閑話 アーデルハイトが知らない所で
献上された魔獣馬を支配下に置き、乗りこなすことが出来たと、王太子専用の馬場から戻って来たアーデルハイトから聞かされたマヌエラは、それはそれは、とても嬉しそうに微笑み、アーデルハイトを賞賛した。
馬場でムチや乗馬の訓練をする際は、高齢になりつつあるマヌエラのことを気遣って王太子宮へと待機させるアーデルハイトであったが、彼女自身は、馬場へ行くことも、公務で遠出しなければならない時でも、行動を共にすることは全く問題なかった。
しかし、アーデルハイトの好意を無碍にせず、それを嬉しそうに、だけれど少し申し訳なさそうに受け入れるマヌエラであったが、彼女は、アーデルハイトがいない時間にやらねばならぬ事があるため、待機させられていることは、助かってもいた。
そんなマヌエラは、いつものように自室にて報告書を書いていた。
その提出先は、海の向こうにあるテルネイ王国にいる親族である。
元々アイゼン王国は、テルネイ王国王家が治めていた国であった。
それを今のアイゼン王国王家に奪われてしまったのだが、何百年と時を重ねて、奪還の機会を窺っていたのだ。
国を追われたテルネイ王家の者たちは、資源豊かな群島を隠し財産として所有しており、そこへと逃れたのだが、造船技術や航海術に秀でていたのはテルネイ王家の方であったため、アイゼン王国王家は追いかけることが出来なかったのである。
そして、本来の王家の血筋を絶やさぬよう、テルネイ王家とその臣下たちは、細心の注意をはらいながら、奪還に向けて準備を推し進めた。
その間、アイゼン王国の方へと残ったテルネイ王家派の臣下たちは、アイゼン王国王家を腑抜けの
戦争になれば国が疲弊するため、静かに王位に返り咲く筋道を考えたのだ。
そうして、準備が整いつつあったとき、王家に王女二人しかいない状況となった。
第一王女であるアーデルハイトが王太子となり、そのアーデルハイトの王配として、テルネイ王家の王子を迎え入れれば、何の争いもなく、自然に王位の奪還が叶うと考えていたのだが、ヴィヨン帝国の第三皇子が婿入りしてくるとなると、それが叶わなくなる。
そのため、それを阻止するために、第三皇子とその周辺を唆し、手を貸した者がいたことで、とある計画が進められた。
それがヴィヨン帝国皇太子の暗殺計画である。
皇太子が暗殺されたとなれば、同じ正妃から生まれた第三皇子が次の皇太子となるだろうし、第二皇子が皇太子になろうとするならば、脅すなり一服盛るなり、やり方は色々とあると、テルネイ王家派の中でも過激派と呼ばれる派閥が動いたのだ。
そうして過激派が準備を進めていたところ、思わぬ事態が起こった。
アーデルハイトの様子が変わったのだ。
虐待じみた教育という名の憂さ晴らしを受けていたアーデルハイトが、ある日突然、次々に課題を終わらせていき、やがて父親である国王に自分の現状を書いた報告書を提出した。
それにより、傀儡計画を立てていた教師、それらを黙認していた側近たちも一斉に解任されたのだ。
アーデルハイトに何が起こったのか不明だが、何か良くないことになりそうだと、しばらく静観していた過激派であったが、アーデルハイトが新たに選んだ側近たちがテルネイ王家派とは違う派閥だったことに危機感を覚え、即座に撤収させた。
そんな中、侍女にマヌエラが選ばれた。
彼女は、テルネイ王家派ではあるが、どちらかといえば王国派と呼ばれる派閥で、国と民を優先することに重きを置いている家の生まれである。
マヌエラは、アーデルハイトが語る"夢の中の話"を聞き、身体中に歓喜が渦巻くのを感じた。
アーデルハイトの語る内容をただの夢だと思っている者がほとんどである中、マヌエラだけは確信していた。
その内容が実際に起こったことだと。
テルネイの王族には、"時戻し"と呼ばれる能力持ちが生まれることがある。
その能力を持った者がいれば、側室生まれであろうが何であろうが、それを持った者に第一王位継承権が与えられる。
その能力持ちが、処刑されたアーデルハイトを過去へ戻したと判断したマヌエラであったが、アーデルハイトの話を聞くに、その能力を持っていたのは、恐らくセラフィマと呼ばれた人物であろうと推察した。
そのセラフィマと呼ばれた人物の特徴に似た容姿の王子がいれば、アーデルハイトと上手く行くのではないかと、マヌエラは考えている。
アイゼン王国の王妃が生きている以上、恐らくテルネイ王国の第一王位継承権を持っているであろうセラフィマをこちらへ寄越してもらうことは出来ないので、そこはアーデルハイトに我慢してもらうしかないが、似た容姿の王子と仲良くなってくれれば、そのうちセラフィマとの思い出も薄くなるかもしれないと思ったのだ。
次に送る報告書には、アーデルハイトが統率能力のある魔獣馬カローリを支配下に置いたこと書き添えた。
