閑話 アーデルハイトの周りの人々
アイゼン王国の国王と王妃が政略ではなく、恋愛結婚であったことは国民にも知られていることであり、その仲睦まじい姿に国の未来も明るいと、あとはお世継ぎだけだと期待されていたが、生まれたのは王女が二人だった。
今回、アイゼン王国の王太子になった者の伴侶は、ヴィヨン帝国から迎え入れることになっている。そんなときに限って生まれたのが王女だけであった。
そして、国王は王妃が次の子を産めない可能性が高いと知り、側室を娶ることもせず、第一王女アーデルハイトを立太子させることを強行した。
国王は、第一王女アーデルハイトに、教育を徹底すると言った。
婿入りしてきたヴィヨン帝国の皇子をなるべく政治に関わらせないために、第一王女アーデルハイト自身で国を回せるようにさせる、と。
そうして行われたのが、虐待とも呼べる詰め込み教育であった。
3歳になったばかりの王太子アーデルハイトは、母である王妃から引き離され、泣こうが喚こうが課題を終えるまで、休憩も食事も与えられることはなかった。
周囲は、この王太子が王配の補助なく国を回せるようにしなければと、そういった思いも多少なりとはあったようだが、鬱憤を晴らす方が強かったのは否めない。
しかし、そんなある日。
王太子アーデルハイトは、教師の隙をつき、逃げ出した。
なかなか見つからず、教師たちが憤り、気が済むまでムチで叩いて教育してやろうと、歪な笑みを浮かべていたとき、王太子アーデルハイトは呆然とした様子で、使用人によって連れて来られた。
その顔には涙の跡が残っており、何があったのか使用人から聞かされた教師たちは、ほくそ笑んだ。
王太子アーデルハイトに教育と称して何をしても、誰からも何も言われないだろう、と。
国王の関心は愛する王妃と、その王妃に似た第二王女ロザリンドだけのようだから、好き勝手できると思ってしまったのだが、そう思っていられたのは、その日だけであった。
翌日には、王太子アーデルハイトは、幼児特有の澄んだ瞳ではなく、この世の全てを諦めたかのような濁った目をしていた。
昨日の出来事で心が折れたのなら、もっとやりやすくなるだろうと、そう思っていたのに、何故か急に課題を次々に終わらせていき、教師たちへ蔑むような目を向けて来た。
これに腹を立てた教師たちは、これでもかと課題を与えたが、それでも終わらせていき、逆にやり込められてしまった。
この教師たちから学ぶことはもうないと、終わらせた課題と共に、自身が置かれていた状況などを報告書にして、国王に提出した王太子アーデルハイトは、側近は自分で選ぶとして、相談役に元将軍のヴァルターを指名した。
つい先日まで「ワガママで覚えも悪い」などとされていた王太子アーデルハイトが、文字は少しヨレているとはいえ、きちんとした報告書を提出してきたことに、国王を含め、その周囲は衝撃を受けた。
本来ならば、幼い王太子が報告書を提出してきたことに驚くのだろうが、内容の方に意識が行ってしまっていた。
王太子アーデルハイトが置かれていた状況に衝撃を受けたのは、何も国王だけではなかった。
それは、立太子すると共に娘であるアーデルハイトを取り上げられた王妃もであった。
女王となるのだから甘えは許されぬと、立派な女王に育て上げると夫である国王から言われ、突然アーデルハイトと引き離され、面会も手紙のやり取りも許されず、その悲しみをロザリンドを甘やかすことで慰めていた王妃。
5歳となったアーデルハイトが駆け寄って来たが、国王がそれに怒り、使用人によって連れ出されてしまい、再び腕に抱くことは叶わなかった。
その王妃には、夫や娘以外に大切に想っていた弟がいた。
王妃の父がメイドに手をつけ、生まれた子で、名をブラットという。
庶子であるブラットの存在を王妃の母は許さず、ブラットが成人した後に放逐されてしまったのだが、絵を描くのが好きというか、それしかしない弟のために、姉である王妃は自身の持つ財産から彼を支援していた。
しかし、そのことを夫である国王には言っておらず、ブラットが王妃の弟であると知らない国王は、王妃とブラットが疚しい関係なのではないかと疑い、嫉妬した国王は勝手に支援を打ち切っていたのだ。
支援が打ち切られ、生活がままならなくなっていたのをブラットの友人が助けていたのだが、食費を置いていけば画材に消え、ならば保存食をとそれを置いておけば画材と交換されていた、なんてことも頻繁にあり、自分の持っている金だけでは、どうにもならないと、意を決してブラットの姉である王妃に頼もうと、王都へと行ったことで絵画品評会のことを知った。
ブラットの友人は貴族籍を持っているとはいえ、王妃にブラットのことで面会申請を出しても許可などされないかもしれないし、手紙を出したところで王妃のもとに届くかも分からない。
だから、絵画品評会にブラットの絵を推薦し、それがダメだったら王妃に手紙を出そうと考えた。
そして、絵画品評会にて最優秀賞を獲得したブラットは、王太子アーデルハイトのお抱え画家となったため、ブラットの友人は安堵の息をついた。
それでも、ブラットを支援すると言っていた王妃が、それを止めるとは思えず、もし、その支援するためのお金が誰かに着服でもされていたのならば良くないだろうと、王妃へとブラットのことでお祝いの言葉と共に、ブラットが置かれていた状況もあわせて書いた手紙を出した。
それから結構な日々が過ぎてから、やっと王妃から手紙の返事が来たのだ。
ブラットへの支援が打ち切られているとは、どういうことなの!?
という、王妃の悲鳴が聞こえて来そうな手紙であった。
王妃は、次の子が望めなくなったことを理由に、幼いアーデルハイトが早々に立太子することになったのを申し訳なく思い、自身を責めて気鬱が酷くなっており、産後の肥立ちが良くなかったこともあり、かなり悪化していた。
そのため、臥せっていることが多く、ブラットへの支援が勝手に打ち切られていたことにも気付けず、ブラットの友人からの手紙や他の個人的な手紙などもほとんど放置したままだった。
そんなある日、部屋へと来たロザリンドが置かれていた手紙の山を崩して遊んだため、たまたま送り主のところに書かれていた「ブラットの友人」という文字が見え、王妃は思わず手に取って読んだことで、ブラットが置かれている状況を知ったのだ。
ブラットの友人が王都へと行って、絵画品評会へブラットの絵を推薦し、王太子アーデルハイトがその絵を回収に行かせなければ、恐らくブラットは死んでいただろう。
その友人がブラットの元へと行けたのは、王太子アーデルハイト直属の部隊が絵を取りに行ってから、だいぶ経っていたのだから。
王妃は、すぐさまブラットへの支援がどうなっているのか調べさせた。
つい先日まで、臥せったまま世を儚んで死にそうになっていたとは思えないほど気力が漲り、目がギラついていた。
そんな王妃は、ブラットの支援が打ち切られていたことだけでなく、アーデルハイトが虐待じみた教育を施されていたことも知り、国王に罵詈雑言を浴びせかけた。
ブラットが弟であることを知らせなかった自身にも非はあるけれど、だからといって王妃個人の資産から支出されているものを勝手に止める権利などない、アーデルハイトを立派な女王にするために虐待する必要がどこにあったのか、まだまだ母親が必要な歳だったのに、と。
国王がどれだけ謝っても王妃は許さず、アーデルハイトが会いに来れば別だけれど、国王自身が会いに行くことは許さないと言い、これ以上王妃の機嫌を損ねたくなかった国王は、それを受け入れたが、アーデルハイトが自分たち両親のことを陛下と王妃様と呼んでいることに心が折れそうになった。
そのことを王妃も知り、どんな顔をしてアーデルハイトに会えば、手紙に何と書けば、と迷っているうちに、段々と日が過ぎていき、余計に行動が出来なくなってしまい、気が付けばアーデルハイトは8歳になってしまっていた。
そんな状況に置かれていた王太子アーデルハイトは、周囲のことなどお構いなしに、身分を問わず実力と人柄のみを考慮して採用した、王太子直属の部隊を作り、その部隊に絵画品評会に出品される絵を回収して来いと命令したのだが、そのことに貴族たちは慌てていた。
ヴァルターを相談役に指名した、王太子直属の部隊が国内を巡回するのだ。
絵画の回収など方便でしかなく、貴族を監視し、少しでも何か見つかれば、吊し上げられるのではないか、と。疚しいことが露見してしまえば、下手したら降格、最悪は身分剥奪、処刑になるのでは、と恐れた。
その甲斐あって、街道の巡回を怠って魔物の出現が多くなっていた地域では、領主が吊し上げを恐れて、巡回の頻度を増やしていたりと、良い方向へ向かった場所もあるし、不正に手を染めていた代官も大人しくなったりもした。
しかし、何事もなく、吊し上げられる貴族がいないことから、「なんだ、本当に絵画を回収していただけか。お絵描き部隊め、慌てさせよって」と、王太子アーデルハイトと直属の部隊を見下し始めた頃に、不正をしていた者たちが次々に摘発されていった。
王太子アーデルハイトは、絵画品評会に出品される絵を回収してきて欲しい。その道中に危険があれば、それを排除することを許可する。と、していた。
この「道中に危険があれば」は、内容が明確ではなく少し曖昧なため、拡大解釈も出来ることから、相談役となった参謀ヴァルターによって、いいように部隊は使われていたのだった。
しかも、王太子アーデルハイトは、未だに絵画品評会に出品される絵を回収させているので、他称"お絵描き部隊"は、未だに国内を定期的に巡回しているのだ。
そういった報告をヴァルターから聞かされた国王は、暗い顔で項垂れた。
「陛下……。いい加減、ハイジ殿下と仲直りされては、どうですかな?」
