6 懸念事項を解消したアーデルハイト

 みなさん、いかがお過ごしでございますか?

わたくし、もう嬉しくてたまりませんわ。


 セラ様がお気に召していた画家のブラットをやっと生きたまま確保できましたの!


 ブラットの友人が絵画品評会のことを知り、賞を貰って名が売れればブラットに後援者が出来るかもしれないと、勝手に応募していたそうなのですが、事後報告でそれを聞かされたブラットは、画材が貰えるならと、既に描き終わっていた傑作「夜を誘うきみ」を出品することを了承してくれたのだそうです。


 それをわたくしが巡回させていた部隊が取りに行ってくれたのですが、ブラットはガリッガリに痩せていて、放っておいては死んでしまうのではないかと思った隊員が、彼に食事を用意したのですって。


 しかし、今は用意されているものを食べていても、自分たちが去ったあと、また何も食べずに絵を描くことを選んでしまうのではないかと思い、なんと教会に少し寄付をして、食事を届けて様子を見てくれないか頼んでくれたの。


 頼まれた教会の神父が良い人であったため、快く引き受けてくれたので、絵画品評会で最優秀賞を獲得した際にブラットは生きていてくれました。

もちろん、その教会にはわたくしから追加で寄進し、隊員には寄付したお金に見合う品をご褒美として贈りました。


 ヴァルター卿から、その隊員は寄付したことを誇りに思っているので、金銭で返すよりも、品物で褒美とした方が喜ばれるだろうという助言もございましたからね。

その隊員の帰りを待ち続けた奥様に、心ばかりの品を贈らせていただいたのですわ。


 やはり絵を描くことに人生を捧げて、寝食を忘れるお人でしたのね、ブラットという画家は。


 しかし、初回でブラットを確保できてしまったので、わたくしとしては、絵画品評会を続ける熱意は薄れてしまったのですが、ヴァルター卿からとある提案を受けて、続けることにしました。


 その提案とは、絵画品評会に出品するべく続々と集まる絵画を品評会が終わったら、持ち主が許可した絵のみを入札方式で売りさばき、得たお金で画家に絵の代金を支払い、その残ったお金を使って・・・孤児院へ寄付するというものでした。

得たお金は絵画品評会の費用には一切使わず、孤児院への物資や修繕をこちらが手配して寄付するのです。


 そう。お金が直接転がり込まずに、現物支給されるので、着服することが難しいですし、食費が画材に消えて食い詰める画家も減りますわ。

さすがは、ヴァルター卿ですわね。


 そして、最優秀賞に選ばれたブラットが描いた傑作「夜を誘うきみ」は、他の優秀賞や佳作などの絵と共に一般公開された後、わたくしの王太子宮にしばらく飾り、その後は厳重に保管することにしました。


 ブラットを最優秀賞に選んだのは、贔屓でも何でもございませんのよ?

本当に「夜を誘うきみ」という絵は素敵なので、誰からも文句は出ませんでしたし、当然の結果とまで言われたほどですもの。


 そんなブラットには、城下町のはずれにある、木々に隠れた静かな家を贈り、そこには使用人を派遣し、面倒を見てもらっています。

なかなか食事をしてくれないブラットに痺れを切らしたメイドが、穀物や野菜、肉などを柔らかくなるまで煮込み、それをすり潰したものを絵を描いているブラットの口に放り込んでいるそうよ。


 そこまでして絵を描くブラットに狂気を感じますが、描かれた絵は素敵なので、もうそこは気にしないことにしました。


 それよりも、わたくしの直属部隊なのですが、絵を集めて回るのを前面に押し出した、討伐部隊でもあるのですよ。

でも、それを気に入らない方々というのもおりましてね。そんな方々が、わたくしの直属部隊を「お絵描き部隊」などと揶揄いたしますの。酷いと思いませんか?


 そのことを知ってヴァルター卿にご相談いたしましたら、「それならば、笑えないほど強くしましょうか」と返ってきました。


 笑えないほど、……強く?


