晩夏の候(3)

 暑い中、熱中症の危険を冒してまで行列に並ぶ趣味はない。けれど、外出をしないということではないし、人混みの中に行くことだってある。言い訳のようなことを考えながら、僕は図書館へと自転車を走らせていた。コトにああいった以上、図書館に行くのは気まずいんだけれど、貸出期限が切れてしまうんだから仕方がない。それに、続きも気になっているし。本を返して借りるだけで、勉強するつもりもないし。宿題の読書感想文も書かないといけないし。誰にいうわけでもない言い訳をあと十個ばかり思いついてから市立図書館の自動ドアをくぐった。

 ドアというものは、一つの結界でもあるらしい。境界を越えて、別世界へとつながる。文字通りの入り口だ。ドアの向こうとこちらは隔てられていて、だからなのか、いつだってそこを越えるときには小さな躊躇を飲み込む。もしかしたら、この先は僕の知っている世界ではないのかもしれない。もしかしたら、僕ははじかれてしまうかもしれない。子どもじみた想像をして、自分で自分に足枷を付ける。誰にも気付かれずに罪を犯したかのように、しらずしらず、人目を避けるように行動する。人目といっても、本当に避けているのは、たった一人なんだけれど。

 二枚目のドアをくぐっても、そんなに涼しくない。節電のため、クールシェアだとかいっても、所詮公共施設の冷房はそんなに効いていない。自転車に乗っていたときよりも吹き出る汗を感じながら、まずはカウンターへ本を返しに行く。僕の手を離れた本は、あっという間に司書のお姉さんの手へと渡り、バーコードを読み取られ、カウンターの中の棚へと運ばれていった。淀みのない手つき。夏休みだからか作業が速い。返却した本がいつまでもカウンターに置かれていると、なにかしてしまったんじゃないかと不安になる。気分がいいというわけではないけれど、これはこれで、心理的な負担は減るのかもしれない。心なしか軽い足取りで、書架に向かう。借りたい本は決まっているけれど、それでも毎回、「あ」の棚から順に見ていってしまうのはなぜだろう。みんな暇なのか、それとも勤勉なのか、いつもより隙間が多い。棚の向こう側がたまに見える。これが漫画やアニメなら、誰かと運命的に目が合ってしまうのかもしれない。まあ、そんな都合のいい話はない。向こうにいる人が見えることは確かにある。けれど、目が合うことは少ないだろうし、もし目が合ったとしても、きっとすぐに逸らしてしまう。目が合わなかったら、合わせようとはしない。見つけてしまったことに気付かれたら、気まずいじゃないか。それに、こういうときに見つける相手っていうのは、会いたくない人って相場が決まっている。

「まじかよ」

 思わず、もしくは不覚にも、そんな言葉がこぼれた。たしかにそんな話はしていたけど、でも、一応それでもと思って一日開けたのに、まさか。棚の向こう側にいた「運命の」人はコトだった。まずい。隠れなきゃ。書架の陰を選ぶように、大回りして別の棚に隠れる。さようなら「さ」から「ち」の本。目当ての作家は「せ」だったのに。いや、日本人作家の本は危険だ。全集を借りるほどの勤勉さは持ち合わせていない。翻訳物を読む体力も気力も、なんだか消えてしまった気がする。しかたがない、今日は諦めて帰ろう。

 帰り際、こっそりとコトの様子を見た。図らずもストーカーじみた真似をしてしまった。暑いのか、髪を耳に掛けている。真珠とそこから伸びるコード。やっぱり耳は塞がれていた。

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