれなくなってしまった。


 小さな手で、わたくしの指を握って笑ってくれた、あの愛らしく優しい弟も、わたくしが殺してしまった。


 そう思っていたのに、セラフィム王太子殿下は、「流れたとはいえ、母上のお腹に確かに宿っていたのだ。だから、この次に、どこかに生まれてくるはずだ。姉上が産むはずだった子も、そのうちまた生まれてくる。そのときのためにも、元気でいなければ、姉上が心配するぞ。アーデルハイト王太子殿下が元気に笑ってくれていないと、せっかく戻したのにと、拗ねてしまうかもしれない」と、そう書かれていました。


 手紙が濡れてしまわないように、握ってシワにならないように、そっと横に置いて、わたくしは流れる涙を止めると共に感情も止めました。

死ぬ前のときは、そうやって感情を押し殺して生きていたのです。


 ふと、鏡に映ったわたくしの顔は、随分と見ていなかった、見慣れた無表情でした。


 濁ったガラスのような瞳に、陰鬱な黒髪の、無表情な人形が鏡の向こうから、こちらを見ている。

薄気味悪いと言われた、無表情無感情な人形だと罵られていた頃のわたくしが、そこにいました。


 ずっと、ずっと……、過去へと戻ったときから、セラ様に再びお会いすることを楽しみに生きていたのに、そのセラ様をわたくしが殺していただなんて、思いもしなかった。


 そんなことも知らずに、楽しく笑って過ごしていた自分が、憎くて憎くて堪らない。


 …………いっそのこと、消えてしまえば、とも思いましたが、セラ様が繋ぎ直してくださった命を捨て去ることなど出来ず、無様に生きていく。


 ヴァルター卿からは、自分のために死んでいったものに感謝こそすれ、悔やみ続けてはならんよ、と言われました。

そうしなければ、上に立つ者として兵に指示など出せない。自分の決めた、その一つ一つの行動によって、死ぬ兵も出てくるのだから、死んでいった者たちを悔やむのは、1日だけで、あとは感謝を捧げるのだと、そうしなければ潰れてしまうから、と。


 でも、何を言われても、慰めの言葉をかけられても、わたくしがセラ様を殺したことに変わりはないのです。

わたくしのようなもののために、セラ様が死ぬなんてことがあってはならないのに。


 涙を止めたことで、先程まで感じていた心と身体の重さは感じなくなったので、わたくしは、溜まっている業務をこなすことにしました。


 孤児院や貧民地区にある診療所からの嘆願は、止むことなく次から次へと寄せられてきているのですが、私財を投入しているだけでは、何の解決にもならず、その場しのぎでしかないため、最低限のことしかしていないのが現状です。


 孤児院に関しては、読み書き計算が出来れば就ける職の幅も広がることから、こちらで教師を派遣したりもしていますが、やる意味を理解できず、ほとんどの子が「そんな食えないものはいらない。パンを肉を寄越せ」と言ってるのだとか。


 知識がいずれ食べ物を得るための道具になるのだと、そこから教えていこうにも、聞く耳を持ってくれず、教師も途方に暮れ、中には孤児院での教師を辞めさせてくれと言ってきたところもあります。


 差別せずに根気よく教えてくれる教師を探すのは、とても大変だったのですが、そんな教師をもってしても、孤児院での教育は難しかったのです。


 しかし、最近になって、少しずつ成果が出てきたようで、孤児院から寄せられる嘆願書には、教師の増員や少し専門的な教師の派遣を望む声もありました。

まともな職に就ける者も出てきたことから、貧民地区の診療所でも支払いが出来ずに最低限の治療だけで帰らせてしまうことも少しずつ減ってきており、治療師や薬師の増員を願う所も出てきたほどです。


 国の補助無しで回せるようにはなっていませんが、そもそも貧民地区なので、それは仕方がありません。


 やってきたことの成果が出て少しホッとしましたが、この提案もセラ様がしてくださったことをわたくしが勝手にしているだけなのです。


 わたくしは、どれだけセラ様を食い潰すつもりなのかしらね。

命も、未来も、子供も奪い、更には成果まで奪った。


 本当にこんなわたくしが生きていていいものかと思ってしまうのですが、それでも、わたくしは生きていくしかないのです。

セラ様が繋ぎ直し、神様から祖となる王の証を賜わったのですから……。


 セラフィム王太子殿下の歓迎会が開かれるのは、3日後なのですが、招待しているのは伯爵家以上の子息令嬢を中心としており、そこに保護者が付き添うといった形を取っています。


 過激派は、わたくしを排除してセラフィム王太子殿下を王にすることをまだ諦めてはいないらしく、そこにテルネイ王国王太子の妃となることを狙う家もあり、セラフィム王太子殿下は、歓迎会でそういった方たちに取り囲まれることになりそうです。


 テルネイ王国王家としては、セラフィム王太子殿下を女王となったわたくしの王配にすることを目的としているらしく、セラフィム王太子殿下を射止めたとて、それが叶うかどうかは、国の意向によることになるでしょう。


 しかし、わたくしは、王配がセラフィム王太子殿下でなければならない、ということもございませんので、添い遂げたい令嬢ができれば、そちらへ行ってくださって構わないのですけれどね。


