其之捌 上御霊神社【戰國篇・第八段】

「ははは!燃えろ燃えろ!全て無くなれ!灰と成れ!」

 燃え盛る義就の屋敷の前で、政長は気が狂ったように笑っていた。それを心配する様に神保長誠は政長の顔を覗き込んだ。目が合うと政長は、

「わしはまだ狂ってはおらぬわ!」

 と言った。ただ、長誠は分かっている。もうとうに、自分も含め、冷静な者などここには何人たりとも存在しない事を。政長はそうは言っても完全に目がイカれていた。例えるなら一昔前の、雪の降る鶴岡八幡宮の源公暁の目の様である。

「申し上げます!」

 政長の足軽頭が政長の馬の前に跪く。政長はより一層狂気に満ちた顔になって嬉しそうに訊ねた。

「御首級は見つかったか?」

 足軽頭は顔を背けた。そして恐る恐る話し出した。

「いえ……。それが……。」

「髑髏でも炭でも良い。持って参れ。」

「探しましたが……炭も髑髏も、歯の一本もございませんでした。……恐らくはここには元々義就は居なかったのではと……。」

「何と……。さらば致し方あるまい……。」

 政長は目の前に転がっている先程自分で切り捨てた敵の雑兵が、硫黄の様な、柳の炭の様な、いや、何にも形容できない、鼻の奥だけで無く喉にも張り付く様な耐え難い悪臭を出して燃えていくのをぼんやりと見つめていた。鎧の糸は炭や灰となり、腕はぷすぷすと音を立てて悪臭を放ちつつ焦げていく。頭に至っては頭髪が溶けて地に垂れ、男の脂の臭いを発していたり、鼻や口、目の溶け落ちた眼窩から、液状化した、恐ろしくも美しい鮮やかな赤桃色の、沸騰した脳がぶくぶくと穏やかに出てきていたりする。その後気体となった脳が頭蓋骨内の圧力を上げ、遂に頭が爆発した。中から先程の赤い液と化した脳が飛び出した。その光景に多くの将兵は思わず食べたばかりの湯漬けと梅干しを吐き戻してしまい、更に悪臭を強めた。が、政長はえづく様子も無くそれを見下ろしていた。そして左の頬についた脳の飛沫一、二滴を右腕で拭い取ると、すぐさま次の命を下した。

「ここには畠山義就はいない!この騒ぎを聞きつければ彼奴はすぐに我らへ反撃して来るだろう!これより京を北上し、上御霊社へと向かう!」

 将兵達は嗚咽するのを抑えながらおお、と言った。

 一行は京の外にある、上御霊神社に着いた。ここは京では普通程度の大きさの境内を持つ神社である。政長の軍勢はうまく場所を使えば快適に過ごせる程度だ。この上御霊神社には、政長と同じく同族間の政権争いに敗れた崇徳院が祀られている。崇徳院は帝でありながら父親で先帝の鳥羽上皇に実権を握られ、思う様に政が出来ず、終いには父に欺かれ、自身の子を帝にすることも叶わず、挙兵するも保元の乱に於いて敗れ、讃岐に流された。そして失意の内に絶食し、獄中で舌を噛み切り憤死するに至った。その時自らの血で、「我日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と書き込み、天皇家の権威の失墜を願った。その呪いは数年後現実となった。安元二年は建春門院、高松院、六条院、九条院といった後白河院や藤原忠通に近い人物が相次いで死去し、翌三年の延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ヶ谷の陰謀が立て続けに起こった。これが社会の安定の崩れ長く続く動乱の始まりとなった。皇族でも公家でもない、武士が実権を握り、頼朝が征夷大将軍となり、その後上皇を島流しにするに至っている。そして武士が実質的な権力者となり、朝廷も歯止めの効かない荒々とした世が訪れた。祟りラッシュから十年後の寿永の頃、それらの祟りを畏れた朝廷は、崇徳院が敗れた保元の乱の古戦場である東山の春日河原に霊廟を立て、神として祀った。そのついでに、上御霊神社に祀られたのだ。御霊とはそう言った経緯で怨霊から神となった人物を指す言葉である。他に有名な者は、坂東武者の平将門公、公家の菅原道真公、皇族の早良親王、崇徳院の同期の御霊である藤原頼長公等である。桓武帝が長岡京から平安京に遷都する理由にもなった早良親王の御魂もここ、上御霊神社に祀られている。そもそもここは彼の神社である。

「何とも酷い臭い……。ん?……おお!何奴ぞ!……何があっての狼藉ぞ⁉︎」

「狼藉にはありませぬ。帝に上皇。……謹んでお耳に入れたきこと御座いまして、具して参りました。」

 宗全は無礼にもわざわざ内裏に兵を連れて、甲冑のままこの紫宸殿に上ろうとした。当然衛士に咎められる。

「何と無礼な‼︎貴様何奴じゃ⁉︎」

「私は幕府の四職の山名左衛門佐持豊にあります。本当ならば直垂で参りたかったところで御座いますが、これは帝や上皇の御命に関わる事にて、兵を率い、私めも甲冑のままでの参上となりました。御無礼、どうか御容赦下さいませ。」

 宗全は衛士の槍にも動じずに淡々と述べた。帝の表情から怒りが消えた。

「何ぞ?それ程の理由とは。申されよ。」

「我が幕府に仕えし管領の畠山のお家騒動により、あちらの畠山邸が焼かれました。万一その火が御所へ移ったらば御命が危のう御座います。その為、ここから離れた我らが室町第へお逃げ下さい。今すぐにもです。我らがお連れします。この軍勢は帝の護衛の為の兵であります。」

「何と……。あれは単なる火事では無かったのであるか……。承知した。すぐに室町第へと向かおう。左衛門佐、宜しく頼むぞ。朕を守り給え。」

 帝は苦悶の表情で、袖で鼻を覆いながらそう言った後、上皇を見た。上皇も承知したようである。

「畏まりました。よし、出発じゃあ!帝と上皇を室町第までお連れするぞ!」

 宗全は無礼にも帝と上皇、皇后らを多めに連れてきた馬に乗せ、昼下がりに御所を立った。辺りには人と木材の焼ける臭いが充満していた。

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