少しずつ日暮れの時間が早くなりました(4)

《今日も特に事件はない一日だったよ》


《今日、数学の課題出たよ》


《そろそろ教室の蛍光灯が切れそう。あれって誰が替えてるんだろうね?》


 毎日一通ずつ、返事の来ないメールを送る。気にせず続けているけれど、そろそろ時間切れになってしまう。返事を待とうと思ってはいるのに、早くしないと、と焦ってしまう。どうして、なんで、私はこんなに頑張っているのに。押し付けだとわかっているのに、そう思ってしまう。我儘な私が膨れ上がる。ああ、虎になってしまいそう。

《さとう君が来なくなったの、私のせい?》

 聞きたくて聞きたくて、でも、聞けないこと。あとは送信するだけ。その状態で、やっぱりためらってしまう。ヒロインかのようにスマートフォンを胸元に抱えてベッドに横たわる。否定されて、思い上がりだといわれたくない。けれど、肯定されたら私が壊れてしまうかもしれない。一度ひびが入ったところにテープを貼りつけた程度の心は、次はもう直せないかもしれない。君だって私を都合よく使っていたんでしょう。そんな毒が、指先から染み出しそうになる。自分が壊れないために、必死に空虚な鎧をまとう。そんな風に、自分を繊細に見積もってしまう。嫌だなあ。どんどん自分が醜くなっていく。愚かさが目についていく。目を閉じて、電気を消していないことに気付く。もういいや。全部そのままで、もう寝てしまえ。

 ゆっくり体の重みが増す中、手の中の機械が震えた気がした。


《誰のせいでもないし、コトのせいでもないよ》


 思い返してみると、誰かを待ち伏せするのはこれが初めてかもしれない。朝、いつもよりちょっとだけ早く登校して、重田君を待つ。早く、伝えたいことがある。

「あのね、重田君。話したいことがあるの」

 登校してすぐ、鞄もおろしてないのに声をかけられる重田君がかわいそう。けど、待ってられない。

「えっとね、あのね、それでね」

「え、どうした?」

 伝えたいと思っているのに、言葉がうまく出てこない。ぐるぐる、溶けてバターになってしまったみたい。

「あのね、あのね、さとう君がね」

「佐藤?」

「うん。さとう君なの」

 要領を得ないことしかいえない。羞恥か焦燥か、じわじわと、鼻の奥が痛い。でも、いわなきゃ。

「さとう君がね、返事、くれたの」

「まじで!」

 まじだ。まじなのだ。気が向いただけかもしれないし、あまりのしつこさに嫌気がさしただけかもしれないけど、朝起きたら、スマートフォンにはさとう君からのメールが、とても久しぶりのメールが来ていたのだ。

「私、うれしくて、それでね、重田君にいわなきゃって」

 冷静に考えてみれば、たいして事態は変わっていない。たった一通、返事が来ただけ。それでも、どうしても誰かに伝えたかった。声に、形にしたかった。そうしなきゃ、決意が消えてしまいそう。

 息を一つ吸って、吐く。整える。どうしてもこの一言は、きちんといいたいから。

「私、やっぱりさとう君と話したい。……だから、協力してほしいの」

 虫がいいってわかってるけれど、でも、他に頼れる人はいない。重田君はさとう君の友達で、だから彼を傷付けた私を良くは思っていないはず。けれど、それでも、私はその方法が一番確実だと思うから、止まれない。それに、私は自分が嫌な奴だってもう知っている。そもそも今までさとう君以外と関わっていなかったんだもの、今さらちょっとくらい嫌われたって、そんなに変わらない。多分。

 それでもうつむいてしまう顔をなんとかあげながら、重田君の返事を待つ。判決を待つ被告のように、裁きを待つように、逃げ出したいのをなんとか押しとどめる。

「んー、まあ、俺にできることなんてそんなないと思うけど、それでもいいなら、まあいいよ」

 瞬きをする。消しゴムを貸すくらいの気安さに、目の端が、じんわり水を含んだ。


 重田君の協力を得られたところで、その後の策があるかといえば、何もない。遥かな山頂には「どうしたいか」だけが漠然とあって、けれどどうしたら辿り着けるかがわからない。箱の中の迷路に落とされたネズミのように、わけもわからず出口を求めてさまよっている。

「佐藤は、賢太に謝りたいの?」

「んんと、それは、ちょっと違うかな」

 言葉を選ぶ。もやもやとした考えを、言葉で成形する。水底に堆積した泥を掬って人形を作る。おぼろげに見えた形が崩れてしまう前に、言葉で描き出す。

 謝りたいかといえば、ノーだ。多分、私はさとう君を傷付けた。ついでに、ちょっぴり私も傷付いた。けれど、次の機会があれば、きっと、私は同じことをするんだろうとも思う。何度でも繰り返す。だから、謝りたいのではない。じゃあ、私は何をしたいんだろう。

「さみしいんだと思う」

「さみしい?」

「うん。さみしい」

 水中で吐いた息が泡になってのぼるように、こぽりと、感情に名前が付く。さみしい。かなしい。せつない。

「話せないのがさみしい。会えなくてさみしい。それに」

 うろりと視線を回し、言葉を探す。適当な表現か。適切な言葉か。わからないけれど、そのままで。

「さとう君がいないのは、さみしい」

 もしかしたら、さとう君は一人を満喫しているのかもしれない。案外図太い彼だから、なんだかそうなんだろうなと思う。きっと彼はさみしくない。さみしいのは私。彼が一人でいるのは、私がさみしい。我儘な、自分勝手な感情。けれど、結局みんなそんなものなんじゃないだろうか。

「一人は平気かもしれないけど、さむいから」

 段々と切り離されていくようなあの感覚。世界から拒絶されていく。半透明な膜に包まれる。私という殻の中から、わたしが少しずつ零れ落ちていく。外殻はそのままに、液状化した中身が、徐々に薄まっていく。私は私じゃなくなって、わたしはヒトではなくなっていく。記憶すらもあやふやな、あの日々。

 過去を他人に適用することはできないのに、どうしてもそう思ってしまう。一人ただ寝転がっていたあの頃を思い出すだけで、胃の辺りが締め付けられる。指先から融けて消えていきそうな、あの頃。

「はー」

 呆れているのかそれとも違うのか、重田君が欠伸のような声を出す。

「よくわかんねーけど、佐藤は面白いこと考えるんだな」

「そう?」

「そう。だから賢太と話が合ったんだろーな」

 あいつもよくわからないことばっか考えるガキだったし。そんな風に、頬を頭を掻きながら彼はいう。

 私の知らないさとう君の姿がまた増える。そうなのだろうか。さとう君とのつながりは、彼の優しさに依存したものだと思っていた。私からの一方的な好意は、もしかしたら、そうではなかったのかもしれない。あの居心地の良さは、私だけのものではなかったのかもしれない。だとしたら、ああ、なんてうれしいことだろう。

 これは重田君の感想に過ぎないと気を引き締める。けど、唇がふにゃふにゃする。うれしい。頬が熱い。こんな時なのに、幸せが膨らむ。

「重田君が幸せなのって、どんなとき?」

「幸せ?」

「うん」

 私の幸せの原価はそんなに高くない。三連パックのプリンだとか、コンビニの期間限定スイーツとか、そんなもので幸せになれる。陽当たりのいい窓際でうとうとするとか、お金のかからないことだっていい。こうやってさとう君のことで悩んでいる今だってあの頃に比べたら幸せなのかもしれない。誰かのことを考えて思い悩むなんて、これ以上の幸せなんて、ないのかもしれない。つまり、何がいいたいか。

「さとう君も、幸せならいいのに」

 さとう君の幸せ。きっと私のそれとは色も形も重さも違うのだろうけど、ほんの僅かでもいいから、私と重なっていたらいいのにと思う。彼の世界の中に、小指の爪くらいの大きさでいいから、私が入っていたらいいのにと思う。

 過ぎたる願いなのかもしれない。だけど、願わくは、思うことだけは許してほしい。

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