第7話 PCR検査

 歯磨きとトイレが終わると、また食事の席に戻らされた。西城さんは、背筋をピンと伸ばしてノートに何か書いていた。習字のお手本かと思うほどのきれいな字だ。

「先ほどはありがとうございました。」

「さっき、何かありましたか?物忘れが激しくて、申し訳ありません。」

 この人も頭がやられてるのね。でも、穏やかな人ね。

「何を書いているのですか?きれいな字ですね。」

「般若心経を書いています。子供のころからの日課なんです。最初は父親に言われて泣く泣く書いていたんですが、今では毎日書かないと落ち着かなくて。般若心経には、万物の理が詰まっています。何十年と書いていますが、まだ、理解しきれていない。私は、まだまだです。」

 西城さんは穏やかに笑顔で言う。笑うと、目元に皺ができる。

「先生はね、なんでも知ってるのよ。」

 八木さんが横から笑顔で言う。

「いえいえ、私は、出来損ないです。父親は医者でね。一人息子の私を医者にしたかった。でも、勉強がからっきしだめで、失望してましたよ。試験ができないと、随分殴られましたね。母親は早くに亡くなってしまったから、父親なりの愛情だったのかもしれませんが。」

 なるほど、育ちの良さを感じる振る舞いの中には、厳しい躾があったわけね。私の家も、代々続く着物屋で、躾には厳しかった。昔は、家を背負うという意識が強かったのよ。

 そこへ、突然看護師がやってきて、

「PCR検査やりますので席についてください。」

 と大声で言った。

 八木さんが、

「吉井さーん、吉井さーん、座って座って。」

 と大声で言うと、女性が

「あんたね、私はあんたより年上だけどしっかりしてるのよ。」

と怪訝な顔で言う。吉井さんというのか。このテーブルの中では一番年上そうだ。シルバーカーを押しながら、席に移動してくる。これでもかと思うほど腰が曲がっているのに、歩くスピードは速い。

 座席で順番にPCR検査が行われた。

「やだー、絶対やだー」

 と、子供みたいな声が聞こえて来るが、職員が説得したり、後ろから羽交い絞めにしたりして、手早く行っていく。

「あんたらー、私を、私を殺そうとして。馬鹿野郎!!!!」

 ひときわ大きい怒鳴り声をあげたのは横山だ。

 ただ、職員は手早く横山を羽交い絞めにして鼻に綿棒を突っ込んでいく。

「いたーい!!」

「喋らない、喋らない。」

「はい、終わり。」

 職員は、手早くPCR検査を行うと去っていった。昼休みに食べ物を詰まらせた男性がコロナだったんだろう。



 それから、30分後。

 また、職員がやってきて、大声で言った。

「お部屋の移動があります。皆様ご協力、よろしくお願いします。」

 流行り病の影響を早くも受けてしまった。疲れがとれない。

「帰りたい」

 どこへとも言えず、ぽつりとつぶやく。

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