星祭りの候(2)

 次の日からも、僕とコトの内緒話は続いた。同じクラスだからといってそんなに接点がない。そもそも男子と女子が分け隔てなく話すような時期は、とうに終わっている。僕もコトもクラスの中心で光を放つタイプじゃない。だから、休み時間は今までのように、それぞれで好きなように過ごす。目があったりしても、含みありげに微笑んだりせずに、ただ目を逸らす。なんらかの偶然でクラスメートになっただけで、僕たちはまったくの他人ですとでもいうような態度。けれど、示し合わせたわけでも相談したわけでもなく、放課後は、自然と二人で残って「話す」。日直の子や居残りの子がいる時には、わざわざ時間をつぶしてからそっと集まった。そんな、ちょっとおかしな放課後を続けた。

 どうでもいいような、大切なことを「話す」。紙だって、メモ帳だったり、ノートだったり、ホームルームで配られたプリントの裏だったり、いい加減なものだ。端に下手な絵を描いてけなし合ったり、教科担任の変な癖一覧作りだったり、休み時間に近くの席で聞こえてくるような「会話」。高校生らしいことをするのは放課後くらいだけど、僕は、多分コトも、それなりに楽しく過ごしていたんだと思う。他のクラスメートたちのように弾む会話じゃないけれど、僕たちには居心地が良かった。隠し事をしているのも、もしかしたら嘘を吐いていることすらもわかっていて、けれど何も知らない気付かないふりをして平穏を過ごす。もどかしいこともあったけど、後ろ暗いもの同士、楽しく過ごしてきた。暗がりから出てきてしまえば異形がいるとわかっていても、お互い人間のふりをしていると気付いているから、優しくいられる。でも、このままでいい、このままがいいと思っていたのは、僕だけだったのかもしれない。

 この日も、今にも泣き出しそうな空だった。情景描写というものも、バカにできないらしい。

『さとう君は空気みたいだね』

『コトもさとうなのに塩対応』

『だれうま。うまくないし』

『とうとつなディスり』

『え あ、そうじゃなくて』

 机の三センチ上空に円を描きながら、コトは言葉を編む。納得のいく言葉になったのか、それでもいつもよりはたどたどしく、紙の上に音が描かれた。

『さとう君は私のこと聞かないでしょ?』

 ぎゅう、と、左胸の奥にある筋肉が萎縮する。聞いても良かったんだろうか。聞いた方が良かったんだろうか。ああ、僕は間違えてしまったんだろうか。

『聞いた方がよかった?』

『んー』

 二人分の声が、ペン先で滞る。もつれて、絡まって、意味もない線だけが増えていく。意味のないものに意味を与えて、難しいと頭を悩ませる。

『なんとなく聞かないほうがいいのかなって いいたくないこともあるし』

『うん さとう君は気にしないでくれるからすごくうれしい』

 ああ、良かった。間違ってなかった。気にしないふりがうまいことは、僕の数少ない特技だ。いつからか、人とうまくしゃべれなくなった僕は、話さなくてもいい状況を作り始めた。その一つが気にしないふりだ。相手が何か話したそうにしていても、こっちにその気がなければ話しかけにくい。たったそれだけ。だけど、背景に溶け込むようにしてからは、話しかけられてどぎまぎすることも少なくなり、ほとんどなくなった。もちろん、だからといって何事も気にならないというわけではないんだけれど。

『聞かせてくれるならよろこんで聞くけど』

『おっ聞きたい? 聞いちゃう?』

『きゃーコトさんきかせてー』

 わざとらしく、話を強請る。きちんとわざとらしかっただろうか。ちゃんと、興味のない振りができていただろうか。コトのことを知りたいって、気取られていないだろうか。

 他の人になら、呼吸よりも簡単に嘘を吐けるのに、コトにはうまくできない。いつバレてしまうんだろうと不安になって、いっそ、バレてしまえば楽になれるんじゃないかと思ってしまう。リストカットのような破滅願望。気付かれたら、この心地よい空間はきっと壊れてしまう。彼女は僕に見向きもしてくれなくなるに違いない。心底恐れながら、けれど、いつか訪れる終りに怯え続けるくらいなら、いっそ自分の手で、だなんて。

