5 ムチをふるうアーデルハイト

 王太子は、年齢に関係なく王太子となった時点で、王太子専用の馬場が与えられるのですが、王太子以外の王子、王女は、10歳のお披露目会を終えてからでなければ馬場を使うことは許されておりません。

しかも、その使用できる馬場も王族なら誰でも使えるという、王族専用の馬場のみで、王太子専用の馬場をわたくしの許可なく勝手に使うことなど、あってはならないのです。


 もちろん、陛下もご自身の馬場をお持ちなのですが、こちらは陛下以外は使えませんし、王妃様は王族専用の馬場を使うことになります。


 10歳になっていないロザリンドは、お披露目会を終えていないので、どこの馬場も使う許可は出ていないはずですし、わたくしもロザリンドに王太子専用の馬場を使う許可を出しておりません。


 そのことから、調教師のアレクセイがロザリンドに接触する機会はないため、誰かが手引きしたと考えられます。


 ロザリンドの周囲には、マヌエラが選んだ者たちがいるため、容易に近付くことは出来なかったはずだということで、マヌエラは王宮へと向かい、そちらがどうなっているのか確認しに行きました。


 わたくしは、カールにヴァルター卿と王太子直属部隊の隊長フランツを呼びに行かせ、その間に乗馬服に着替えました。

さすがに馬場へドレスでは行けませんからね。


 着替えている間にヴァルター卿とフランツが部屋とやって来たので、二人とレオナ、カール、護衛騎士を引き連れて王太子専用馬場へと向かっていたのですが、途中で厩務員が「大変なことになった……!」と、慌ててやって来ましたので、今から向かうので安心してほしいと、体を少し休めておくように言いました。


 向かう途中で、何があったのかヴァルター卿とフランツに説明すると、ヴァルター卿は呆れたような、ため息をついて言葉を発しました。


 「第二王女殿下は何をお考えでそうなされたのか、というよりかは、何も考えておられないのか……」

「まあ、欲望に忠実といったところかしら?姉は持っているのに、なぜ自分には与えられないのか、理解できないといったところなのでしょう」

「持っていることには、それなりの理由と責務があるのですがねぇ」

「それを教える者がそばにいたとしても、受け入れるかは本人次第ですもの」

「なるほど、違いないですな!」


 王太子専用の馬場に近付くにつれて、馬の嘶きのようでいて、それとは違う、低く、背中から冷えていくような感じがする鳴き声が響いてきました。


 恐らく、カローリの鳴き声だと思うのですが、そちらへ行かなければならないのに、足が思うように動いてくれません。

レオナは、カールに支えられてやっと歩いているようですが、そのカールもかなり辛そうなので、二人には後から来るように言いました。


 青ざめた顔をしたレオナは、「な、なりません!侍女を伴わないなど、そのような……っ」と言って、そのあとに言葉を紡ごうにも震えてしまい、喋れなくなってしまいました。


 「レオナ、アーデルハイト殿下の歩みを止めてはいけません。事態は急を要します」

「ですが、カール!!」

「申し訳ございません、アーデルハイト殿下。我々は後から向かいます」

「分かりました。カール、レオナを頼みましたよ」

「そんなっ、殿下っ!!!」

「お任せください、アーデルハイト殿下!」


 レオナの言うことも分かるのですが、どうやらカローリが足を踏み鳴らしているようなのです。

駆けてはいないのかもしれませんが、それも時間の問題でしょう。


 震える足を叱咤し、重くなる身体を無理矢理にでも動かして先へと急ぐと、王太子専用の馬場が見え、倒れている人が複数おりました。


 侍女服を着た人物が、何かに覆いかぶさっており、その下からピンク色の可愛らしいヒラヒラしたものが見えたので、そこにロザリンドがいるのかもしれませんが、わたくしがするべきは、カローリの対処です。


 逃げ出したくなるような恐怖に襲われますが、ここでわたくしが逃げれば、カローリはヴァルター卿によって処分されるでしょう。


 ヴァルター卿に頼めば終わる話かもしれませんが、それで良いわけがありません。 


 震えて冷えた指先を強く握り込んで、わたくしは深く息を吸いました。


 ゆっくりと息を吐きながら目を閉じ、腰に下げていたムチを手に取り、目を開いてカローリを見つめると、ムチをふるいました。


 ヒュン…………。

パシーーーーン!


 わたくしに気付いたカローリの耳は後ろに倒れており、こちらに身体を向けると、前足を踏み鳴らしました。


 だめ。カローリを怖がっては、ダメ!

ここで怖気付いて態度を変えてしまえば、カローリは言うことを聞かなくなってしまう。


 カローリは、魔獣馬です。

わたくしの方が上だと示さなければ……。


 わたくしは、意地で背筋を伸ばし、目を眇め、余裕のある笑みを浮かべました。


 ここで死んだりするものですか。この命は、セラ様からの贈り物です。

寿命以外で死ぬことなど、有り得ませんわ!!


 わたくしは、もう一度、ムチをふるいました。


 ヒュンっ……。

パシーーーンっ!!


 「カローリ!!!」

「…………。」


 カローリは、まだ前足を踏み鳴らすのを止めません。

それどころか、駆ける動作に入ろうとしています。


 クッ……。

ここまでなの?


