少しずつ日暮れの時間が早くなりました(2)

 翌日、朝のショートホームルーム。

「佐藤、男の方だけど、風邪ひいたらしい」

 放課後のメール。

《さとう君大丈夫?》

 返信無し。


 翌日、朝のショートホームルーム。

「男の方の佐藤、まだ具合悪いって」

 放課後のメール。

《熱出た? お大事にね》

 返信無し。


 翌日、朝のショートホームルーム。

「佐藤は今日も休みだな」

 放課後のメール。

《病院行った?》

 返信無し。

 返信無し。

 返信無し。

 返信無し。

(以下略)


 さとう君が学校に来なくなった。メールも、返信が来なくて、段々私からも送れなくなっていった。クラスのみんなも、段々さとう君がいないことを気にしなくなっている。冷たいって思ったけれど、そうじゃないんだと思う。耳を塞いでた私をそっとしておいてくれたのと同じで、大事にしないでくれているんだと思う。いつかさとう君が帰ってきたとき、そのまま受け入れられるように。

 学校は大変だけど、楽しい。始業式の日みたいにみんなが寄ってくることはないけど、挨拶はするし、人数は少ないけど、休み時間におしゃべりできる女の子もいる。今までとは全然違う。楽しい毎日を送っているんだと思う。

けど、ここにさとう君がいない。さとう君もいたらなって思ってしまうのだ。ああ、私はいつからこんなにも欲張りになってしまったんだろう。パンを手に入れたら暖かなベッドを、ベッドを手に入れたら美しい服を、欲求に限りはない。なんて悪い子なんだろう。

「おはよー佐藤」

「おはよう」

 席替えで隣の席になった重田君。夏休み中に染めたらしい髪は、さっぱりした坊主頭に変わっている。そういえば、さとう君は重田君のことをいっていたなぁ。

「ん? 俺の頭、どうかした?」

「え? あ、その、坊主似合ってる、ね?」

「おー、ありがと?」

 私はポンコツで、多分、重田君もポンコツ気味。だから二人で話しているとよく首を傾(かし)げることになるし、佑佳ちゃんはるかちゃん辺りがツッコミに来る。多分、そろそろ。

「何やってんの」

「おー、はるか」

「おはよう、はるかちゃん」

「おはよ。で、重田の坊主がどうしたの?」

 ああ、やっぱり。

「ええと、前、に、重田君は坊主が似合うって、聞いたから」

「なんなのその褒め方」

 確かに、そうかもしれない。さとう君はどういってたんだっけ。

「ベストボージスト……」

「え」

「あ、私じゃなくって、その」

「あー、前に誰かがいってたのね」

「ベスト! つまり俺が一番ってことだな」

「多分?」

 さとう君じゃないからわからないけれど、多分、そうなんだろう。今、こうやってまじまじと見てみると、彼がいっていた通り、きれいな形だと思う。たまごのような、暖かな形。

「ふうん。で、誰がいってたの?」

 はるかちゃんに聞かれる。答えていいのだろうか。何も悪いことなどしていないけれど、さとう君との秘密を口にすることが、躊躇われる。どうしてって、答えられないからかも。られない、じゃなくて、たくない、が正しいんだけれど。私がこっそり隠しておいたものが減ってしまいそうだからかも。特別を切り分けて、ありきたりにしたくない。

けれど、結局私はさみしかったんだと思う。宝物を見せびらかして、興味をひこうとする。子どもみたいな浅はかさ。もしかしたら何かのきっかけになるかもしれない。そんな風にいいわけをしながら、二人にそっと話してしまったのだから。

「さとう君」

 初めて舌に乗せたその名前は、甘く溶けた。角砂糖のように、形を崩した。もう戻せない。砕けた卵はバラバラのまま。判断力を奪う甘さの後味がどうだったかは、思い出せない。私の脳は、私に都合よく何もかもを書き換えてしまうから。


 先生の声を掻き消すチャイム。今日の授業はこれで終わり。あとは掃除をして、終礼が終われば帰れる。今日もさとう君には会えなかった。今日も私のノートは張り切った字で書き直される。無駄になってしまうのではと思わないこともないんだけど、復習になるから、まあいいかなって納得させる。この習慣が習慣になりませんように。椅子をひっくり返して机に乗せて、教室の後ろに運ぶ。そうしたら、ジャージをはいて、今週は雑巾だから水をくまないと。学校生活は目まぐるしくて、次々に何かを考えてしまう。考えさせてもらえる。学校にいる間は、だから、さとう君のことをあまり考えないですんでいる。そうしないと、私はさとう君のことばかり考えて、きっと溺れてしまう。