 どういう事かと言うと、「お絵描き部隊」なんて可愛らしい通称でもつけていないと怖すぎる、というふうに持っていくそうですわ。

王太子直属の部隊なのだから、どれだけ強くとも問題はないとのことでしたが、笑えないほど強くさせられる隊員たちは大丈夫かしら?


 そう思っていたのですが、さすが実力重視で選んだだけありましたわ。

自分たちがバカにされているということは、王太子であるわたくしもバカにされていると奮起し、憧れのヴァルター卿からの指導を嬉々として受け入れているそうなの。


 ヴァルター卿から直接指導を受けられるとあって、他から志願してくる者もいるのですが、丁重にお断りしておりますわ。

だって、精鋭を引き抜いたから強くなったとか、言われたくありませんもの。


 でも、ねぇ……。

魔物や盗賊の危険があるのは分かりますが、アイゼン王国のお隣はヴィヨン帝国のみで、他国からの脅威というものが今のところない状態ですので、それで王太子直属の部隊を強化するというのは、いらぬ腹を探られることになりはしないかと、少し不安なのですけれどね。


 そう思いはしたのですが、王太子直属の部隊のみ強くなったところで、ヴィヨン帝国を相手に戦争をして勝てるわけでもないのですから、不安になることもないかしら?


 それに、テルネイ王国の船がやって来たとしても、勝てるとも思えませんしね……。

ヴィヨン帝国にすらない技術で造られている船ですよ?そんな船を持っているテルネイ王国の武器や兵士がアイゼン王国に劣るとは到底思えませんもの。


 つまり、結論と致しましては、王太子直属の部隊がどれだけ強くなろうとも、何の問題もないということですわ。

むしろ、再び冤罪で処刑でもされそうになれば、大暴れして逃げられるかもしれませんし。


 そうよね。生きることも考えていかなければいけませんね。

寿命が18歳までなのか、もっと長いのかは分かりませんが、出来ることなら平穏無事に歳をとって老衰で死にたいところです。


 でも、いずれ女王となるのであれば、そうも言っていられないかもしれませんけれどね。

わたくしに間違った情報を与えていた者たちがいたのですから、内部に敵がいると見ていいでしょう。


 ですが、今回は、諦めませんわ。

絶対に生き抜いてみせます!!と、志を新たにしたのですが、さっそく難題にぶつかってしまいましたわ。


 ヴァルター卿から、王太子という立場から乗馬は必須で、出来るならば早駆けが出来た方が良いと言われ、馬場へと向かったのですが、そこで恐怖によって身体が固まってしまったのです。


 そう。原因は、ムチですわ。

パシっ、というムチの音に、死ぬ前のときの記憶も合わさり、震えが止まらなくなりましたの。


 解任した教師たちへ反抗したときは、気分が高まっていて、恐れなど感じなくなっていたのですが、平常時の今は恐怖が溢れてきてしまいました。


 わたくしの異変に気付いたヴァルター卿から、馬が怖いのかと尋ねられたのですが、上手く声を発することが出来ず、何とか「ムチ……」とだけ口にすると、レオナがハッとして、そっと背中を撫でてくれました。


 「うーむ。そうか、ムチか……」

「あの、ヴァルター卿、本日の乗馬訓練を中止には出来ませんか?アーデルハイト殿下のこのご様子では、とても訓練を出来る状態にあるとは思えません」

「むぅ。しかしのぅ……、王太子殿下に隙があってはならぬ。そうだな、うむ、ではムチが怖いものではないと、分かれば良いのではないですかな?なーに、儂の息子や孫も最初は刃物を持つことを怖がったものです。しかし、それが自身や大切な人を守れるのだと分かれば、恐怖はなくなり頼もしく思えるものです」


 ということでございまして、わたくし、ムチを持たされました。

ただ、乗馬のときや躾に使う短いものではなく、紐のような細く長いものでしたが、それでも手が震えます。


 ヴァルター卿がわたくしに持たせたムチよりも長いものを持ち、「こうするのですぞ!」と、ふるいました。


 パァーーーーーンっ!!!