「…………愛称で、……呼んでおるのか」
「ええ、光栄にもご許可をいただけましたのでね」
「……父と、思うてくれているだろうか」
「思っておられないでしょうな」
国王は、アーデルハイトについて教師たちから「ワガママで言うことを聞かず、覚えも悪いようですが、何とかしますから」といった報告を受けていた。
それが蓋を開けてみれば、虐待のような詰め込み教育で、憂さ晴らしをされるかのようにムチで打たれていたことが判明した。それも本人からの
王太子アーデルハイトが急に神童ぶりを発揮しだしたため、ヴァルター卿の教育が素晴らしかったのだろうという声が上がり始めていたが、ヴァルターからすれば神童などではなく、「幼児の皮をかぶった何か」といった感想しかなかった。
何故、数える程しか会ったことのない自分を相談役になど指名したのか分からず会いに行ってみれば、幼児とは思えないほど濁った目でこちらを見上げ、「わたくし自身も含め、周囲を早急に整えたいと思います。ご助力願えますか?」と言った。
あの濁った目は戦場で何度も見た。危機的状況で助けが来ない絶望を味わった者の目だ。
どうやったら5歳のガキがあんな濁った目をするのかと、やるせなくなり、ヴァルターは相談役を引き受けたのだが、その後はもう楽しくて仕方がなかった。
面白いほどに不正が暴かれていき、王太子アーデルハイト殿下直属の部隊が通れば、暮らしやすくなるとまで言われたほどであった。
直属部隊を含め、アーデルハイトをこのまま育てていけば、王配となるであろうヴィヨン帝国の皇子に頼らずとも、国を回せるようになるだろうと、ヴァルターがよりすぐりの教師を用意してあると言い、その一覧が書かれた紙を国王に見せたところ、嫌そうな顔をして紙を伏せた。
その様子を見たヴァルターは、ニヤニヤした笑みを隠すこともせず言った。
「おや?どうかなさいましたかな?」
「さすがに……、歳が行き過ぎておるだろう」
「いえいえ、彼らは儂と同様、いつでも現役に戻れますぞ」
「あの子には、新しい価値観を持たせたいのだ。古い考えは、いらぬ」
「その結果が、あの虐待じみた教育とも呼べない暴行だったではないですか。当時5歳だった王女が、死の絶望を味わったヤツと同じ目をしていたのですぞ。あのままであったなら、とんでもないことになっていたでしょうな。だいたいが、あのような若造共が何を教えられるというのです?たいした経験もしていない、知識だけ。それならば本を読むだけで、こと足りますぞ」
アイゼン王国国王は父親である先代国王から、「帝国から輿入れしてきた王妃は、それはそれは傲慢でワガママであった。あのまま長生きでもされていては、国庫が空になったほどだ」と聞かされており、いいように使われている状態のアイゼン王国をヴィヨン帝国から切り離したいと思っていたのである。
北西にある危険な魔物がいる森の緩衝地帯として、どれだけヴィヨン帝国と国力に差があろうとも、攻め入られることはなかったが、ヴィヨン帝国からは属国のような扱いを受けつつあることにも納得がいかなかった。
そのような扱いを受ける謂れはないはずであるのに、そういった認識が広まっていることの原因も突き止められずにいた国王は、それを崩すためにアーデルハイトを早々に立太子させ、王配となった夫に頼らずとも政治を行えるようにと、そういった教育を施させていたつもりだったのだが、その中身は、ただの虐待でしかなかった。
そして、よりすぐりだったはずの教師たちから「言うことを聞かず、真面目に授業を受けない」と聞いた国王は、逃げ出してきたアーデルハイト本人に理由も聞かず腹を立て、妹であるロザリンドに暴行を加えようとしたことも相まって、手を叩き落とし、怒鳴り散らしてしまった。
その後からである。
アーデルハイトが「お父様」と呼ばずに、「陛下」と呼び、母である王妃のことも「お母様」から「王妃様」と呼ぶようになったのは。
それらのことが国王に重くのしかかり、アーデルハイトに謝りたくて会いに行こうにも、それを王妃が許してはくれず、アーデルハイトからは報告書や計画書は届くのに、手紙は一切来ないし、会いにも来てくれない。
しかも、個人に割り振られている予算を絵画品評会などというものに使おうとしていると計画書にあり、慌てて王太子の予算で行うように通達をしたのだ。
