其之拾壱 戰の世へ【戰國篇・第十一段】

 朝日の昇っている中、鞍馬口通を西へ西へと走る者が居る。藍韋肩赤縅の大鎧を着た刀傷の目立つ男——畠山政長である。彼は今し方ここから少し東にある上御霊神社にて戦に負け、逃走をしていた。今信頼できる部下は皆彼を逃がす為討死覚悟で殿を務めている。殿は、退却戦に於いて最も重要な役割と言っても良い。先方を安全に逃がす為、後ろから迫り来る敵兵を食い止める役である。言うなれば戦に於ける人柱である。人間盾とも言える。死んでもおかしくは無い非常に危険な役割だ。そんな役に全部下を投入してしまった、するしかなかった政長は心が痛んだ。自分があの時勝ったと思い込み、勝鬨をあげなければ——。政長は自分の詰めの甘さに怒りを覚えた。いっその事もう死んでしまいたいくらいであった。だが、その考えはすぐに政長の頭から消え失せた。取り敢えず今は逃げる事だ。逃げて逃げて逃げ通し、再び態勢を立て直し、義就と宗全を討ち果たす。死ぬのはその後であると政長は決意した。

「それまでは死ねぬ。死んでなるものか!」

 政長はそう叫ぶと妙覚寺の角を曲がって寺々の間を南下した。目指すは細川勝元邸である。

「あと一押しじゃあ!政長を逃すなぁ‼︎」

 その頃義就は山名朝倉勢の退却の真意を知ると、すぐさま加勢をしに、上御霊神社の東に現れた。逃げてしまった政長を求めて目の前の軍勢を薙ぎ払っていた。着々と敵の数は減ってはいるが、思うように前へと進めない。義就は焦っていた。ここでちまちまとやっていては政長に逃げられて

しまう。早く早くと自分に叱りつけながら敵兵を切り捨てていった。

「申し上げます!お館様は無事に到着した模様に御座います!」

「そうか!よし!皆のものよくやったぞ!我らもさっさと退却してしまおう!」

 遊佐長直は歓喜した。主人は無事に然るべきところへ逃げられたらしかったからだ。長直は前へ向かって叫んだ。

「うわぁぁぁぁぁ‼︎……山城国宇治郡里尻町‼︎……百姓弥平‼︎……敵の大将、畠山弾正少弼政長が首‼︎討ち取ったぞぉ‼︎」

 勿論弥平なんて者は居ない。だが、これだけ数が多いと、誑かすのは簡単であった。敵勢は容易に「畠山政長討死」を信じた。部将たちも信じ込んでしまった。

「よし!……良いぞ良いぞ!残りも討ち取れ!皆殺せ‼︎」

 義就は浮き立った。遂に弥平なる百姓が政長を討ち取ったらしいからである。遂に邪魔者は消え去った。後は残党狩りだけである。

「何じゃとっ⁉︎……えぇいやむを得まい!全軍撤退じゃあ‼︎」

 神保長誠は芝居を打った。これで大目玉を失った敵勢は少し戦闘意欲を無くした。これから先は幾ら戦えども芳しい褒美は出ないからである。わざわざ死にに行くのは足軽達はごめんだった。士気のある程度下がった敵から逃れるのは容易であった。結局義就は敵将を一人も打ち取れぬまま敵よ退却を許してしまったのである。これにて上御霊社の戦いは終焉した。

 細川勝元邸の門を叩く者が居る。

「こんな朝早くに何じゃ……?」

 勝元は行水用の手桶の水をその辺へぶち撒け、桶を空にした。そしてそれを井戸端に置くと、着物をさっさと身につけて門へ向かった。

「勝元殿!儂じゃ!畠山弾正少弼政長じゃ!」

 何と門の外に居るのは畠山政長であった。勝元は声を聞いて本人である事を確信し、彼の為に門を開けてやった。するとそこには藍韋肩赤縅の

大鎧を着た刀傷の目立つ男、畠山政長が突っ立っていた。勝元はそれを見てすぐに状況を察した。

「結局負けたのか……。遊佐河内守、神保宗右衛門尉はいかがした⁉︎……無事かっ⁉︎」

 勝元は慌てた。ここで二人に死なれては、身勝手な山名宗全に立ち向かう者が減ってしまう。

「……おそらくは……大事至らないかと——。後からやって参ります。」

「そうか……。ささっ、早う中に入られよ。じきに追手が来るやもしれん。再起が図れるようになるまで私がここで匿ってやろう。」

「忝い。」

 政長は急いで門の敷居を跨ぎ超えた。政長が門の内側に入ったことを確認すると勝元は素早く門を閉め、大きな閂をかけた。

 ——以上が上御霊社の戦いである。この戦の顛末を知った時の将軍、足利義政はこの小さな戦いが大乱になることを予期し、政長派、義就派両派が真っ先に頼りそうな細川勝元、山名宗全、その他三管四職やその下で働く有力大名に、この戦に関わらないようにと再び下知を下した。しかし、やはりそれも一時的なもので、最終的には効力を成さなかった。上御霊社の戦いから四ヶ月後の文正二年五月、匿っている政長の依頼を受け、表向きは幕府内で身勝手な行動をとり続ける宗全に鉄槌を下すべく、細川勝元は畠山政長、(元管領組)を引き連れ、京に三万五千、別働隊、他の地域で戦う者を含め、総勢十六万を派遣。それに呼応し、山名宗全は畠山義就を引き連れ、京に三万余を、その他を含め十一万を派遣した。そして義政の危惧していた事態が勃発した。京での大乱、一条大宮の戦いが幕を開けたのである。場所は上御霊神社の近くだ。その他にも斯波義敏は細川派に味方し、政長と同じように主導権を奪った斯波義廉の領国、越前へ攻め入った。細川派の赤松政則の家臣宇野政秀は宗全の領国播磨へ、同じく細川派の土岐政康は一色義直の領国伊勢へと侵攻した。この戦をきっかけに各の不満や対立が暴発し、日ノ本各地で「細川山名への加勢」と言う口実でやりたい放題になった。手をつけられず困った義政は、もとより計画していた東山慈照寺への隠居を行った。武士の力が強すぎたために各地で互角の戦いが繰り広げられ、戦が長引いた。細川勝元、山名宗全、畠山従兄弟が病死、討死してもなお戦は続き、日ノ本中が修羅道と化した、戦国の世へと突入したのである。



戰國平定錄 戰國篇 ▪︎完▪︎

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