3 自由時間を得たアーデルハイト

 みなさま、ごきげんよう。


 さっそく国王陛下から指示を受けた教師陣により、詰め込み教育が開始されましたが、出来ないふりをするのも面倒ですし、だからといって真面目に取り組むの馬鹿らしく思えたので、次々に課題をこなしていくことにしました。


 そうしましたら、最初こそは顔を引きつらせながらも賞賛の声を掛けてくれていたのですが、段々と無言になり、そのうち得体の知れないバケモノでも見るような目になっていきましたわ。


 何をそんなに気持ち悪がっているのかしらね?

あなた方が望んだことでしょう?これくらい出来なくては王太子として相応しくなく、女王になどとてもないれないと言っていたではありませんか。


 幼い頃は、ムチと叱責に怯え、与えられるがままに課題を必死でこなしていただけだったのですが、心が18歳も過ぎているわたくしが改めてこの教師陣を見れば、知識があるだけの、ただの未熟者だったことが知れました。


 そうなのよ。ムチも叱責も、ただの憂さ晴らしだったのですわ。

幼いわたくしに、躾と教育という名で体罰を与え、抱えた鬱憤をわたくしで晴らしていた愚かな未熟者たちだったのよ。


 こんなことなら、暴れて癇癪でも起こしていれば良かったわ。


 さて、与えても与えても即座に課題を終わらせてしまっていたのですが、それが面白くない教師たちは、休むことなく取り組んだとしても、一日で終われない量の課題を与えてきました。

ですから、わたくしは「さすがにこれは、おかしいのではなくて?」と言うことにしました。


 「これが本当に1日で終われると申されるのであれば、先生がお手本を見せてくださいませ。5歳のわたくしに出来るとお思いなのでしょう?それでしたら、先生ならば半分以下の時間で終わらせられますよね?出来ないなんて、そんなことはございませんでしょう?まさか、出来もしないことをわたくしにやらせようとしておられたのですか?」

「そ、そのようなことは……、ございませんが。これは、その、殿下に与えられた課題ですので、わたくし共がするのは筋違いでございますよ!そのようなことを言って、課題から逃れようとするのは、良くありませんねぇ。まだ躾が必要なようです」

「まあっ、ムチで叩けば言うことを聞くとでもお思いですか?まるで家畜のような扱いだわ!」

「かっ、家畜だなどと!!」

「だってそうでございましょう?言うことを聞かなければムチで叩くことが、家畜扱いでなく何だと申されるのです!?これは、陛下にご報告させていただきますわ!誰が見ても時間内に終わらないほど大量に課題を与えて、出来ていないと言って暴力を振るうと!!」


 そうしたら、しどろもどろになり、やがて「どうやら数日分の課題が重なっていたようです。本日の課題は、こちらです」と言って、積み上げられていた一日の課題が5分の1になりました。


 ……この教師、5分の1程度しか出来ませんの?

そう思いましたが、自由な時間を得られたのですから、そのことについては考えないことにしました。

 5分の1だったとしても、5歳の幼子にやらせる量ではございませんけれどね。


 ですが、課題をできる範囲に減らされようとも、陛下には報告し、彼らを解任していただきますわ。

どの道、この教師たちが与えてくる課題の内容は、既に頭にあるのですから、経験がなく知識のみしかない彼らに教えを請わなければならないものなど、ございませんもの。

 

 ということで、時間に余裕が出来たわたくしが始めたのは、刺繍でした。

女性であったとしても王太子となる者に刺繍の技術は不必要だと、そういった女性らしいものはやらせて貰えなかったのよ。


 そういったことから、婚約者であった第三皇子殿下へ渡す刺繍入りのハンカチなどは、何故かロザリンドが用意しておりましたわ。

王太子にそういった技術が必要でなくても、女性には必要だったのだと、そのときになって分かっても遅かったのですけれどね。


 ということで、陛下に教師たちの虐待じみた教育の報告と、刺繍を始めてみたいので、その指導をしてくださる方の紹介を依頼しておきました。

却下されるかもしれませんが、そうであったとしても、行動を起こさない理由にはならないもの。


 このときに、娘から父へと宛てた手紙ですと、開封もされずに破棄される可能性もございますから、きちんと王太子から国王陛下へと宛てた報告書として、出しておきましたわ。

ただの5歳の幼女であったならば報告書など書けなかったでしょうが、死ぬ前に散々書いて出しておりましたからね。どうやって書いて、どこの誰に出せば良いかは熟知しておりましてよ。


 そして後日。今の教師たちは解任、次の教師たちについては、選考する時間が必要なため、自習しているようにと通達がございました。

ええ、通達です。陛下にはお会いしておりませんわ。いつものことですので、構いませんのよ。


 刺繍は許可が出て、指導をしてくださる教師を派遣していただけたのですが、ヘレナ夫人という方で、夫を亡くし、生活が少し大変になったことから、わたくしの刺繍指導を受けてくださったそうです。

お子さんは10歳と8歳の男の子二人で、生活費だけでなく今後の学費も必要になるため、かなり苦しい状況になったかもしれず、今回の刺繍指導の話はとてもありがたかったとのこと。