魔獣馬の調教に来ていたのは、アーデルハイトを傀儡とすることを諦めていない過激派の者で、マヌエラが属している派閥としては、そちらを潰してしまいたいところでもある。
未来を生きた記憶を持つアーデルハイトは、誰が敵なのかを把握しているところもあり、過激派は現在、後手に回ってしまっている。
そのことがマヌエラは楽しくて仕方がない。
そんなマヌエラの元へ思わぬ人物が訪ねて来た。
「急にすまぬな」
「いえ、構いませんわ。夫が亡くなって、連れ合いもおりませんし、何よりお互いにこの歳ですからね。何を言われることもございませんわ」
「そうは言うが、若い酒より時を経て寝かせた酒の方が美味くはあるぞ?」
「まぁっ、まるで口説かれているようですわ。お戯れはおよしになってくださいまし」
「ククっ、では、本題に入るか。……裏で何をコソコソとやっておる?」
ヴァルターに鋭い視線を向けられたマヌエラは、淑やかな笑みを浮かべると、「アーデルハイト王太子殿下を思えばこそですわ」と答えた。
それに対してヴァルターは、「それならば儂に隠す必要はなかろう。詳しく話してもらおうか」と、殺気を滲ませて目を細めた。
マヌエラは、ヴァルターが生まれた家の特徴も知っており、彼だけであれば構わないだろうと、独断で全て話すことを決めた。
ヴァルターが生まれた家。
その家系は、男女問わず戦人としての訓練を施し、平時であっても魔力による身体強化を微量に展開しているため、状態異常が効かない人が多いのだ。
アイゼン王国王家が、どうやってテルネイ王家から王位を奪ったかというと、魅了の魔眼を使って、周囲からジワジワと崩していったからである。
北西にある危険な魔物がいる森に現れた特殊個体。
その魔物は額部分にある魅了の魔眼を使い、他の魔物を支配下に置き、人間の住まう場所へと勢力を拡大せんと攻めて来た。
甚大な被害を出しつつも、その魔物と配下をヴァルターの先祖が討伐し終え、使える素材を剥ぎ取っていき、魅了の魔眼は危険だとして、処分することになったのだが、その途中で魔眼を小さく削り取って持ち帰った者がいた。
それがアイゼン王国王家の祖となった人物である。
その持ち帰った魔眼を調べるうちに、これだけでは使い物にならないことに気付き、どうせ使い物にならないのならばと、それを自身で取り込んでしまった。
額に魔眼が出来たりはしなかったが、瞳に魅了の魔眼が宿ったことを知ると、それを使って思うままの人生を歩み出した。
その結果が王位剥奪であった。
魅了の魔眼は、王家に毎回現れるわけではなく、何代も生まれないこともあったとされているのだが、王家に生まれていないだけで、母体を介して他の家に生まれていることを知る者はいなかった。
保有する魔力が多ければ多いほど魅了の効果が増すことから、魔力量の多い王家へと魔眼持ちの娘がそれを活かして王家へと嫁いでいるため、王家に魔眼持ちが生まれているように見えただけなのだ。
ヴァルターであれば、魅了の魔眼に支配されないだろうから信用しても大丈夫だろうと、マヌエラは自身の素性を明かしたあと、ロザリンドについても話した。
「第二王女殿下は、魅了の魔眼持ちです。アーデルハイト殿下のお話から推測し、確証を得ております。既に対策は終えておりますので、ご心配には及びませんわ」
「……ふぅ。なるほどのぅ。ハイジ殿下の夢の話、あの内容の最大の疑問点が解消されたな。いくら溺愛されている王女であったとしても、周囲が何でもかんでも言うことを聞き過ぎだと思うておったが、魅了の魔眼……、ああ、なるほど。それでハイジ殿下は、儂に助力を願われたのか」
「いえ、恐らく、閣下のお家の事情まではご存知ではないようです。周囲の者たちの異常さと、閣下を比べられた結果で判断されたのだと思われますわ」
「そういえば、そのようなことを仰せになられておったな。夢の中の話で、儂だけは、第二王女殿下について陛下に諌言申した、と」
顎をさすり頷くヴァルターは、「その夢の中の話で、儂は王都から去ってどこへ行ったのだろうな……」と、考え込み始めた。
マヌエラもそこが気になってはいたのだ。王家が変わろうとも国のために生きる、その家柄は変わることなく、今に至る。そんな家に生まれたヴァルターが、何故、と。
目を細めたヴァルターは、とある方角を睨みつけて唸った。
「何ぞ、危険な状況になって、それの対処に向かったか?」
「っ!?そうだとするならば、閣下が王都を去られたのは、アーデルハイト殿下が10歳の頃。もう備えている時間がないのでは、ございませんか?」
「既に有事の際に備えておる。何が現れても王太子殿下の直属部隊がおれば、どうとでもなるぞ」
「それほど、なのでございますか……?」
「王太子殿下直属の部隊については、儂が一任されておるからな。ハイジ殿下のことだから、自身に何かあれば直属の部隊と共に逃げるつもりもしておられるのであろう。儂が王太子殿下の予算で部隊の強化をしても"仕方のない人だ"という顔をして苦笑なさって許可をくださる」
