其之拾 敗北【戰國篇・第十段】

「何故北と東から攻めぬ?馬鹿が……。」

 采を振りながら不満を漏らしたのは義就軍の山名政豊である。この上御霊神社には西に堀川、南に相国寺の藪大堀が引かれていたため、攻め口は東と北だけだった。しかし、義就はわざわざ西の堀川から攻めているのである。

「何故このような愚策を……。もう良いわっ‼︎皆の衆‼︎一時退却じゃ‼︎」

 政豊は自軍に退却命令を出した。将兵は当然ながら戸惑った。が、主君の命であるので、取り敢えず退却を始めた。それを見た政長軍はいきりたった。敵が敗走を始めたからである。

「見よ!山名の倅が尻尾を巻いて逃げていくぞ!追え‼︎一兵たりとも逃してはならん‼︎一人残らず殺せ‼︎」

 政長軍はさらに攻撃を強化した。多くの将兵が死んでいく。が、政豊は退却をやめない。今まで劣勢でも優勢でも無かったのにだ。義就軍には激震が走った。

「何故退くっ⁉︎待て山城守‼︎まだ戦は終わっては居らぬぞ!」

 義就は大声で呼ばわったがやはり政豊は止まらない。それどころか孝景にも退却を勧めた。そして——。

「我らも山城守に続くぞ!」

 最初は動揺していた孝景であったが、政豊に何やら耳打ちをされ、退却に納得したと見える。

「越前守までっ⁉︎何故じゃ⁉︎……まさか図ったな⁉︎畠山同士で争わせて一度に破滅させようと……?宗全めだな⁉︎」

 義就は目の焦点が合わなくなった。思わず采を落としそうになった。義就は大声で叫んだので政長にも宗全の“計画”が聞こえていた。だが、彼は少し違うことを考えついたらしい。義就とは対照的に彼の顔には希望とも取れる歪んだ笑顔が浮かんでいた。

「何だそんなことか……長誠!長直!……何をしておる?攻撃を続けろ。」

 戸惑って攻撃の手を緩めている遊佐長直と神保長誠に政長は恐ろしい笑顔で言った。

「しっしかしながらこれでは宗全めの策に……」

「長誠!……何も両方滅びる必要などない。どちらか一方が潰れれば良い。そうではないか?」

 笑っている癖に、声が嫌に落ち着いている。それが余計に恐ろしい。政長はそのまま叫んだ。

「良いか各々方!宗全など恐れるな!義就を討ち取り、儂が畠山家当主と成り代わるのだ!攻撃を緩めるな!殺戮あるのみじゃ!」

 将兵達はもう殺る気満々である。皆一斉に政長の陣へと突撃していった。もう既に大方の義就の援軍はいない。陣に乗り入れて義就を討ち取るなら今が好機である。

「やむを得まい……退却じゃ!」

 義就はこの戦で初めて退却の文言を口に出した。政長の兵が我が首を切り取らんと目を光らせて向かってくる。その光景が彼に口を開かせた。

「遣るでないぞ!早う討ち取れ!」

 名の知れぬような足軽頭が足軽達に叫んだ。足軽達は躍起になって槍や脇差の切っ先を義就に向け、義就の本陣にどっと流れ込んだ。陣幕の前で槍を構える足軽を切ったり刺したりして殺し、畠山政長勢は遂に敵将にして政長の従弟、畠山義就が本陣に到達した。しかしそこはもぬけの殻であった。当の義就はもうとうに本陣を捨てて逃げ出していた。足軽達は落胆した。当然部将達も侍大将も落胆した。が、この戦いを制した事に変わりは無い。敵将を逃したのは惜しいが、我ら政長勢の勝利である!政長はこの数年、義就や山名などの勢力に屈していた時代になって初めて心からの喜びが湧き上がってきた。政長は笑った。だが今回の笑いには、狂気も、悍ましさも、悲しみも怒りも虚無感も無かった。それはまるで物心ついた三つ子の様な穢れ無き透き通った笑い声であった。

「遂にじゃ!遂に成し遂げたぞ!遂に義就めに打ち勝ったのじゃ!……目に物を見せてやったぞ!……勝鬨をあげよ!我らの勝利じゃあ‼︎……えぇい!……えぇい!」

「おおおぉぉぉぉぉ‼︎」

 政長勢は沸いた。遂に宿敵に勝つ事ができたのだ。これで我らの勝利に一歩近づいた、そう思うと心が浮き立った。しかしその時である。

「背後より敵襲!応戦せよ‼︎……まだ戦は終わってはおらんぞぉ‼︎応戦ー‼︎」

 背後を見ると、そこには丸に二引の紋や五七桐七葉根笹紋、三ッ盛木瓜の紋の白い旗が何百本も何千本もが、五七桐紋と丸に竪二引の紋、六つ木瓜紋の旗を押し退け、倒しながら此方へ押し寄せてきている光景があった。退却した筈の山名朝倉勢が背後から攻めてきたのである。

「何じゃと……?退却した筈じゃ……。何故……。」

 絶望する政長に構わず、敵勢は政長勢の反撃をものともせず“褒美”目掛けて走ってくる。態々攻めにくい西側から攻めていた義就に呆れた山名朝倉は義就を囮に時間稼ぎをし、その間に上御霊神社の北と東に集結、攻撃してきたのである。応戦する政長勢であったが、何しろ勝ったと思い込んでいた為、突然の背後からの襲撃に戦闘意欲を削がれてしまった。それでも交戦しようとする者もいたが、やはり逃げ出す者の方が圧倒的に多かった。忽ち政長軍は総崩れ。遂に政長目前にまで迫られてしまった。

「……様……お館様。お館様!……気をしっかり!ここは我らが食い止めます!お館様は今のうちに!」

「長直……あい分かった。さらば任せたぞ!」

 政長は逃げ出した。喜びも束の間、政長は、文正二年一月、上御霊社の戦いに敗北したのであった。

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