 「ハイジ殿下……」

「まだよ」

「ですが、ありゃあ、もう言うことは聞かんでしょう」

「いいえ。出来るわ。……やるのよ」


 大丈夫。


 カローリ。


 お前は、わたくしのものよ。


 わたくしは、ありったけの力を込めて叫び、ムチをふるいました。


 「平伏しなさい!!!」


 パァーーーーーンっ!!!


 その瞬間、身体の奥底から何かが溢れ、それが身体中を巡りました。


 「っ!?あつ……っ」

「ハイジ殿下!?」

「…………え?」


 熱さに思わず右手の手袋をズラして見てみると、右手の甲が光っており、その光が収まると、何やら模様のようなアザが浮かび上がっていました。


 先程まで、このようなものは、ございませんでしたが、何でしょう?


 ハッ……!?それよりも、今は、カローリですわ!!


 カローリへと目を向けると、ゆっくりとこちらへ歩いて来て、わたくしの少し手前で膝を折って座りました。


 「……いい子ね、カローリ」

「ブルルっ」

「よしよし、ご機嫌斜めでしたの?」

「ブルっ」

「まぁ、そんなに怒らないでちょうだい」

「ブルル」

「ふふっ、いい子よ。カローリは、いい子。よしよし」


 大人しくなったカローリを撫でていると、ヴァルター卿から声がかかりました。


 「ハイジ殿下?大丈夫ですかな?」

「ええ、大丈夫ですわ。カローリも落ち着きました。何やら無理矢理言うことを聞かされそうになって、抵抗したのですって」

「は?」

「ですから、無理矢理言うことを聞かされそうになったので、それに腹を立てていたそうよ」

「いえ、ハイジ殿下?何故、そのようなことがお分かりになるのですか?」

「あら?」


 何故か、カローリの気持ちといいますか、言っていることが分かるのですが、どうしてなのでしょうか?

首を傾げていても答えは出て来そうもありませんし、右手の甲も気になりますが、とりあえず、事態の収拾が先だと思い、そちらを優先することにしました。


 どうやらカローリは既に一度、暴れた後だったらしく、怪我人が多数おりましたが、幸いと言って良いのか、死人は出ていなかったとのこと。


 怪我人を医務室へ搬送させ、フランツに何があったのか話を聞ける状態の者から聞いて、報告してもらうことにして、わたくしは王太子宮の執務室へと行くことにしました。


 そして、戻って来たフランツの報告によりますと、ロザリンドが護衛騎士のみを引き連れて王太子専用の馬場に現れ、「お姉様の許可はあるから、カローリを連れて来なさい」と言い出した。

それを受けてアレクセイは、「かしこまりました。王太子殿下より連絡は受けておりますよ」と言って、カローリをロザリンドのところへ連れて行こうとした、と。


 わたくしがそのような許可を出すとは思えなかった厩務員たちは、アレクセイを止めたのですが、「カローリの調教師は私だ!!厩務員如きが口出しするな!!」と、厩務員の一人を殴りつけたとのこと。


 これは大変なことになったと、馬場から王太子宮まで報告に走り、他の厩務員たちは危ないことになるかもしれないと、王太子専用の馬場にいる馬を王族専用の馬場へと移動させた。

このことについては、王太子の許可なく馬を勝手に移動させたので、お咎めを受ける覚悟はあると言われたそうなのですが、罰を与えるつもりはありません。

 馬の安全を優先しただけですからね。


 そして、アレクセイによってロザリンドの元へカローリが連れて来られたのですが、どうやらカローリの大きさや姿が怖かったのか、ロザリンドは後退りしたとのこと。


 そのときに、カローリが突然暴れ出し、そばにいたアレクセイを思いっきり蹴り飛ばし、それを見たロザリンドは失神。

そこへ、侍女が駆けつけてロザリンドに覆いかぶさり、ロザリンドの護衛騎士は第二王女であるロザリンドを守ることなく逃げ惑い、その護衛騎士たちをカローリが蹴り飛ばした。


 荒れ狂うカローリは、次はロザリンドだと言わんばかりに、そちらへ駆けようとしたところで、わたくしたちが到着した、と。


 ロザリンドに覆いかぶさっていた侍女は、レオナが言うには、マヌエラへ報告をしに来たロザリンド付きの侍女ということでしたので、恐らくマヌエラの協力者でしょうね。


 フランツの報告を一緒に聞き終えたヴァルター卿は、「カローリは、魅了の魔眼を使われて、それで怒り狂ったのでしょうなぁ」と、顎を擦りながら言った。


 「普段から意図して使っておらず、使っているという意識すらないのだとすれば、恐怖に駆られて、自己防衛のために無意識に使ったのかもしれませんな」

「どうにかならないものかしらね……」

「対処するための魔道具は使っているそうなのですが、感情が高ぶると、それを抑えたり防いだりするのが難しいのだとか」

「なるほど。改善を待つしかございませんわね」


 ロザリンドに怪我はありませんでしたが、この事がトラウマとなって、彼女にどのような影響を及ぼすか分かったものではありません。

感情の高ぶりによって魅了の魔眼による影響が強まるとなると、今後とんでもないことになりそうよね。


 この忙しいときに、本当にやめてほしいものですわ。

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