其之玖 開戦【戰國篇・第九段】
室町第……通称花の御所に帝と上皇が迎え入れられた。日はまだ南の高い空にいる。
ここで花の御所について触れておく。花の御所は室町幕府三代将軍となった足利義満が永和四年に北小路室町の崇光上皇の御所跡と今出川公直の屋敷である菊亭の焼失跡地を併せた、東西一町、南北二町と言う広大な敷地に足利家の邸宅の造営を始めたのが始まりである。庭園の水は二十町も離れた鴨川から引いているとか言う。同年、元の菊亭部分の施設が完成すると直ちにそれまでの三条坊門第から移住した。しかし、元は帝に住まわせる新内裏として造営を計画していたのである。が、時の帝に断固拒否され、そのまま義満の屋敷になったのである。
「此度は室町第へお越し頂き有難う御座います。このような狭苦しい屋敷では御座いますが、ご容赦下さいませ。」
「そこまでしなくとも良い。こちらは幾ら帝とはいえ、ここへ置かせてもらっている身。朕こそ礼をせねばなるまい。」
「成仁。我らは皇族。どうして何処の出かも知れぬ坂東武者の子孫に頭など下げる必要がある?小さな屋敷に押し込まれるのに感謝など。」
上皇は帝を諭した。義政や、それを見ていた武士達は苦笑いになってしまった。
「そうで御座います。出自はともかく帝に大事あればお守りするなど征夷大将軍として当然の事。御礼を賜るなど至極図々しい事に御座います。」
義政はえらく遜った。それを見ていた武士達は不覚にも上皇に対して怒りを覚えた。
「(こんな者、上皇の器に非らず!なんたる威張りようじゃ‼︎思っても口に出すなど……帝はそれに比べ……下々の者にも礼を忘れぬ、まさに君子!上皇も早く崩御なされないかのう……。院政を敷かねばこの国は余程よくなるものを……。)」
名も無き宗全の小姓が脳内でそう呟いた。
「出陣致す!」
此処は山名邸である。屋敷を焼かれた畠山義就は怒りに任せてそう叫び、右拳を空高く突き上げた。これより憎き政長の陣取る上御霊神社に向かい、政長の首を刎ねる心算である。兵は三万。伝え聞いた政長の軍勢は二万。勝つことは出来るはずだと義就は思っていた。この時代に万の兵隊がお上の意思に関わらず動くことなど稀であるから、今から起きようとしている戦の異常さを貴方は理解できるだろう。義就は栗毛の馬に跨り、三万の兵の後ろから京の道を急いで北上した。一月だからだろうか。もう既に先程まで南の高い空にいた日は傾き始めて、空は陰り始めている。おまけに冬特有の厚い灰色の雲が空に掛かり始めたので、より一層空が暗くなっている。まるでこの先の事を予言しているかのように……。
「申し上げます!畠山右衛門佐義就、手勢千六百と山名山城守政豊、朝倉越前守孝景を引き連れこちらへ向かっております!」
上御霊神社の本殿前にて斥候が跪き叫ぶ。その瞬間場の空気がより一層張り詰めた。本殿の中より政長が斥候に訊ねる。
「宗全の倅がっ?……兵は如何程じゃ?」
「兵は……三万余りと聞きまする……。」
「なんと……。よいよい。一万の差など屁でもないわ。皆のもの!義就勢が来るぞ‼︎これより西の堀川に打って出る‼︎支度をせよ‼︎出陣じゃあ‼︎」
鬨の声が境内に響き、鳩や烏たちが一斉に空へと逃げ出した。
時同じくして細川邸。斜向かいの山名邸より上がった鬨の声を庭先で聞いた勝元は放心状態であった。
「なんたることじゃ……。結局は戦は止められなかった、いや、止めなかったのだな……。」
ははと力無く笑うと勝元は井戸の水を汲み取り、釣瓶から柄杓に汲み取り直し、口へと持っていった。そしてぐいと水を飲み干し、再び柄杓に水
を汲もうとした。その時勝元の中から怒りが湧いてきた。
「全てはあの爺の計略通りにことが進んだのか。公方様を言いくるめおって……。己!」
勝元は最初自分が策に嵌ったことに不甲斐なさを感じていた。だが、そのうち、宗全の身勝手さに怒りを覚えたのである。自分の為に将軍を操った身勝手さが、狡猾さが、老獪さが許せなかった。その怒りに任せ、柄杓の水をぐいと一気に呑み下した。そして釣瓶を井戸の底に落とし、柄杓を井戸端に置くと両肩を脱いで顕になった逞しい右腕で口元の水を拭い取った。ふと空を見上げる。そこには朱い曇天が広がっていた。
ここは左京一条にある一本の川。名を堀川と言う。この用水路の両側には数え切れ無い程の男達が居た。皆揃って甲冑を着込み、各々の手には槍、白刃、梓弓がしっかりと握り締められていた。このか細い川を挟んで東側の上御霊神社の森の前にも同じような集団が居た。両者は向かい合い、開戦を今か今かと待ち、武者震いしている。空はまだ暗い。東側で、五七桐紋と丸に竪二引の紋、六つ木瓜紋があちらこちらで風に揉まれて揺れているのが布の後ろから照らす僅かな陽光により浮かび上がる。西側でも東側のとは違う、丸に二引の紋や五七桐七葉根笹紋、東側のものと同じ五七桐があしらわれた旗がはためくのが正面からの僅かな陽光に照らされて見える。
黄昏時も終わる頃、両軍は上御霊神社の西側を流れる堀川に集結した。だが、一晩中戦は始まらず、川を挟んでの睨み合いが続いた。その為もう両軍の将兵は嫌気が差していた。その為余計に張り詰めた空気が濃くなっていた。政長は西岸の義就の旗印を、義就は東岸の政長の旗印を見つめていた。両者共同じ足利二引である。いよいよ従兄弟の決別の時が迫っている事を両者はしみじみと思っていた。空は段々と星が消えていき、下の方から明るくなっていく。日の出は近い。その時である。俄に東岸の前線の兵士達が騒がしくなった。背には丸に竪二引の紋の旗が掲げられている。そして彼らは突然鬨の声を上げ、川に降り、西岸へと突撃を始めたのである。それに応じ、西岸の畠山勢が矢を射掛けた。矢に貫かれ、神保の兵はばたばたと斃れた。が、すぐに後ろに残りと遊佐隊が続いた。岸からは政長隊が一斉に矢を引き放つ。西岸の弓兵も斃れていった。そして遂には西岸の畠山勢も河原へと降りて、刀で切り結んだり、槍で突き合ったりするまでに発展した。
文正二年一月、応仁の乱前哨戦、御霊合戦の火蓋が切って落とされたのである。
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