 というより、セラフィム王太子殿下を見るのが辛いのです。

ここにセラ様がいないことを嫌でも実感させられてしまうから。


 そうして、感情を消して執務に没頭していたら、マヌエラから執務室への出入りを禁止されてしまいました。

どうしても、まだ仕事をするというのであれば、自分マヌエラの屍を越えて行けと言って譲らないので、渋々自室で休もうと思います。


 ぽっかりと心に空いた穴を埋めようと、セラ様に贈るつもりで入手した、画家のブラットが描いた「夜を誘うきみ」という名がつけられた絵画を出してきてもらい、それを何も考えずに眺めていると、マヌエラから手紙を渡されました。


 「セラフィム王太子殿下から?……またかしら」

「どうにかして、元気づけようとしておられるのではないでしょうか」

「わたくしは、至って元気よ」

「今のところ、健康は損なわれてはおられないでしょうけれど、これが続けば影響は出てくるかと存じますが……」

「……大丈夫よ。ずっと、こうだったもの」

「アーデルハイト殿下……」


 セラフィム王太子殿下からの手紙は、お茶を共にしたいというお誘いでした。

忙しいと言って断ろうかとも思いましたが、歓迎会で顔を合わせることになるのだから、逃げていても仕方がないと、お誘いを受けることを了承した返事をマヌエラに届けてもらいました。


 お茶に誘われた翌日、セラフィム王太子殿下との個人的なお茶会は、城の敷地内にある温室にて行われました。

城であれば、お披露目会を終えていないロザリンドが来ることは出来ないからです。


 温室へと入ると、セラフィム王太子殿下が既に待っており、わたくしが来たことに気付くと、嬉しそうに頬を緩めましたが、そのあとすぐに眉を寄せられました。


 「急な誘いにもかかわらず、場を用意していただき感謝する」

「いいえ、構いませんわ」

「体調が良くないのか?随分と顔色が悪そうだが……」

「大丈夫ですわ」

「それならば、良いのだが。あの、…………正直に言おうと思って、それで、アーデルハイト王太子殿下に時間を取ってもらったんだ」

「……何でしょうか?」

「私には弟妹がいるのだが、それは、私が産まれる前に身ごもっていた側室たちの子だ。だから、母上が証を持ったセラフィマ姉上を産んだとすれば、次の子を作ることはしなかったと思う。つまり、セラフィマ姉上がいないからこそ、私が産まれ、そして、あなたに、アーデルハイト王太子殿下に出会えた。私は、あなたに出会えて良かったと思っている。だから、その、セラフィマ姉上が生きていないことを嘆かれると、私が生まれてきたことを否定されているように思えるのだ。卑怯なことを言っている自覚は、ある。だけど、あなたと出会えたことを私は嬉しく思う」

「…………っ。ずるいわ……」

「ずるくても構わない。アーデルハイト王太子殿下の心が少しでも軽くなるなら、笑顔を見せてくれるなら、私は何だってする」

「何でもは、いけませんわ」

「いいや。何でもする」

「ふふっ。……っ。ごめん、なさいっ」


 堪えきれずに涙をこぼしてしまったら、セラフィム王太子殿下が急に近付いてきて、わたくしを腕の中に囲いました。

押し付けられた頬に、ドンドン……と、鼓動が当たるのですが、尋常ではない速さと強さであることを思うと、セラフィム王太子殿下は何かのご病気なのでしょうか?


 抱き締められたことで、目の前にサラリと流れてきた燃えるような赤い髪に、セラ様を見たような気がして、思わずその赤い髪を握り込むようにして掴み、縋り付いて嗚咽をこぼしていると、セラフィム王太子殿下は、わたくしを落ち着かせようと背中を静かに撫でてくれました。


 しかし、ヴァルター卿の「ウォッホン!」という、ちょっとわざとらしい咳が聞こえて、慌てて離れたのですが、なんて、はしたないことをしてしまったのかしら!?

淑女にあるまじき行動ですわ!!


 「も、申し訳ありませんわ、セラフィム王太子殿下!!」

「いっ、いえ!!ソンナコトハっ、たいへん、おいしい……いたっ!?痛いぞ、ドナート!!」

「紳士として、その口を一旦閉じましょうか、セラフィム王太子殿下?アーデルハイト王太子殿下、うちの殿下が暴挙に及んだこと、深くお詫び申し上げます」

「い、いえっ、そんな!?」


 セラフィム王太子殿下は、わたくしのはしたない行動を気にされておられないようですが、ドナートの謝罪がよく分からず、慌ててしまいました。


 そんなやり取りをしている後ろでヴァルター卿が「甘さが充満しておりますなぁ〜」と言い、それに対してマヌエラは「青薬でもご用意いたしますか?」と答えているのですが、確か青薬って声が出せなくなるほど苦いお薬よね?


 青薬とは、症状の重い下痢止めだったはずですわ。

死ぬ前のときは、とてもよくお世話になった薬ですので、覚えております。


 積み重なるストレスに、盛られない日の方が少なかった毒。

そのせいで、かなり頻繁にお腹を壊しておりまして、青薬が欠かせませんでしたが、死に至るような毒を盛られたことはありませんでしたよ。


 ただの嫌がらせのように盛られておりましたが、セラ様と仲良くなれた頃からは、盛られる頻度は減りました。

その代わり、少し強めの毒を盛られたりするようにはなりましたが、その頃には毒への耐性が出来たのか、少々の毒では効かなくなっておりましたわ。


 えっ?今のヴァルター卿とマヌエラの会話からすると、ヴァルター卿は、甘いものを食べるとお腹を壊しますの!?

しかも、青薬が必要なほどに!?と、思いましたが、全くそのようなことはないので安心してくださいと言われてしまいました。


 本当なのかしらね?何か誤魔化されているような気がしますわ。




 


 


 

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