 王太子への刺繍指導ですから、お給金はかなり良いと思いますわ。


 ヘレナ夫人の亡き夫は伯爵家当主だったのですが、子が成人していない場合、継承権のある成人した親族の方へ当主が回されてしまいますからね。

子が成人した後に当主の座を明け渡してくださる方など、滅多におりませんから、ヘレナ夫人のお子さんが伯爵家を継ぐことは難しく、そうなるとお子さんたちは自分で身を立てなければなりません。


 その身を立てるために学園へ通うのですが、その学費もかなり高額なのです。

騎士となるなら、乗馬に必要な物や鍛錬に必要な武器防具など、学費の他にそういった出費もありますから、今から費用を貯めておかなければいけませんものね。


 ヘレナ夫人は、王太子の刺繍指導に選ばれただけあって、とても上手で、しかも速いので、どうせなら内職をここでしていていただくのも良いかもしれないと思い、わたくしに丁寧に教えてくださっているヘレナ夫人を休憩しましょうと、お茶に誘いました。


 「ヘレナ夫人、楽にしてちょうだいね」

「ありがとうございます、アーデルハイト殿下」

「あのね、少しあなたとお話をしたいと思って、それでお茶にしたの」

「まぁ、大変光栄にございますわ」

「あのね、わたくしが刺繍をしているとき、あなたは手が空くでしょう?ですから、その時間にあなたも刺繍をしたら良いと思って」

「わたくしも、ですか?」

「ええ、そうよ。あなたほどの刺繍の腕があるのなら、それこそ刺繍されたものを欲しがる人は多いのではなくて?」


 わたくしが何を言いたいのか察してくださったヘレナ夫人は、涙を滲ませて、「っ……ええ、そうさせていただきますわ。わたくしも刺繍が好きですから」と、力の抜けた笑みを浮かべました。


 ふふっ、淑女の仮面が外れていましてよ、ヘレナ夫人。


 そうして始まったヘレナ夫人との刺繍の時間。

これがまた楽しいの何のと、夢中になりましたわ。

 花が咲いていく様を見ているようで、刺繍していて、とても楽しかったのですが、ちょっと残念なことにもなってしまったのよね。


 わたくしは、刺繍が楽しくて止められなくて、ハンカチに隙間がなくなってしまい、もうハンカチではなくタペストリーみたいになってしまいますの。

そんなわたくしの様子を見たヘレナ夫人は、刺繍絵画というものがあり、そちらを思う存分やってみて、落ち着いたらハンカチに刺繍してみては、いかがですか?と提案してくださいましたので、どうせやるならと、超大作を考案中ですわ!


 わたくしが刺繍したハンカチではなくタペストリーとも言える布の数々は、孤児院へ寄付することにしました。

それほど高い値をつけなければ、どなたかが買って、部屋の隅にでも飾るかもしれませんからね。


 こういった布や刺繍糸のお金は、王太子としてではなく、わたくし個人へと割り振られているお金から捻出していますので、誰に文句を言われることもないでしょう。

王太子としての予算は、公務に関わるようなものにしか使えませんからね。この公務に関わるというのは、婚約者がいればそちらへの贈り物も含まれますわ。


 死ぬ前のわたくしは、個人へと割り振られたお金で何を買えば良いのか分からず使わずにいたため、ロザリンドがお小遣いが足りなくなったからと、わたくしのお小遣いが無断で流用されていたのですよ。

それを知って何故と口にしたならば、姉なのだから、そのくらいのことで目くじらを立てるな。心が狭い。妹が可愛くないのか。などと怒られるはめになったのですけれどね。


 さすがに超大作となると、専用の部屋が一つ必要になりそうなので、わたくしに宛てがわれている王太子宮の一室に準備をしてもらい、鍵を取り替えていただきました。

鍵だけでなく合鍵も誰にも渡さず、わたくし自身が預かりましたが、信用できる者が側近になるまで誰にも渡すつもりはございませんよ。


 だって、信用できない者に渡したが最後、ロザリンドが勝手に入って来るかもしれませんもの。


 死ぬ前のとき、ロザリンドが欲しいと言ったからと、メイドは勝手に鍵を開けて、ロザリンドをわたくしの部屋に入れたことがありました。

そのことを陛下に伝えたところ、そのような事で一々文句を言うなと返ってきましたが、ロザリンドが持ち出したのは、婚約者である第三皇子殿下から頂いた品だったのですよ。

 結局、ロザリンドがそれを身につけていたことを知った第三皇子殿下は、「気に入らなかったのなら、そう言えば良いものをローズィに押し付けるようなことをして……」と、蔑んだ目で見てきましたわ。


 そのようなことがあったものですから、死ぬ前のわたくしは、大切に思うものを作らないように致しました。


 予算を与えられていても、必要最低限のものだけを購入することにしたため、わたくしの衣装部屋は公務で使うもの以外は、かなり少なく、いくつもあった宝石箱のうち、中身が空の物もございましたね。


 今回の人生では、どうなるか分かりませんが、今のところ早死にしないとは言いきれませんので、あまり物を増やすことはしないつもりですわ。

 

 それよりも有意義な時間を過ごすために、お金を使うべきだと思いませんか?


 例えば……、ふふ……。

楽しみだわ。


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