 箒の子が床を掃くのを待つ間、バケツの近くにしゃがむ。だんだん涼しくなってきたけれど、冷たい水は気持ちいい。ちゃぷちゃぷと水面に指を入れて遊んでいると、珍しく音もなく重田君が覗き込んできた。

「なあ佐藤、終礼終わったら、ちょっといい?」

「ん、うん、いいよ」

「そか」

 毎日ちょっとずつ話しているからか、重田君は話しやすい。私が返事をしなくても話しつづけるし、喋ろうとすると、ちゃんと待ってくれる。重田君の努力で私たちは会話は成り立っている。重田君、なんの用だろう。私にどうにかできることだといいんだけど。そんなことを考えていれば、あっという間ではないけれど、放課後になった。

「ごめんな、佐藤。時間大丈夫?」

「大丈夫」

「そっか」

 ちょっとだけ、気まずい間。こんなとき、私から話した方がいいのかな。

「えーっと、そうそう、俺、佐藤に聞きたいことがあってさ」

 なんだろう。授業のことだったらこんなに改まることはないし、他には心当たりがない。はるかちゃんや佑佳ちゃんには聞きにくいこと、かなあ。もしかして、二人のどっちかが好き、とか。

「佐藤のことなんだけど」

「私?」

「え? あ、違くて、佐藤じゃないほうの佐藤」

 ちょっとわからなかったけど、そんな複雑なことではない。このクラスには二人いるだけ。佐藤琴乃と、佐藤賢太。さとう君は私の名前をよくわかっていなかったけど、私はきちんと知っているのだ。

「さとう君のこと?」

「そ。佐藤、だとわかりにくいな、賢太のことなんだけど」

 驚いた。さとう君の名前を知っていたことでなくて、すっと下の名前を口にできることに。何度も呼んだことがあるかのように、彼を呼んでいたから。さとう君は私の特別だと思っていたから、なんだか、ちょっとだけ悔しいのかもしれない。さとう君にとっても私は当然特別なんだと思っていたことに気づく。

「佐藤、あー、賢太が俺のことベストボージストっていってたっていったじゃん」

「ん」

「まああいつのいいそうなことだと俺も思ったんだけどさ」

 そうか、重田君のさとう君観はそんな感じなんだ。同級生の認識を新たにしていると、私の心臓は止まりそうになった。

「佐藤さ、いつ賢太と話した?」

 いつ。たしか、夏休みのメール。あ、でも、もしかしたら放課後だったかも。あれ、じゃあもしかして、重田君、見てた?

「ええと、その」

 ああ、どうしよう。なんていえばいいのかわからない。悪いことはしてない。いっちゃいけないなんて、さとう君も、私もいってない。だから、いってもいいはずなのに。でも、どうしてだろう。教えたくない。秘密にしたい。これは、私とさとう君だけのものにしていたい。だってあれは、私だけのとっておきなのに。

 頭の中を、渦を巻くようにそんな考えがいったりきたりする。なんて幼稚な、我儘な考えだろう。でも、困っていることは伝わったらしく、重田君は慌てたように言葉を続けた。

「ああ、違う違う、賢太と話してたのがどうこうってわけじゃなくてさ、えーっと、つまり俺がいいたいのはさ」

 がりがりと、頭を掻く。黒目があちこちに行く。悪いことをして、叱られるのを待つ子どものよう。そして、ちょっと気まずそうに、彼はいった。

「賢太さ、あいつ喋れるの?」

 ちょっと、意味が、理解できなかった。


 ぼんやりと覚えているが、私は事故にあうこともなく、事故を起こしそうになることもなく、いつも通りに帰宅した。制服のままベッドに倒れこみ、頭を抱えることもできずに考える。こんなに苦しいと思っても、視界は正常だし、吐き気もしない。思っているだけ。悲劇のヒロインぶっているだけ。だから、私は自分のしたことを考えなくてはいけない。

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