第20話 お医者さん
八木さんが朝から慌ただしい。佐々木さんと言い合いになっている。
「今日は、帰る日なのよ。ひいちゃんが待ってる。」
「今日は、夕方帰ることになっています。バスも夕方にならないとこないから、おやつでも食べていって下さい。」
「また、そんなこと言って、いつも嘘ばっかり。全然帰れないじゃないか。この詐欺師が。ひいちゃんを誘拐してるんだ。犯罪者ども!」
いつも、穏やかな八木さんが怒り狂っている。
「先生の許可があれば、いつでも帰れますよ。先生の許可書は持っていますか?」
「先生、どこにいるのよ?あっ、いたいた!」
佐々木さんがしまったという顔をした。
「あー、タイミング悪く来ちゃったか…高木先生すみません。」
佐々木さんは小声でそういうとその場から去っていった。
高木先生と言われた男性は、白衣を着ているのでお医者さんのようだが、白髪で背中は丸まっていて、顔は無表情で、歩き方もぎこちない。ここの入所者かと思ってしまった。
「先生、もう退院したいんです。」
八木さんは、高木先生につめよる。
「ごめんなさい。ちょっと、忙しいです。」
高木先生はよたよたと八木さんをよけて歩こうとするが、八木さんの方が歩くのがうまいのですぐに追いつかれてします。
「先生、こっちです。佐々木君、大事な話をするから八木さんを連れて行って。」
看護師が西城さんの部屋から叫ぶ。
「また、俺か。くっそ、排せつ介助が終わらない。」
佐々木さんはそう言うと八木さんを無理やり連れて行った。
西城さんに何かあったのかしら。
私は、そっと車いすをこいで西城さんの部屋の方に向かった。ドアは閉まっているけれど、声はもれてくる。私は、まだ耳はいいの。
「先生、足の指の所、黒く変色してるんです。転倒による内出血かと思ったんですが、どんどんひどくなっていて。浮腫みもどんどんひどくなっているんです。」
「抗生剤を出しましょう。あと、湿布ね。痛み止めも追加しましょう。」
「早く病院に行けるといいですね。先生。」
「もう一度、掛け合ってみましょう。食事はとれていますか?」
「はい。全量とれています。ただ、最初は痛みを強く訴えていたんですが、今は全然痛くないみたいで、歩き回ったりしているんです。言っていることもつじつまが合わないことが多くて。」
その時、西城さんが喋った。
「みなさん、集まっていただきありがとうございます。もうすぐ、西城義孝はあの世に参ります。私は、戦地で仲間が死んでいく中、生き残ってしまいました。そして、こんなに長く生きて、幸せに暮らしました。たくさんの友ができ、美味しいものをいっぱい食べました。食べ物を食べるときに死んだ仲間に届くようにいただきますと大きな声で言っていました。みんなが飢えずにごはんが食べられる世の中になって本当によかった。みんな頑張った。万歳、万歳。」
「声は元気ですね。骨折によって血管や神経が傷ついちゃったのかな。ここでは、治せない。」
高木先生は静かに言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます