そこにいる彼女 vs 僕の世界

キハンバシミナミ

そこにいる彼女 vs 僕の世界

 僕は坂道を歩いていた。


 僕が住んでいる場所から北側に進むとすぐ坂道があって、坂道は山の上まで続いている。この坂道は舗装されているし、道沿いには住宅もアパートもある。山の上の方には高層マンションもある。この日本のどこにでもある平凡な所だ。


 僕が生まれた頃にはすでにこの状態だったから、これからも人口がすっごく減少しない限りはこのままなんだろう。まぁ、人口が減ってもゴーストタウンみたいに廃墟が並ぶだけかもしれないけど。


 ちなみに僕のおじいちゃんやおばあちゃんが若かった頃はただの山道で、所々でお茶を育てている農家があるだけだったそうだ。


 僕はその時代に生まれたかった。なぜなら人が少ない方が僕にとっては最高の環境だから。


 毎日が農作業なら人と会うなんて少なかっただろうし、人口も今よりもずっと少なくて気楽だったろう。


 まぁ、無いものをねだっても仕方ないけどね。


 そんなことを考えているうちに坂道の半ばだ。周りは同じように坂道を歩いている人がたくさんいる。今日だけの光景だ。そのみんなは片手に紙片を持っていた。車を使わずにわざわざ歩いて行く。なぜならば目的地は一緒だ。


 今日はこの町の秋祭りなのだ。中には法被姿の子供の手を引いている親もいる。


 ところで丘の上に神社や公園があるのはどこも一緒なのだろうか。日本人の風習を深く考察している僕の後ろから、馴染みの声が追いかけてきた。


——


「おっあんたも焼きそばもらいに来たの?」


 声に振り返ると赤い服にジーパンを履いたマホが歩いていた。運動神経抜群の陸上部のエースだ。


 僕とは歩く速さも違った。返事をする間にも僕を追い抜き、とっとと先に進みながらマホは僕の返事を待っていた。

 マホの声は女の子にしては野太くて、遠くからでも聞き間違いのない声だ。僕にはその方が助かる。


「早くしないとみんな並んでるよ。無料分が終わったら貰えないから、急いだ方がいい」


 返事を待ちきれなかったのか、マホは当たり前のことを言ってきた。面倒見がいいのか、お節介なのか、僕が半分引きこもりで体力なんてないことも知っているだろうけど。それでも声を掛けてくれる。


 まぁどちらにしてもこれより早く歩くのは無理だ。息が上がってしまう。秋といってもまだ暑いし。僕はポケットからハンカチを出して汗を拭った。


「ミッキー、先に行くから、二人でゆっくり来な。順番取りは任せて」


 その声に僕は坂の下を振り返って少し遠くを見た。心臓がコクンと音を立てたのを感じた。


「うん、マホ、先に、行ってて。私はむりー」


 息も絶え絶えの様子だ。僕と違って健全な若者のはずだが、そこまで体力がないのだろうか。妙な親近感を覚えた僕は、歩くのを止めて休憩しながら彼女を、ミユキという名前だ、待った。


 ミユキは僕に優しかった。微笑んでくれた。休んでいる僕にノートを持ってきてくれた。微笑んでくれた。挨拶をしてくれた。微笑んでくれた。旅行のお土産を持ってきてくれた。微笑んでくれた。話しかけてくれた。僕は恋してる。


 僕が立ち止まっているのに気がついたのか、少し早歩きになって追いついてきた。


「ふう、ありがと。待っててくれたのね。もぅゆっくり行きましょ。この坂道本当に長いんだから。マホはほんと毎日よくここから通えるもんだわ」


 そんなこと言いながら微笑んだミユキにまた心臓から血液が上半身を中心に駆け回る。今日のミユキは、切長の目に小さい口、僕より少し小さく、体も小さい。まぁここまではいつもと同じか。ちょっと長めの髪を後ろに縛っていて、ブラウスにスカートが似合っている。


 そんなミユキの姿が、僕には真っ白いシーツを太陽の光にかざして見ているような、そんな眩しさで見えた。僕は大袈裟だろうか。


 頭の中で補正がかかるのも無理ない。僕は抱えている厄介なやつのせいで、半ば引きこもりになって。それでもミユキは優しかった。まぁマホも事情を知っていて優しくしてくれている。だけどミユキのそれとは僕の感じ方がちょっと違うのだ。


 何か理由を付けて、仕方なく歩いているんだといい聞かせないと、恥ずかしくてとても一緒に歩けない。


「そういえば、マホの家ってもうちょっと上の辺りだよね。なんで坂を上がってきたんだろう」


「私を迎えに来てくれたの。ほんと、陸上部のエースは体力お化けなんだから」


 嫌味を言っているわけではないことはミユキの表情を盗み見て分かった。感心しているような呆れているような、親友を慕っているような。そんな顔をしていた。


「こんな坂がある町なんて滅多にないだろうね。あっ、でも神戸とかすっごい坂らしいから、負けちゃうかも」


 ミユキは笑った。眼がいい、眉がいい、エクボもいい。いや目を覚ませ、僕。あう、僕は今、どんな顔をしているんだ。気になってしまうじゃないか。


「いや、ここだけ見ればきっと負けない坂道だろ。ほら、もう少しだよ」


 精一杯声を絞り出した。僕の限界だ。


 遠くからざわざわした音が聞こえる。お祭りの笛とか太鼓の音も聞こえてきた。子供が追い抜いていく。そういえば金魚すくいとか、輪投げとか、小さい頃は楽しみでおばあちゃんと来たな。あの頃は何にも考えてなかったし、不思議にも思わなかったから楽しかったし。


 そうだ。このお祭りの日だ。変なことを言う僕をおばあちゃんは怪訝な顔をして見ていた。家に帰って母親にも聞かれ、病院に行き……。


「おーい、ミッキー。こっちこっち。二人で一緒に並んじゃいなよ。仲良しでしょ」


 我にかえった僕の耳に、マホがミユキを呼ぶ声がした。こんな場所で躊躇ない言葉に僕は炎が吐けそうだ。


 何か反論しようと声のする方を見るが、僕からは角材のような棒が並んでいるようにしか見えなくて、マホが正確にどこにいるかわからなかった。だから僕は反論するのをやめた。


 僕が普通じゃないせいだ。


——


 マホの声の近くには同じような棒がたくさん並んでいる。僕は横を見た。ミユキの顔がある。僕はそっと安堵の息を吐いた。


「こら、走っちゃダメでしょ」

 子供を叱る母親らしき声が聞こえ、僕はそっちを見た。子供が走ってきた。


 僕のすぐそばを子供が走っていき、少し離れたところで青い棒になった。青い棒はそのまま去っていく。僕は棒の行方を目で追っていった。棒は棒のままだった。子供には戻らない。でもこれは子供が悪いんじゃない。


 僕の頭はいつもどうかしている。人を人だって認識できる限界の数があって、その限界を越えると人じゃなくて棒に見えてしまう。


 せめて背景とかになってわからないなら、気にしなくていいのに。それはそれで大変かもしれないけど。


 なまじに人が棒に見えるから自分がどうかしている。そう、おかしいんだって自覚が芽生える。


 両親ですら棒になってしまうし、小さい頃にこれが異常だって気づいた時は布団に閉じこもったな。まぁもう慣れてしまったからどうという感慨はないんだけど。良くも悪くも……。


 ちなみに両親はまだ諦めていない。いくつも病院を回っている。気をつけて生活すれば、そこまで困らない。周りからは単に目が悪いんじゃないかって思われるくらいですむのに。


「どうしたの?」ミユキの声がした。


「えっ、あー、えーと。なんでもない。並ぼうか。もうすぐ交換できるみたいだし」

 僕は内心を隠しながら言った。


「なんでもないならいいんだけど。気になるじゃない」

 ミユキの何気ない一言が刺さった。


 冷静に考えればなんでもない一言なんだけど。なんだか僕にはたくさんの深い意図がある言葉に聞こえて。いやいや、気にしすぎだって。僕はミユキをまた見た。


「何、私の顔に何かついてるの?」ミユキが寄り目になって僕を見た。首まで血が上ってきた。


「何にもついてないよ。誓って」

「そう……」


 僕は気まずくなって、どうしようもなかった。


「あっそういえば抽選券出してない」


 確か焼きそば無料券と一緒に抽選券を持ってきたんだ。洗剤とかトイレットペーパーとか実用的なものばかり当たるらしいから、親から必ずもらって抽選まで会場にいるようにって言われていたっけ。


 でも今から焼きそばの列に並び直す羽目になるのもな。いや、そんなのよりミユキと離れてしまうし。


 僕が遠くの白い棒を眺めた。あそこが抽選券を出すところかな。


「それなら私が行ってきてあげる。私のも出すから。私の場所を確保しておいてね」


 言うが早いか僕から抽選券を取り上げると、ミユキは駆け出していった。


 ミユキが棒になるところは見たくない。


 僕は目を逸らすと焼きそばの列の前を見た。ミユキが戻ってくる前に、僕が列の先頭に来たら大変だ。ミユキが焼きそばをもらい損ねてしまう。そんな自分への言い訳だ。


 遠くから大声が聞こえた。


「ねぇ名前書いてないとだめだって。私が書いていい?」


 僕が振り向くとミユキがこっちに向かって手を振っている。


「いいよぉ」


 僕が答えるとミユキは抽選会場の片隅に向き直った。


 名前を書くのを忘れてくる人もたくさんいるんだろう。そこにはたくさんの棒が立っていた。


 ……僕は気づいた。いや気づくか。たくさんの棒の中にミユキは立っていた。


 そうか、そうなんだ。僕はなんだかとっても納得してミユキが戻ってくるのを見ていた。


 他の誰も目に入らなくても僕は構わない。それが僕の世界なのだから。

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