ドレスでも宝石でも好きな物を買って買い物を楽しんで、少しでも日頃の苦労や疲れが癒されればと、潤沢な資金を割り振っているのに、絵画品評会なるものに大金を使おうとし、しかも、買い物をすれば側近や使用人にまで買い与えており、自分のことにはあまり使わない。
使ったとしてもそのほとんどが刺繍にまつわるもので、出来上がった作品は教会や孤児院に寄付されることが多いのだが、国王も王妃もそれを貰ったことはなかった。
国王は、王太子アーデルハイトが5歳だった頃と今のロザリンドと比べてしまい、甘やかしていた原因が自分たちにあるとはいえ、天真爛漫で愛らしかったロザリンドが得体の知れない何かに思えてきてしまっていた。
ロザリンドの起こした暴挙も、まだ5歳ということもあり矯正できると、挽回の機会を与えたいと庇ったが、それが国民からの反感を買うことになってしまい、国王の人気は急降下している。
王太子アーデルハイト直属の部隊が巡回し、国を良くしようとしている行動もあって、余計に下がってしまったのである。
国王は、恨めしそうにヴァルターの袖を見た。
その視線の先に気付いたヴァルターは、付け替えが出来る、荘厳な刺繍が施されている飾り袖を撫でながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「ハイジ殿下からの賜り物ですよ」
「…………余は、貰っておらんぞ」
「さりげなくお渡ししてはどうかと進言したのですがね。眉を顰めて『いらないと思うわよ』と返ってきましたよ。そうそう、儂のマントにも刺繍してくださるとのことで、出来上がるのが待ち遠しいですな!さすがに娘からは、『老眼がきてるのよ。夫の分だけで限界よ!』なんて言われてしまえば無理は言えませんでしたからね。孫娘は婚約者にかかりきりで、ジジイのマントに刺繍などしてはくれませんしな」
「ぐぬぅ……」
嫌というほど悔しがればいいと、ヴァルターは今日も国王に王太子アーデルハイトから送られた刺繍の品々を見せびらかす。
酷いときには、日替わりで飾り袖の刺繍を付け替えたりもしていた。
側室を娶りたくないという自身のワガママを通すために、まだ3歳という幼い王女に無理を強いた報いであると、ヴァルターは国王に怒っているのだ。
ヴァルターだけではない。ヴァルターと同じような世代のものは特に怒っている。
ヴィヨン帝国は、魔物から受ける被害が少なく、どちらかといえば対人戦に特化した国で、それを活かして国土を広げてきたのだ。
しかし、アイゼン王国にある危険な魔物がいる森では、それが役に立たない。
だからこそ、ヴィヨン帝国はアイゼン王国を自国に取り込むことをしないのだが、アイゼン王国は属国扱いをされていると思い始めているし、ヴィヨン帝国でもそう思っている者がいる。
アイゼン王国では、ヴァルターたちの世代から下になると、とある情報が抜けているのだ。
ヴィヨン帝国から輿入れしてくる皇女は、莫大な資金を持ってアイゼン王国に嫁いで来ているのだが、その資金は危険な魔物がいる森での兵士たちへと使われている。
アイゼン王国が森からの脅威を抑えられなくなれば、次はヴィヨン帝国なので、そうならないように、潤沢な資金を投入し、戦線を維持できるようにしているのだ。
その情報が、ヴァルターたちの世代から下、つまり先代国王の頃から途切れていた。
恐らく、前回ヴィヨン帝国から輿入れした皇女が資金を私的利用したため、その支援がなくともやっていけると思った先代国王たちが、その情報を遮断し、現国王に反ヴィヨン帝国の感情を植え付けたのだろうと、ヴァルターたちは考えている。
ヴァルターは、王太子アーデルハイトの相談役として、正しい情報を彼女に与えたいと思った。
そのためにも、一覧に書かれている引退した重鎮たちの協力が必要なのだ。
国王に許可が貰えなくても、それこそ王太子アーデルハイトの友人となって動くことも出来ると迫り、ジジイやババアの友人を作らせるか、講師として招くか、どちらがいいですかな?とニヤニヤ笑うヴァルターであった。
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