閑話 アーデルハイトに一目惚れしたセラフィム

 一目惚れした相手であるアーデルハイト王太子殿下が、「セラ様に会いたい」と、焦がれるようにして口にしたことに、私は嫉妬した。


 ドナートから、アーデルハイト王太子殿下が未来から戻ってきていると聞かされ、時を戻すことが出来るのは、テルネイ王国の証持ちしかいないことから、未来の私がアーデルハイト王太子殿下を過去へと戻したのだろうと言われた。


 でも、彼女が恋焦がれているらしき"セラ様"が女性であることを知って、少し安堵したけれど、それだけで終わる話ではなかった。


 私には、兄と姉、弟と妹もいる。

何人もいる王族の中で、王たる証を持っているのは、私と曽祖父である先々代国王だけであることから、私の誕生がどれほど待ち望まれたものなのかは、嫌というほど耳にしてきた。


 曽祖父はまだ元気だとはいえ、高齢であることから、早く次代の証持ちをと、王妃様や母上を含む側室たちは、王たる証のことを知っている臣下から、かなり圧力をかけられていたらしい。


 そんな中で、母上の子が流れた。

今までも流産した者がいなかったわけではないけど、なかなか証持ちが生まれない状況での流産ということで、母上は、かなり辛い思いをしたという。


 そして、万全の体調に戻し、再び身ごもった母上は、私を産んだ。

しかも、待望の証持ちだった。


 だけれど、そのことで、思いもよらないことを言い出した者が出てきた。


 "証持ちを誕生させるために、その席を明け渡した、国思いの子"


 母上が流産し、生まれて来られなかった子のことをそんなふうに言い出したヤツが現れたのだ。

誰が最初に言い出したかなど分からない。分からないけれど、それが、さざ波のように広がっていった。


 それは、物心ついた私の耳にも入ってきた。

最初は、「自分のためにありがとう。御苦労だったな」などと腐ったことを考えていたけれど、母上が泣いているのを見て、それは違うのだと思った。


 ドナートからも、「死んだことを喜ぶような人間には、ならないでください」と、涙を堪えて言われ、自分がどれだけ最低なことを思っていたのか分かった。


 それからは、ドナートに色々と聞いた。

私に腐った考えを持つように接してきていた者たちが、祖国奪還を掲げた腐った連中であることも知れたし、そいつらが母上たちを苦しめていることも知った。


 そして、そいつらが、私の側仕え候補であり友人でもあるカジミールを抱き込もうとしていた。

カジミールは、何でもないというような態度で、「セラフィム王太子殿下が女性だったら、王配目指して頑張ったんですけどねぇ。お互い男じゃ、どうにもなりませんし、諦めてセラフィム王太子殿下に尽くしますよ」と言ってきた。


 この時点で私は、アイゼン王国へと渡る際には、コイツをテルネイ王国へ置いて行こうと固く決意した。

アイゼン王国王太子殿下は、第一王女、つまり女性なのだ。コイツが権力欲に駆られて何をするか分からないと思って、私は色々と頑張ったのだ。


 ドナートが知れば、もしかしたらサクっと排除しにかかるのではないかと思ってしまい、相談できなかったけれど、母上には話してきた。

だからこそ、カジミールをテルネイ王国に置いて来られたんだけどな。


 権力欲の強いカジミールではあるけれど、小さい頃から一緒に遊んだ幼馴染なのだ。

排除してスッキリ!なんてことには、したくなかった。


 それが王族として甘いことだと母上から言われたけれど、私には、まだ友を切り捨てる覚悟など持てない。


 しかし、アーデルハイト王太子殿下の話で、確証はないけれど、恐らく母上が流産してしまった子が、彼女の言うセラフィマ王女殿下である可能性が出てきた。


 そうであるならば、母上が流産した子は証持ちであった可能性がある。


 証持ちの私のために死んだのだと、そう言われてきたけれど、そんなことはなかった。


 今、ヴァルター殿が隠すようにして抱きかかえているアーデルハイト王太子殿下を助けるために、その命を使ったのだろう。

アーデルハイト王太子殿下は、未来で死んで過去へと戻ったという話だからな。


 流れた子の性別は、分からなかったと聞いた。

とても、とても、小さい状態で流れたことで、性別が分からなかったのだと。


 王族の霊廟で、はらはらと涙を流し、そっと墓標をなでる母上を思い出す。


 母上。その流れた子は、女の子だったようですよ。

姉上が、私の好きになった女性を助けてくれたみたいです。


 国に帰ったら、姉上に、生まれて来られなかったセラフィマ姉上に、ご報告しに行きますね。

アーデルハイト王太子殿下は、ご無事だと。


 「……ヴァルター殿。いつまで、そうしてアーデルハイト王太子殿下に触れているつもりだ?家族でも婚約者でもないのだから、いい加減、離れてもらいたいのだが?」

「そうですな。家族でも婚約者でもないお方に、寝顔を見せるわけにはまいりませんので、こうして抱きかかえているのでございます」

「気を失っているのか……?」

「はい。しかし、ハイジ殿下をお部屋へお連れするとなると、この昼餐でハイジ殿下が粗相をしたことになってしまいます。お客人を放って気を失うなど、とんでもない失態ですからな」

「あ、そうか……。どうしたものか……」


 そこまで気が付かなかったというか、ヴァルター殿がずっとアーデルハイト王太子殿下を抱きかかえていることが面白くなくて、そればかりだった。


 そう思っていると、アーデルハイト王太子殿下の筆頭侍女であるマヌエラが、「お部屋の準備が整いましたので、こちらへお願いいたします」と、声をかけてきた。


 食事をする部屋には、だいたい休めるように寝室があるのだが、まさかここにもあるとは思わなかった。


 食べ過ぎて、ということは、あまりないが、お酒が少々進み過ぎて酔ってしまったときなどに横になれるようにと、ベッドのある休憩室が備えられた部屋を使うことは知っていたが、子供同士の昼餐で寝室がある部屋を使っているとは思わなかったので、驚いた。


 アーデルハイト王太子殿下をマヌエラが連れて行くのを見送ると、私は気になっていたことをヴァルター殿に尋ねた。


 「何故、急にアーデルハイト王太子殿下を抱き締めたのだ?」

「大きな声くらいであれば、外にあまり漏れることはございませんが、さすがに絶叫すれば、外に聞こえます。ましてや、窓の近くなので、庭で護衛している近衛騎士には、確実に聞こえます。そうなれば、一斉に騎士たちが踏み込んできて、テルネイ王国王太子殿下へと剣を向けることになったでしょうな」

「あっ……。それで、アーデルハイト王太子殿下を抱きかかえて、声が漏れないようにしたのか」

「左様です。マヌエラも咄嗟に動こうとしましたが、儂の方が早かっただけのことです」

「いや、しかし、だからといって、未婚の女性を抱きかかえるなど、あまり良くはないと思うぞ」

「まあ、そうかもしれませぬが、手で口を覆うよりは良いかと判断いたしましてな」


 ヴァルター殿の言い草に顔が引きつるのを止められなかった。

抱きかかえるのは、どうなのか、というのに対し、返ってきたのは、「口を塞ぐよりはマシだろう」というものだった。

 

 本当にこのじぃさん、どうにかならんのだろうか。


 初めて会ったときから、こんな感じなのだ。


 道中の安全確認のためにと、途中から合流してきた、元将軍で王太子の相談役という歳を感じさせない威圧感満載の鋼のような肉体と衰えぬ覇気。

魔獣馬に跨ったその姿は、味方なら頼もしいのだろうが、相対したものからすれば、覇王の如しだった。


 しかも、速度を重視したということで、手配できた魔獣馬に乗れる人員だけで来たというのだから、頭が痛くなったぞ。


 ドナートからは、アイゼン王国王太子殿下の王配となるに相応しいのか、見極めに来たのかもしれないと言われたが、別にこの男に認めてもらわなくても構わないだろうと取り合わなかった。


 でも、アーデルハイト王太子殿下に信頼され、触れることを許されているのを見て、「羨ましいか?ならば、ここまで来てみろ」と言われているようで悔しかった。


 というか、このじぃさん、アーデルハイト王太子殿下のことを愛称で呼んでいるではないか!!

家族でもないのに、愛称で呼んでいるのは如何なものか!?


 少し腹立たしげにヴァルター殿の方を見る前に、ドナートから「……殿下?」と、背筋が寒くなるような声で呼ばれた。


 ……なんで、ドナートは怒ってるんだ?

私に対して怒っているよな?何でだ?怒られるようなことをした覚えがないのだが?


 「なんだ、ドナート?どうした?」

「先程から少々、素直が過ぎるかと存じますが?」

「…………。(素直が過ぎるって、何だっけ?ドナートが、これを言う時は……。あっ)」

「お気付きになられたのであれば、ようございました」

「ああ、ありがとう」

「もったいなきお言葉にございます」


 少し気を抜き過ぎていたな。

食事が美味しかったのもあるし、何よりアーデルハイト王太子殿下から優しく微笑まれて、色々と気遣ってもらえたことで、浮かれていたようだ。


 それよりも、これからどうするか考えなくてはならないな。


 「アーデルハイト王太子殿下が起きなかった場合、どうする?あまり長い時間ここに留まるのも不自然ではないか?」

「気がつかれたとして、精神的に回復されているとは思えませんからな。自室であれば、様子を見ながら対処できるのですが、ここは、城の一室なので、気がつかれたハイジ殿下をお部屋までお連れする際に、必ず誰かしらとすれ違うでしょうな」

「そうすると、様子がおかしなことを知られてしまう可能性がある、と。……庭からの移動なら、どうだ?」

「庭を散策されて、その場で解散などと、王太子殿下というお立場では、無理ではございませぬか?」

「それもそうか……。何か他に案はないのか?」


 そう声をかけるとドナートが、アーデルハイト王太子殿下が絶叫をあげて気を失ったということは、それほどセラフィマ姉上を心の支えにしていた、ということなのではないかと言い出した。

そうであるならば、気がついて起きたときに、まともな精神状態ではないだろうから、今度は、私が支えてあげれば良いのではないかと続けたところで、ヴァルター殿から、それは難しいと言われた。


 ヴァルター殿は、「内情を晒すわけにはまいりませぬので、少々省かせていただきますが、ハイジ殿下が未来からここへ戻られる前は、セラフィマ王妃殿下以外に味方はおられなかったそうでしてな」と言い、アーデルハイト王太子殿下がどのような状況に置かれていたのかを説明してくれた。


 アーデルハイト王太子殿下が死ぬ前のときには、魅了の魔眼、テルネイ王国、ヴィヨン帝国の3つから攻撃を受けていて、味方はセラフィマ姉上だけで、最期はヴィヨン帝国皇太子殿下暗殺の冤罪をかけられたらしい。


 ヴァルター殿は、それでアーデルハイト王太子殿下が最期は毒を煽ることになったと言い、毒杯を賜ったとは言わなかった。

そう言いたくなる気持ちは、私にも分かる。とてもではないが、賜ったなどと口にしたくはない。


 そんなアーデルハイト王太子殿下が未来から戻って来たのは、彼女が5歳の頃で、そのときには、危機的状態で助けが来ない絶望を味わった兵士のような、濁った目をしていたらしい。

そのことを思うと、そう簡単に心の支えを移したりは出来ないだろうと言われた。


 私がカジミールとイタズラしてはドナートに叱られて、笑いならが過ごしていた、あの頃。

そんなときに、アーデルハイト王太子殿下がどれほど辛い目に遭っていたのかと思うと、呑気に生きていた自分に吐き気がした。


 3歳で母親から引き離されて、会いに行くことも許されなかったなど、過激派の連中がやりそうなことだな。

母上から、「あの者たちは、祖国奪還のためならば、王たる証を持つ者でさえ道具にするのですから。絶対に心を許してはなりませんよ」とキツく注意されていたのだ。


 「過激派が幅を利かせているような状態であったのならば、まともな生活には、ならなかったでしょうね」

「ええ。ドナート殿の言う通り、まともな生活など送れておりませんでしたわ。今でこそ、アーデルハイト殿下が過激派を潰していってしまわれたので、何も出来なくなってきていますが、そうでなければ、アーデルハイト殿下が経験された未来が来ていたのでしょうね。……少し考えただけでも、ゾッとしますわ」


 そんな未来には絶対にさせないと、きつく拳を握っていると、扉が開かれ、休憩室で休んでいたはずのアーデルハイト王太子殿下がゆっくりと出てきた。


 「アーデルハイト殿下!?ご無理をなさっては、いけません!!」

「……だい、しょうぶよ、マヌエラ。……セラフィム王太子殿下、失礼をいたしまして、誠に申し訳ございません」

「気にするなっ。私のことは、良い。それよりもアーデルハイト王太子殿下のことだ。昼餐は、滞りなく終わって、双方に満足する出来だった。それで大丈夫だ。問題ない」

「しかし……」

「私が良いと言ったら良いのだ」


 私が余計なことを聞いたから、セラフィマ姉上がいないことをアーデルハイト王太子殿下が知ってしまい、このようなことになってしまったのだ。

いずれ知るにしても、今ここで知るよりはマシであったかもしれない。


 でも、過ぎたことを悔やんでも仕方がないだろう?

それに、その、好きになった女性をセラフィマ姉上に代わって支えないとな。


 というか、アーデルハイト王太子殿下は吐きそうな顔をしているが、吐いた方が楽になるときもあると思うのだが、ここでそれを私が指摘しても良いのだろうかと、ドナートの方を見ると、小さく頷いてマヌエラへと声を掛けに行った。


 数度のやり取りを終えたドナートは、何でもないような顔をしているが、その顔が怒りに満ちていることは、私には分かる。

どうしてドナートが怒っていたのかは、私が客室へと戻ったときに教えられたが、それを知った私も怒りに震えた。


 本当にどうしてくれようか。どいつもこいつもアーデルハイト王太子殿下に何てことをしているのだ!!


 あまりここにいてもアーデルハイト王太子殿下に負担をかけるだけだからと、恙無つつがなく昼餐を終えたようにして、そこから客室に戻った私が知ったのは、アーデルハイト王太子殿下の心の傷であった。


 言葉だけでなく、憂さ晴らしをされるようにしてムチで叩かれていた過去を持つアーデルハイト王太子殿下は、その過度のストレスから、食事も喉を通らず、無理矢理食べさせられて吐いたこともあるのだとか。


 しかし、その吐き出したものをメイドがアーデルハイト王太子殿下に食べるように強要したというのだ!!

メイド風情が何様のつもりだ!!


 そのクズメイドは、「今このときにも食べるものに困っている民は山のようにいるのに、この高い贅沢な食事をダメにするなど、王族のすることではありませんよねぇ?そんな食べることにも困る民を思えば、きちん食して頂かなければ、ねぇ?」と言って吐き出しものを無理矢理食べさせようとしたらしい。


 しかし、さすがにそこまでは、やり過ぎだろうと、他のメイドが止めさせたので、そんなことにはならなかったそうだが、次に吐いたら、やらされるかもしれないと恐怖に駆られたアーデルハイト王太子殿下はそれ以来、どれだけ体調が悪くても、吐いてしまった方が楽になるのに、吐けなくなってしまったということだった。


 未来で起こった、死ぬ前の話だとはいえ、私はそのクズメイドを八つ裂きにしてやりたくなったが、マヌエラが既に対処済だというので、諦めた。

というか、今の時点では、そのような目に遭っていないのだから、手を下すわけにはいかないらしい。


 5日後に控えた私の歓迎会までに、アーデルハイト王太子殿下が持ち直すとは思えないが、あの様子では、持ち直さなくても無理矢理いつもの普段通りに振る舞おうとするのだろうな。


 私に、何ができるだろうか。

傷に寄り添えるほど、私は傷ついたこともないし、女性を慰めたこともない。


 ただ、迂闊なことだけはしないでおこうと、そう心に誓ったまでは良かったのに、あんなことになるなんて思いもしなかったな。


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