 「っひぅ……!」

「さあ、ハイジ殿下!やってみましょう!」

「む、むむむムリ、です!」

「大丈夫です、怖いのは最初だけです。慣れれば気持ちいいですぞ!」

「あの、ヴァルター卿……その言い方は、ちょっと……」

「ん?どうかしたかね、レオナ殿?」

「いえ、なんでもございません……」

「そうですなぁ、腹の立つ相手が向こうにいると思って、それでブッ叩いてやれば良いのです!さぁ、パーーーンと!!」


 腹の立つ相手……。

そう言われて思い浮かんだのは、ヴィヨン帝国第三皇子殿下や解任した側近や教師の姿でした。


 これで、彼らを叩く……。


 ゴクリと喉を鳴らしたわたくしは、思い切ってムチをふるいました。


 へにょ……。


 「ヴァルター卿……」

「……ハイジ殿下には、このムチが少し長かったようですな。もう少し短くても大丈夫ですかな?」

「…………。ええ、やってみますわ」


 あまり短いと、わたくしが怖がると思って、少し長めのムチを渡してくださったのですが、振れなければ、何にもなりませんものね。


 気を取り直して、少し短めのムチを手にしましたが、どうしても手が震えるので、強く握りしめ、歯を食いしばって思いっきりムチをふるいました。


 ザシュ、という音がして、地面が少し荒れました。

ヴァルター卿のように音が鳴らなかったのは、何故なのかしら?


 「ハイジ殿下。ムチの音とは、空気を切り裂くことから出る音なのです」

「……空気とは切れるものなのですか!?」

「いえ、切れませんぞ」

「どちらなのですか……」

「空気を切り裂くときに音が鳴るのですが、切り裂いた後にムチが当たっても怪我はしないのです。ハイジ殿下、ムチで叩かれた際、赤くなっても身体がえぐれたり血が出たりはしなかったでしょう?」

「っ……。そう、いえば、そうね。まあ、服の下は、しばらく痣になっていましたが、血が出るようなことはなかったですわ」

「ムチを自在に操れるようになれば、その加減が出来るようになりますぞ。さあ、練習あるのみです!」


 何度も何度もふるい、ヴァルター卿から力任せに振るなと指導され、上手くいかないことに段々イライラしてくると、第三皇子殿下や解任した教師、側近の姿が浮かんでは消え、余計に腹が立ち、あのキラキラしい顔をズッタズタにしてあげますわ!!と、ふるった瞬間にパシーーン!と音が鳴りました。


 「おお、鳴りましたな!!」

「………………あはっ」

「アーデルハイト殿下……?」

「その調子ですぞ、ハイジ殿下!」


 困惑するレオナを放置して、ヴァルター卿がワラで出来た練習用の人形を用意してくれたので、それに向かってふるい続けました。


 「……うふっ」

「アーデルハイト殿下……、大丈夫ですか?」

「あはっ」

「ヴァルター卿……、アーデルハイト殿下は大丈夫でしょうか?」

「うむ、これだけワラ人形をズタズタに出来れば、もうムチによる恐怖はないでしょうな!」

「いえ、そういうことではなく……」


 こうしてわたくしは、ムチという恐怖を克服し、自衛の手段も手に入れたのでした。


 そういえば、レオナがずっと困惑している様子だったのですが、どうしたのかしら?

もしかしたら、荒療治とも言えるムチの訓練が良いものだとは思えなかったのかもしれませんわね。


 でも、これで、冤罪をかけられたとしても、薙ぎ払って逃げることが出来るかもしれないと思うと、もっと練習しなければ、と思うのです。

抗うことも出来ず、死ぬしかなかった前回のようにだけは、絶対になりませんわ!

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