『わざとらしいなぁ

      昔のはなしなんだけどね』

 いつもより間を置いて、コトは話し始めた。


  昔、小学生のころ、大好きな先生がいたの。周りの先生より若くて、多分新任の先生だったんじゃないかな。大学出たてで経験も浅かったと思う。すごく優しくて、みんなその先生のこと大好きだったと思う。けど、私は素直じゃなかったから、いじわるしたの。……ううん、いじわるだなんて、かわいいものじゃなかった。いじめてた。子どものいじめなんてって思った? たとえ子どものすることだろうと、傷付くものは傷付くんだよ。私がしたこと自体は、大したことじゃなかったのかもしれない。誰もそんな大事になるとは思ってなかっただろうし、私も、先生も思ってなかったと思う。けどね、だめだったの。先生、いなくなっちゃった。もう無理ですっていって、わんわんないて、学校、来なくなっちゃった。みんな、私を責めたりなんてしなかった。先生が弱いって大人たちはいってた。けど、悪いのは私なの。私があんなことしたから、先生はいなくなっちゃったの。……何をしたか? うん、そうだね。いわなきゃ何がなんだかわからないもの。私はね、無視してたの。先生が何をいっても聞かなくて、何かいわれても聞こえないふりして、先生があとで傷付いてるのを見て、笑ってたの。それだけ。暴力なんかふるってないし、友達に無視しようだとかいってもない。ただ、周りの子も真似をして、いつの間にか、みんな先生のいうこときかなくなってた。学級崩壊ってやつだよね。保護者会とか、開かれてたみたい。全部、あとになってから聞いた。親も知らなかったの。もしかしたら、みんなも知らなかった。私が始めたことだって。私が先生を追い詰めたって。私もいえなかった。こわかった。

けど、もっと怖いことがあったの。先生がいなくなって、みんなそれにも慣れ始めて、気付いたの。先生の声が思い出せない。きっかけは何だったのかは、よく思い出せないの。急に、先生ってどんな声で話してたかなって思って、思い出せないことに気付いたの。どうしようって思って、気が付いたら、保健室で寝てた。笑っちゃう。自分で先生の声を聞かないようにしてたのに、思い出せないからって、パニックになって倒れちゃったんだって。おかしいよね。先生のいうことを聞かなかったのは私なのに、頭の中から先生の声が消えただけで、こんなに動揺するなんて。でも、もし忘れちゃうのが声だけじゃなかったら。もっと先生を忘れちゃったら。先生は大切な人なのに、先生が私の中からどんどんいなくなっちゃう。私が先生を消しちゃう。そう考えたら、何もわからなくなっちゃってたの。だから、これ以上忘れないようにしたんだ。新しいものを覚えなければ、きっと忘れないでしょってね。


 忘れたくないから、耳を塞ぐ。もう、音は忘れてしまったのに、周りの音を切り捨てる。なんだか変な感じもする。失われてしまったもののために、空席を残しつづけることになんの意味があるのだろう。

『おかしいってことはわかるんだけどね』

『いいんじゃない?』

 それがどんなにおかしいことだろうと、否定はしない。コトがそうしたいならそうすればいいし、僕が止めることでもない。それに、僕にも都合がいい。

『それでいいっていわれてるんだったらいいと思う』

『いわれてるかなー』

『注意されてないならおっけー』

『赤信号みないたノリだな!』

 コトが変な子でも、僕は気にしない。これはふりじゃなくて、本心からだ。きっと僕はこれからもコトと話すことはないだろう。コトが僕の話を聞こうとしなくたって、傷付くことも悲しむこともない。それは、とても幸せなことだ。コトは僕がこうやって「会話」するときに一言もしゃべらなくても気にしないだろう。僕が彼女に何を言っても気付かない。僕がしゃべっていなくても、コトは気付かない。きっとこの場で僕が持てる限りの言葉で彼女を罵っても、コトは僕が彼女を励ましていると勘違いすらしてみせるのだろう。それは、ああ、なんと都合のいい話だろう。

 にんまりと、自然と弧を描きそうになる唇をきゅっと締め、当たり前のような素振りで言葉を紡ぐ。

『まあ、友達少ない同士、そのくらいじゃ引いたりしないさ!』

『現実が痛い!』

 ありがとう。君の秘密を教えてくれて。これできっと、僕の秘密は暴かれることはない。

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