ヴァルターは、身分のことがあるので口にはしないが、アーデルハイトを"いい女"だと思った。
身分と年齢が合えば、手や策を尽くして落としにかかっただろうな、と。
しかし、それは、隣に並び立ちたいと思うのであって、家で帰りを待っていてほしい相手ではない。
だからこそヴァルターは、アーデルハイトが女王になることを望んでいるし、そのための王太子直属部隊でもある。
ニヤニヤとした笑みを浮かべたヴァルターは、「それで?ハイジ殿下の即位を阻むつもりはないと、そういうことで良いんだな?」と、改めてマヌエラに確認をした。
それを問われたマヌエラは、うっとりした笑みを返し、「当然でございますわ。"時戻し"の対象となられたのですもの」と言った。
"時戻し"が実行された時代に存在できることなど無いに等しいのに、その時代に自身が生きていることに、マヌエラは言い表せられない歓喜に打ち震えている。
同じ思想を抱く者たちからは、その対象であるアーデルハイトの筆頭侍女という立場に、血涙を流す勢いで羨ましがられていることも楽しいマヌエラであった。
「その、時を戻すとかいう能力については、知っている者は多いのか?それと、ハイジ殿下が時を戻られたことを知っている者は?」
「"時戻し"の能力については、テルネイ王家の方々以外ですと、王家に古くから代々仕えてきた家の者は知っておりますわ。アーデルハイト殿下のことは、あちらにいる親族の信頼できる者に報告書を出しております」
「そうか……。ああ、そういえば、話は変わるが、マヌエラ殿は、えらく王妃殿下に嫌がられておったが、何かしたのか?」
「あら、そのことでございますか?王妃たり得るために少々厳しくしただけですわ。アーデルハイト殿下が置かれていた状況から思えば、甘いし温い内容でしたけれど」
「なるほど、そういうことであったか。……マヌエラ殿から見て、どうにかなりそうか?」
「それは、母親としてでしょうか、それとも王妃としてでしょうか?」
「どちらも、だ」
「王妃としては、アーデルハイト殿下が即位なされるまでで良いですので、何とかなるでしょう。母親としては……、影響が抜け切れるまで接触されなければ、やがて親子となれると思いますわ」
「影響……、魅了の魔眼か?それほど酷いのか?」
ヴァルターに尋ねられたマヌエラは、重苦しく頷いた。
ある日突然、アーデルハイトを取り上げられ、面会も手紙も許されぬ状況になったことで、王妃は第二子であるロザリンドを抱えて離さず、アーデルハイトがいなくなった穴を埋めるようにしてロザリンドを溺愛した。
そのため、ロザリンドと接している時間が一番多く、心身共に衰弱していたことから、魅了の魔眼による影響が深く入り込んでしまっていたのだ。
王妃としての資質もそれほど高くないことから、このまま引っ込んでいてもらう方が良いと判断したマヌエラが、ちょっと画策したため、アーデルハイトに王妃の公務が回って来てしまった。
しかし、アーデルハイトならば出来るだろうとマヌエラが判断した通り、アーデルハイトは楽々こなしていき、その上、自由時間を確保できるほどであった。
だが、ここで、ヴァルターからそのことを注意された。
出来るからと、未来から戻って来たからと、それをさせるのは間違っている。アーデルハイトは、まだ10歳になったばかりの子供なのだ。能力は成人した王太子並にあるかもしれないが、心は育っていない、と。
そう言われたマヌエラは、ハッとした。
アーデルハイトは、虐待じみた教育が施され、親の愛情も得ることなく育ち、死ぬ前に、その心の穴を埋めるどころか、こじ開けて更に傷付けたのが第三皇子と妹のロザリンドであった。
指摘されて気付いたマヌエラは、片方の手で顔を覆うと項垂れた。
そのとき、ヴァルターは突然立ち上がり、窓の方へと体を向けると、剣に手をかけた。
それに驚いたマヌエラが視線をヴァルターから窓へと移すと、そこには伝令用の鳥がいた。
「閣下、驚かせてすみません。伝令用の鳥ですわ」
「窓に辿り着くまで気配に気付けなんだ。……
「ふふふ、この鳥に気付けただけで十分に凄いことなのですけれどね。少し失礼しますわ。閣下も内容が気になりますでしょう?」
「ああ、そうだな」
マヌエラは、伝令用の鳥から手紙を外し、それを読んで目を見開いた。
そこには、テルネイからアイゼンへ向けて船が出たこと、その船にテルネイ王国王子が乗っていること、その王子を女王となったアーデルハイトの王配に望む、と書かれていた。
それを知ったヴァルターは、熱烈歓迎してやらねばなりませんなぁ!と、獰猛に笑ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます