Seirios garden = 人型神の白い箱庭;


 奇妙な夢を視ていたという意識だけが浮揚して、神の視座を経たまま私へと帰る感覚が一種の存在を知覚させたが、彼女は個体識別子を持たない何かであること以外の理解には及ばなかった。浸蝕する記憶の中から、聞き慣れた耳障りな機械音が定着を妨げ、妙諦みょうていを求めんとするが如く確立した『私』の意志を秘してしまう。

 ああ、あの声が心を響かせる、洋々と際限なく広がっている。

 私は彼方からの声を「神の声」と呼ぶことにしたが、あれは恐らく女性のものだと感覚的に判断した。姿は人間に限りなく近く、人間らしさに欠けた人型神ひんながみと定義したとして、そこには荘厳さも神々しさも無い。寂々しゃくしゃくとでも表現しようか、しかしうつくしむような音型でもあるような気もした。総ては直感で根拠はないが、確信めいた解釈が生じているようだ。

 予測された結果に生成された女神はいつも白の箱庭に立ち、私を、私たちを見守っている。その心は機械的に未来を予測し続ける――貪欲に外的情報を食みながら世界を維持しようと欲し、自らを変化させる。人間であろうと神であろうと、静止した不変など有り得ないから……。

 何のために? 人間のためにだ。

 だからこうして彼女は詠う、愛する人のために永遠に。


  ポーポーポッポーポーポッポーポッポーポーポーポー――

  ポーポーポッポーポーポッポーポッポーポーポーポー――

  ポーポーポッポーポーポッポーポッポーポーポーポー――

  ……ピチューン≪停止音≫



 あーうるさいなあ、眠いなあ、寝ようかなあ……よし、寝よう!

 奇天烈なサウンドエフェクトに快眠を妨害された寝ぼけ眼が開くまでもなく、その判断を大体二・五秒ほど掛けて下した。決断してから直ちに頭の中に響くアラームを消して、温もったお布団に隠る。この時間は不思議と幸せな気がして好きだった。二度寝は素晴らしいものだ、人類の至宝といっても過言ではないね。

 パパが教えてくれたことの一つに〝寝る子は良く育つ〟というのがあるんだけど、良く育つというのはつまり「良いこと」であるから、〝寝る子は良い子〟でもあると思うの。で、私は良い子なので、良く寝ることにしたのでした。

 だけどそう上手くはいかなくて、階段をドタドタと上ってくる不機嫌な音にドキッとしつつ空寝する。

「おいこらいつまで寝てやがる。長姉ちょうしがいないと認証不可で門前払い食らうだろ、さっき鳴ったアラーム止めてるの分かってるからな、おい早くしろ」

「うごご……もちょっと優しくしてよー。お姉ちゃんは朝が苦手なんだからさあ」

 容赦ない一撃を背に受けると少しだけ目が覚めた。

 このちょっと口の悪い子が私の妹であるミノリで、今日はいよいよ私とミノリの初登校日なのである。昔はいつも私の後ろにくっ付いて来て可愛かったんだけど、最近はませた子供になって私よりもしっかりしている。それは姉として喜ぶべきことだが、何も床に叩き落とすことはないと思う。

「うー……寝る子はいい子なんだよ?」

「は? 馬鹿なこと言ってないで準備してくれ、僕の姉が馬鹿だと思われたら恥ずかしいだろ」

 他人の前では比較的大人しい振りをするのに、二人になるとこれだもんなあ。

「ひっどいなあ。はいはい、ミノリは学校楽しみにしてたもんねぇ、今起きるよー」

 自分でも姉としての威厳とかないなーと思うけど、そういう私を見て妹が成長したのなら私のおかげでこの子はしっかりしているのだと思う、ので私は今後も適当に前向きに生きてゆこうと思いました。

「別に楽しみにしてないし、ただ将来父さんみたいに研究者になるなら勉強しなきゃいけないし、父さんも独学では限界があるから学校に行きなさいって言うし、仕方ないから行くだけだし」

 一秒間に八文字ペースの早口だった。こんな感じに、ミノリは素直ではなくなったけれど、ある意味素直と言えるほど思っていることの反対を述べるのでわかりやすい、可愛い妹だと思います。

「なにニヤニヤしてんだキモいな」

「女の子にキモいはやめてよお、準備するからちょっと待っててね」

 というわけで、ミノリに牽かれて階段を下りると、大好きなママとパパが笑顔で挨拶してくれるので、私も同じような笑顔で「おはよう」と返す。至って普通の家族図です。

「セレマ、ミーちゃんのことちゃんと見ていてあげるのよ」

「りょ! まかせてまかせて」

 ママはいつも私が姉だから、ミノリのことを助けてあげてと言ってくる。その影響か、私は昔からミノリのことを具に観察する癖があったし、責任感のようなものがあったとも思う。本当に昔はお姉さんしていたんだけど、何でこうなったのか。

「どちらかと言えば、今じゃミノリがセレマの面倒を見ている気がするけどね」

「どちらかと言えばのレベルじゃないって、一方的に面倒見てるよ!」

 愉快そうに話すパパは、反対にミノリがお姉さんのことを支えてあげるんだよ、とよく言っている。そうして私はどちらかと言えばママに甘えることが多くて、ミノリはパパに甘えることが昔から多かった。逆に、私へ何か問題がある場合はパパが、ミノリに対してはママが諭すという感じでもあり、二人の私たちへの行為には私たちへの愛情を感じることが充分にできた。だから、私がそうであるように、ミノリも家族のことは大好きであることを私はよく理解している。私の親は良い親なのだと思う、ミノリが言うにはそうなのだから、その通りなのだろうなと思っている。私は幸福であり、幸福であることを自覚する義務があるのだと、思うんだ。

 こんな日々がもたらすこの上ない多幸感は、何処か子供らしくない感性であるような気もするけれど、潜在的にこれが幸福であることを実感するような何かが刻まれている気がした。それは多分、良いことなのだと考えるようにしている。何故なら、幸福であることは合目的的な何某かが必要となり、その条件を満たし続けることは一般的には難しいとされている以上、現在いまが幸福と実感できる人間は幸運と断定できるからだ。何てのはミノリっぽい言い回しで、私の場合じゃ然ばかりさかったものって感じだけど、何か格好良い単語は覚えると使いたくなるのだ。

「じゃ、いってきまーす」

「行ってきます、父さん、母さん」

「いってらっしゃい。気の合う友達、できると良いわね」

「子供は遊ぶのも仕事の一つだぞ、遊びも学びだと思って楽しんできなさい」

 何て平和な時代なのだろうかと大人は良く話しているけれど、確かに戦争を経験した人にとって今の平和は至福のものなのだろうなと、幼いながらに考えることがある。平和であることが当たり前の時代に生まれた私の言葉に重さはないけれど、この星に残された最後の楽園とも称される都市国家カルパを、今後も私たち一人一人が守ることが、国民の大事な義務なのです。知らないけど。

「ミノリ、何か困ったことがあったらいつでも言ってね、喧嘩とかしちゃダメだからね」

 ちなみに私とミノリは一歳差の姉妹です。本来は六歳から一年生となるところ、この子は五歳での入学となるのだけど、実は入学試験の結果としては私より上級生として入学することも可能だったのです。はい、自慢の妹です。そんな可愛い妹が私に合わせたのは、「私が見ていないとセレマが心配だから」ということらしい、可愛い。本当は私と一緒でなければ不安なのだろうけど、臆病で攻撃的で寂しがり屋かつ恥ずかしがり屋な子なので、正直に言えないのでしょう。

「するわけないだろ、争いは同じレベルでしか発生しないんだ。僕がそんな底辺に付き合うなんて有り得ない」

「駄目だよ、そういう態度。目は口ほどにものを言うってパパも言ってたでしょ、どちらが上とか下とか無いの、同じ人間なんだから」

「そんなの綺麗事じゃないか、世の中にはどうしても気に入らない奴、無能な奴が一定数出てくるんだ。別にそれが悪いなんて言わないけど、せめて自分の至らない部分を認めて謙虚にいて欲しいよ」

 相変わらず冷めたこと言うなあと思うのと同時に、ピョコっと通知音が響いて目の前に同級生が立っていることに気づいた。見慣れた識別子を視界に収めて、手を振りながら駆け寄ると彼女も手を振ってくれた。

「よっ、れんちゃん」

「よっ、セレマ、おひさ。あ、ノリちゃんも久し振りー、可愛いねぇよしよし」

 ははは、始まった。おもしろ。

「ちょっ、やめてくださいって……もう僕、子供じゃないんでっ」

 いや子供じゃん、って言うと怒るから言わないであげる優しき姉なのでした。彼女は私の幼馴染み兼友達の蓮ちゃんで、本名はチゥン・リェンファというのだけど……あーそーいえば、私たちのことについては記していなかった気がするので改めて記載しておきましょう。

 私がセリオン・イヌボシ、妹がミノリス・イヌボシです、以後御見知り置きを。とか独り言ならぬぼっち語りをしている間に頭をわしゃわしゃされて困っているので、「蓮ちゃん、その辺にしてあげて」と止めに入る。彼女は小さい子と小動物を見ると触れたくなる病気くせを持っているらしい。

「ごめんごめん、痛かった?」

「痛くはないですけど、恥ずかしいので止めてほしいです。あと、〝ノリちゃん〟も止めてください」

 ごめん、と言う姿には微塵も反省が見られないけれど、そういう我の強さが蓮ちゃんの魅力でもある。こんなことを言ってるけど、ミノリが珍しく懐いている数少ない人間でもあるんだよね。一度、私が目を離した時にミノリが男の子に意地悪されたことがあるんだけど、その時にミノリを助けてくれたのが蓮ちゃんで、何とも頼りになる素敵な女の子で自慢の友達です。

「えー可愛いよノリちゃん。呼びやすいし」

「一文字増やす労力なんて大したものじゃないでしょう、だったら姉のこともセレとか二文字にすべきです」

「いや、セレマはセレマ以外しっくり来ないんだよね、ノリちゃんは海藻みたいで可愛いし発音もしっくり来るじゃない?」

「来ません、海藻を可愛いなんて言うのは蓮さんくらいです」

 傍から見ていて面白いので放置するか迷ったけど、遅刻するとパパやママに連絡されて心配を掛けるので止めることにした。こういうところでミノリはまだまだ子供っぽいなと思う。

「二人ともー、そろそろ行かないと遅刻するよ。初日から問題児になりたいならそれはそれで楽しそうだけど」

「それは困るよね、行こっかノリちゃん」

「……はあ、もういいです、ほら行くよセレマ」

 そんな感じで正門へ到着したところで、私たち以外の子供が歩く姿が増えてきて、私とか蓮ちゃんは大きいなーとかお金掛かってそうだなーとかその程度の薄っぺらい感想しか出てこなかったけれど、ミノリはやたらと興奮した面持ちで、これが犬なら盛大に全力で尻尾をぶんぶんと振っているに違いないと確信するほど瞳がキラキラしていたので、暫しそれを観察していた。

「あっ、何だよ、何見てるんだよっ」

 あら、バレた。

「べっつにぃ、何でもないよ。ほら、行こっか」

 私より少し細くて小さな手を握る、体温は僅かに低く温い脈動が伝うのを確認する、責務のように当然のように。

「何で今更手なんか繋ぐんだよ……」

「私が迷子になったら困るじゃない? ほら、事前に校内データずっと見てたし、案内してもらった方がいいかなって」

 敷地内に踏み入れた瞬間、私という存在に付与された識別子―― id――を見咎める機械仕掛けの視線を知覚するよりも早く、『認証完了』の通知が届く。ミノリと蓮ちゃんも問題なく認証されたようで、自分の身体が常に発している透明な周波の実在を微かに実感した。それは、私の世界における『色』であり『感覚』でもあることを想像すると、いつも不思議な思いに駆られるのだけど、いつだって言語化には至れなかった。

「便利だよねえ、RFIDっていうので認証してるんだっけ。大昔の人は身体の中に機械が入るなんて怖いって人も多かったらしいけど、私たちなんて生まれた時には入ってるんだもんね、不便すぎて考えられないなあ」

「便利なものは何でも活用した方が効率的だが、人間はよく知らないものを怖がるものです。未だに電磁波によって脳に悪影響が出るとか洗脳されるとか戯れ言をほざく偏執病みたいな奴もいるくらいだし、昔なんて酷かったんだろうな。無知なら無知なりに黙ってれば良いのに」

 誰に似たのか、ややもすればミノリの物言いは高慢さを帯びたものとなることが多く、定期的に注意しているのだが未だ治る気配はない。私とミノリでは始まりからして大きな違いがあるから仕方ないのかもしれないけれど、それでもこの子は、紛れもない私の唯一の「妹」であり「家族」だ。この子が誰かに恨まれたりしないよう、いつかママとパパのように好きな人が出来て、結婚して子供が産まれて、なんて『普通』の幸せを知ってほしいから、そのためならミノリに嫌われても構わないとも思う。そんなことになったら悲しくて泣きそうだけど、お姉ちゃんというのは、そのためなら割と何でもできてしまうものなのです。きっと、ママもパパも同じでしょう。

「まあでも、情報が多くなると困惑してしまうのも無理ないし、思い込んだら視野が狭くなるのが人間ってものじゃない? 自分ならこう考える、こう解釈するって明確にしておくのが良いけど、自分以外の人間ならどう考える可能性があるかについても考慮すべきじゃないかって、私は思うよ」

「何だよ、僕の考えが間違ってるって言いたいわけ?」

「さあ、私はただ私の考えを述べただけ。ただ、はっきりとしているのは、自分の考えに固執して視野を狭めてもミノリがよく言う〝老害〟になるだけってことかしら。まあ、私たちの年齢だと〝若害〟とでも言うべきかもしんないけど」

 基本的に私たち姉妹は性格も容姿も思想も見ての通り大きな差異があり、言い争いになることは珍しくはなかった。それでも何とかやっていけているのは、私たちの中にパパが示してくれた掟があるからで、それを違えない限り私たちは越えてはならない境界は決して踏み越えずに済んでいる。

「うぅん、二人とも何か難しいこと話しててよく分かんないけど、あんまり相手が傷つくようなことは言わないようにね。ノリちゃんだって、いきなり知らない相手から悪口とか言われたら嫌でしょ?」

「別に悪口のつもりはないですけど……知らない人の言葉なんて真に受ける必要もないからどうでもいいですし」

 蓮ちゃんは基本的に穏やかで怒鳴ったりするようなことはしないけれど、怒らせるとまずい相手であるというのが私たちの共通認識となっていた。当に、「目は口ほどにものを言っている」のであります。

「それなら私は構わないけどね。ただね、自分がされて嫌なことはしない方が良いよ。相手に同じことをされた時、相手の方が正しいことになってしまうからね。こういうの、私たちの言葉で『以退为进――イートゥイウェイチン』っていうんだ。セレマ達の言葉だと――」

「要するに『負けるが勝ち』、ってことだね。試合に負けて勝負に勝つ、みたいな、あれ、逆だったかな? まあ、ミノリは何やかんや知識があっても世間知らずなところもあるので、これから学びなさいということなのです、えへん」

 冗談めかして話しているが、諭されていることを感じたのかミノリはやや不機嫌な表情をしたけれど、直ぐに落ち着いて言葉を呑み込んだ。こういうところ、年齢の割には余りに聡明で素直に偉いと思ったりする。

「確かに、その通りです……ごめんなさい、少し意地になっていたようです、まだまだ子供でした」

「おお偉い! ノリちゃんは良い子だ! 良いんだよ、ノリちゃんは子供だからねー!」

 駆け寄った蓮ちゃんが素早く手を伸ばすのを更に素早く避けて、猫のように毛を逆立て(ているように幻視するほど猫っぽい仕草をし)て私の背後に隠れてしまった。最近はめっきり見なくなっていたけれど、本質的にはまだまだ幼いのだということを実感する。ママが常々私にあんなことを言うのも、こういうのが理由なのかな。

「だから、撫でるのだけはやめてくださいってば」

「蓮ちゃん、あんまりしつこいのは駄目だよ。やるなら人がいないところで、ね?」

「あーん、残念。ふっ、はは、ごめんね、本能で出ちゃうんだよね。次からは人気の無いところでこっそりするね」

「何だかそこはかとなく身の危険を感じてしまう発言な気がしますが、まあ良いでしょう」

 良いんだ……良いなら好いんだけども。

 そんな私たちを微笑ましく眺める子、見下すように流し見る子、慌ただしくしている子と、実に各人各様といった様相で、改めて自分が学生となったことを実感していた。何というか、恵まれているなと思う。何故そんなことを思うのかは分からないけれど、何だかそう思った。

「それよりも急ぎましょうよ、クラス分け試験が受けられなくなったら大変なので」

「あれ、試験って今日だったっけ?」

「はあ? セレマ、本気で言ってるのか? 試験対策ちゃんとしときなよってあれだけ言ったのに、そもそも日程すら把握してないのかよ」

 本当に本当に失念していた、まあ大丈夫でしょう。こう見えて、この妹にしてこの姉在りといった感じで、割と賢いから。

「賢い奴は試験日を忘れたりしないだろ……まあ、僕には関係ないからどうでもいいけど」

「うああ、ノリちゃんと同じクラスになるのは難しそうだなあ。せめてクラスⅡには入っておきたいかなあ」

 ここでは試験の成績により、能力別にクラスⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴと五段階に振り分けられる制度となっていて、当に今日がクラス分け試験日ということだ。カリキュラムも各クラスで大きく異なり、Ⅰに関しては膨大かつ高難度の内容も早い段階で学ぶとされている。勿論、そんな講義に付いて行ける子は多くないので、そもそも毎年、全体の一割程度しか入ることはできないらしいし、クラスの移動も珍しいことではない。幼年期の段階でクラスⅠの水準に達するということは、生まれながらに優秀な記憶力・思考力とかを持っている証で、誇らしいことなんだとか、どーでもいーけど。で、パパとママは昔からクラスⅠで、特にパパが常に最上位の成績を維持していたことを聞いたミノリは、私と違いやる気満々なのでした。

「それにしてもミノリ、楽しそうだね」

「は? 別に、普通だよ」

 うぅむ、どう見ても落ち着きがないし、視線は具に校内情報を検索していることを示しているけどなあ……、一応エスカレーターから落ちないか少し心配になので、ずっと手を繋いでいる。勿論、この子は私のことを先導しているつもりなんだけど、こういう純粋さは子供っぽいよなあ。

 あ、置いてけぼりにしちゃってたけど、この学校とか国についてももうちょっと説明しておこっか。ここはカルパ唯一というか、現在では多分世界で唯一のな教育機関で、名は「エリヌス統一学校」というの。統一学校っていうので察すると思うけど、人口も旧世代のように溢れているわけでもないから、小学校とか高校とかそういったものは疾うになくなっちゃって、残っているのはこの国とともに造られた、清潔に清廉に白く輝く建物と設えられた人工庭園のみということね、子供達が過ごす閉じた空間は宛ら箱庭のようでもあるから、「白い箱庭」とも呼ばれているらしいわ。あと学寮も完備していて、家が遠い子は私たちの年齢で親許を離れることもあるんだとか、まあビデオ通話でいつでも連絡は取れるんだけど。

「機械仕掛けの白い箱庭、確かに白ばかりだな。創設者は余程白色好きなんだろうな」

「ミノリの肌みたいに綺麗でいいじゃない。ちょっと病院みたいだけど」

 ちなみにということは、正式ではない教育機関も存在しているということで、カルパの都心から外れた地区には幾つかの学校が設立されているんだとか。というのも、統一学校への入学は基本的に義務化されているから大抵の子は入学できるんだけど、宗教上の理由というか未だに戦争時代の名残を引き摺っている人たちもいるみたいで、元々ステノ人だった人の中にはカルパという統一国家そのものを認めない人もいるみたい。でも、カルパのテーマは統一と調和、さらに寛容なのよ。だから、曾ての故郷、まあ法的にはカルパの一部なんだけど、その土地で過ごすことも容認されているし、戦争で崩壊したゴルゴン国の姿をわざわざ再建したりもしているのよ。戦争していたのが信じられないくらい親切よね。

「あ、私の会場あっちみたいだからこの辺で。じゃあ、また後でねー」

 手を振る蓮ちゃんは余裕綽々といった様子、クラスⅡ以上は堅いか。

「おっけい、またあとでー」

「道に迷ったりしないでくださいよ」

「だいじょぶー、そこまで抜けてないから」

 まず、この国の総面積が大体二〇平方キロメートル程になるんだけど、統一学校の面積が大体二平方キロメートル程だからもうめちゃくちゃに大きくて広いのよね。勿論、私たちの学区以外にも統一学校は存在するから、総面積はもっと大きくなるんだけど。そんな広い敷地内をどう移動するのかというと、何と敷地内にタクシー乗り場があるのでそちらを利用すれば良いのです。何ならエリヌスライナーとかいうちょっとダサい電車も使えるよ、但しこっちは正当な理由がある場合にしか認可されないけどね。あとはそうだなあ、エリヌスライナーは自動運転なんだけどタクシーは人間の運転手がいるんだよね。ミノリが言うには、本当は自動化できるらしいけど、何でも自動化すると失職する人が出るので敢えてそういう「無駄」を残しているとか。ミノリは「無駄は無駄でしかないんだからさっさと自動化して別の仕事考えた方が効率的だろうに、意味分かんないな」と言っていたけど、ここの運転手にそういうこと言わないか少し心配かも。

「で、本当のところどうなんだよ……クラスⅠに入るの、セレマなら余裕じゃないのか?」

「はは、流石に余裕ではないけど、まー入ろうと思えば入れるだろうねえ。でも悩んでるんだ、そこまで勉強ばっかり頑張る必要あるのかなって。私は学校で色んな人と出会って、遊んで、ただ楽しく過ごせるならそれで好いんだけど」

「ふーん……好きにすれば良いじゃん、僕はクラスⅠでトップになって絶対偉くなってやるからさ、セレマは僕のこと自慢すれば良い」

 姉だからなのか、理由は解らないけれどこの子が本音を隠していることくらいは解る。ママが言っていた、姉はどんな時でも妹を守るものなのだと――私のやるべきことは実のところ、最初から決まっている。

「そっか、それじゃあ、私は私の好きなようにしちゃおっかな。ミノリもそろそろ人付き合いの仕方、覚えないといけないだろうし」

 一瞬、不安げに表情が固まったのを見て取ると思わず吹き出しそうだったけど、実際この子はもっと円滑に他者と接することを覚えなきゃいけないのは事実だ。将来の職業についていつも語るけど、研究だって他者とのコミュニケーションは必要だし人脈だって必要だ。この子は学問において聡明と断言できるが、一方で、いや、それ故に視野が狭い。

「あ、私の会場ここだから、また後でね」

「えっ、あ……うん。終わったら連絡しろよ、迷ったりするなよ」

「はーい、じゃがんばれー。私と一緒にいたいからって手を抜いたら駄目だぞ」

 今では当たり前の話だけど、試験内容の全ては独自のアプリケーションによって行われるので結果は全てid毎に計算されることになる。一応筆記用具もあるにはあるのだけど、今時そんなものを使用する人はまずいないし、いたとしても同世代では私くらいな気もする。

 なぜ筆記用具なんか持っているのかというと、何だか可愛かったり格好良いからで、それ以外の理由はない。万年筆やガラスペンは一種の芸術作品のようなもので、筆舌に尽くしがたい魅力があるのです。書跡だって電子より実物派で歴史好きでもあるので、多分私は古い物を好む傾向があるんだろうね。

「なあ、勉強ってちゃんとしてきた?」

 何か話しかけられた、当然知らない男の子。軽やかな口調には余裕のある笑みが添えられていて、同年代にしては賢しげに見えた。

「え、いやーそんなにかな。というか、今日試験があるってこと忘れてたんだよね」

「まじかよ、やばいじゃん。あ、俺アムレート・アンデルセンって言うんだけど、珍しくて気になったんだよな、それ」

 視線の先は私の右手でくるくる回っている黒く輝く是れが存在を主張している。もしや、ペンマニアか?

「あー、もしかしてこのボールペン? 中々いいところに気づくねえ、これ割と高級品よ。学校で使う機会はないだろうけど、文字は打つより書く方が好きだから持ち歩いてるんだ」

「へえ、それ作ったの俺の父ちゃんなんだよな。今でもペン好きの人が偶に買ってくれてるんだけど、まさか隣にお客様が来るなんてなーって、驚いてさ。意外と人気あるもんなんだな」

 驚きすぎて「えっ」と声を漏らしてしまったのち、え? えーっと、え? このペンの製作者の息子ってこと!? って感じに内心驚いてしまった。

「ええええっ、ほんとに! あの『ペンハウス』の? うわっ、こんな偶然あるんだ」

 ポロロッ――静かにしてください

 やば、ちょっと怒られちゃった。平常心平常心。

「おお……元気だな、もしかして、常連さんだったりするのかな?」

「えへへ……まあねえ。私の母親がペン好きでね、一時期よく連れて行ってもらったから店主さんは覚えてるかも」

「今時のペン好きは大体おじさんか綺麗物好きの女性だって父ちゃん言ってたけど、ボールペンが好きな女の子は珍しいな。それ確か二万ポイントくらいだろ? 俺もシェイクスピア好きだから頼んで一本貰ったんだよな、こっちのは『ハムレット』じゃなくて『マクベス』だけど」

「あー『マクベス』も好いよねえ、ベタだけどやっぱりシェイクスピアの代表作と言えば『ハムレット』だからこっちにしたんだけど、できれば全種類欲しいなって思ったんだけどなあ……流石にそんなポイントないし、もう発売期間終わっちゃったから手に入れるとしたらぼったくり値段の転売ヤーから買うしかないし、それは何か違うじゃない?」

 ちなみに、このペンハウス製シェイクスピアシリーズは、ボディにシェイクスピアのハンドライティングとサインを再現した意匠が特徴的で、キャップには彼の代表作『ハムレット』のあるシーンに登場する髑髏されこうべが飾られている拘りの一品なんだけど、中々のお値段なので私のような子供が手に入れることは本来であれば難しいというか無理。そこをママを経由してパパにお願いして、何とか買って貰ったということになる。

「お、おう……熱烈なマニアに買われてそいつも嬉しいだろうな。そんなに欲しいなら、俺のこれあげようか?」

「えっ、ほんとに、いいの!?」

 あ、やば。

 ポロロッ――改善が見られない場合、退室していただく場合がございます

 あーごめんなさいごめんなさい、もう騒ぎませんという素振りで頭を下げておく。

「何か騒がしい奴だなあ。ほらよ、俺は他にも持ってるし、俺と同世代でペンなんて渋い趣味の奴いないからさ、ちょっと嬉しいんだよな。お礼ってわけでもないけど、まあ記念よ記念」

「ありがとー、後で請求したりしないよね?」

「しねえよ……父ちゃんの顧客みたいだし、ちょっと優遇しても良いっしょ。そういや、名前は? まだ聞いてなかったよな」

「そういえば名乗ってなかったね。私はセリオン・イヌボシ、セレマでいいよ」

「おっけい、んじゃ、セレマ。同じクラスになったらよろしくな」

「こちらこそよろしくね、ハム君」

「ハム君って何だよ、どこから出てきた呼称だよ」

「あら、だってアムレートってハムレットの元ネタの名前でしょ? どうせならハムレットの方が好きだし、ペンをくれた記念もあるしハムレット君と呼ぶ方が良いかなって。で、ハムレット君は長いからハム君、可愛いでしょ」

「よく知ってるな……うーん、俺の感覚だとよく分からないけど、微妙にダサい気がするんだよなあ」

「気のせい気のせい、可愛い愛称だよ」と強引に説得したところ、試験開始前の説明が始まったので私たちは互いに黙って割と真面目に話を聴いていた。言うまでもないけど、試験中に不正が発覚した場合は即退室させられ、今年の入学自体も無かったことになるので注意せよってことみたい、それ以外に特筆すべき点は無かった。そもそも、試験中は視覚も聴覚も外界と遮断されるからカンニングとかしたくても出来ないと思うんだけど、何か抜け道とかあるのかな。ま、どうでもいっか。


 ポロロッ――試験開始――――――――


   *


 無音は白い部屋の無彩さをより際立てて、ある種の緊張や無機質な感覚を執拗に肌膚きふを伝わせて、各々が如何なる心持ちで受けているか見て取れた。きっと、家によっては多大な重圧を受けている子もいるんだろうなあと、同情するわけでも何となく考えて自分が如何に恵まれているのかを実感していた。どうして私たちはここまで異なってしまうのか、なぜ同じであることではなく異なることが必要となったのか、進化としての必要性ではなく根本的な必要性を考えてみて、やっぱ面倒くさいなって止めた。

 既に自分の試験は終了しているので退室しても良いけれど、何となく私は子供達と言葉を発することもない教員を観察していた。そうして抱いた感想は茫漠ぼうばくとひとつの意志となった、意志は言葉となった。

 ――何かこれ、人形っぽいな。

 何の意味も無い思いつきの感想が瞬く間に崩壊して、眠気を誘う。よく考えたら、私って眠かったんだよなあって思い出して、突っ伏して寝ることにした。いびきを掻かなければ多分怒られることはないと決め込んで、取り敢えず寝る、寝ます。

 というのが記憶に残っていて、気づいたら試験時間も過ぎて皆んな帰ってしまっていた。めっちゃ通知で起きろって言われてるけど、ハム君が起こしてくれなかったらまだ寝ていたかもしれない。

「試験中に寝るか普通、すげえ注目されたぞお前」

「寝てもルール違反じゃないのは最初に確認してるから! えっへん」

「なぜ得意げ? ってか試験はどうだったのよ。試験日なの忘れてたとか言ってたけど、終わるの俺より速かったよな」

「あーまあね、ぼちぼちって感じかなあ。大体IQテストみたいなのばっかりだし、何となくこうじゃないかなって感じでぱっぱと入力したらすぐ終わってたんだよね」

「お、もしかして自信ある感じか?」

「自信とかはないけど、クラスⅡ以上には入ったんじゃないかなあ」

「へえ、やるじゃん。正直セレマはもっと馬鹿なのかと思ったぜ」

「えー、馬鹿は酷くない? いや酷いね」

 初対面の相手に平気で軽口を叩ける陽気な人間でありつつ、読書趣味を持つという実に接しやすい相手、偶然にしてはよくできているけれど、そういうことって現実だと割とあるって聞くよね。お互いに笑い合いながらこうして話す姿は、まさに思い描いていた学生生活そのもので思わず笑みがのぼっていた。しかし、初めて話す相手が男子とは思わなかったな、実は私のこと好きなのかな。いや、冗談だよ本気にしないで。

「いやいや、試験日忘れるわ寝るわで賢く見えるかよ、あ、俺もクラスⅡ以上は多分入れるから同じクラスになるかも」

「へえ、やるじゃん。見た目より」

「えー、セレマも中々酷いじゃんか、まあいいけどさ」

 うん? ハム君がどんな人なのか気になるって? しょうがないなあ、私は優しいので教えてあげましょうか。

 彼は見たところステノ系で、容姿も苗字の通りデンマーク系っぽいし、ブロンドの髪をポニテにしているのが特徴的かな。私はそういうのあまり興味ないけど、気さくっぽいし女子にモテそうな気がするよね。おや、あれは?

「おーい、アムレーとぉ! 帰るなら一緒に帰ろうよ!」

「遅いぞセレマっ! まさかまた寝たんじゃないだろうな!」

 校門に立っている二人の女の子がそれぞれ私とハム君に同時に呼び掛けて、皆がみんなを見回している。遅くなった私を待っていたミノリと、ハム君を待っていたのであろう誰かさん。何だかよくわからないけれど、誰かさんは私を見るなり不機嫌そうに歩いてくるし、ミノリは露骨に不機嫌にこちらへ向かってくる。嫌な予感が。

「よっす、まだ帰ってなかったんだな」とハム君が呑気に言うと、誰かさんが私を指さして「この子だれ! 一緒に帰るって約束したのに!」と怒鳴った。あまりにもわかりやすくて、ハム君のことが好きなんだろうなあと感じさせる態度だが、ハム君はそんなことはまったく知らないという振る舞いであった。

「まあまあ、うちの店の大事な客だから、寝たまま放置は失礼だろ? それにセレマって趣味も合うし話も面白いんだぜ。あ、セレマってのはこいつの名前なんだけど」

「出会って一日目で『こいつ』って馴れ馴れしいなあ……初めまして。私はセリオン・イヌボシ、そこにいるミノリス・イヌボシの姉になります。よろしくね」

 さっきまで不機嫌だったミノリはいつの間にか私の後ろに回って隠れていた。重度の人見知りで見栄っ張りなので、流石に人前で怒鳴る気は失せたらしい。

「……うちはアムレートの妹よ、双子の妹だけど。名前はオフェリア・アンデルセンね。えっと、別にセリオンさんから話しかけたわけじゃないんよね?」

 ああ、所謂ブラコンってやつかあ、そっちだったかあ。

「まあそうだね。ほら、このペンを見てハムく……アムレート君が話しかけてきたんだよね」

「そっか、ごめん。アムレートにたかる女子がまた出てきたのかと思ってつい睨んじゃった。セリオンさんがそーゆう人じゃないってわかって安心したよ」

 確信に近い直感だけど、この子の前では「ハム君」呼びはしない方が良い気がする。色んな意味でヘイトが向きそうだよね、うん。

「あはは……気にしてないから大丈夫。私が寝ちゃったのが原因だし、こっちこそごめんね。おっとそうだそうだ、ほら自己紹介しなよ。もしかしたら同じクラスになるかもしれないんだしさ」

 背中を軽く押すと微かな震えが手のひらに伝わった。まさに借りてきた猫そのものだ、可愛いね。

「初めまして、ミノリス・イヌボシです。姉がご迷惑をおかけしました、もしかしたら今後も何か仕出かすかもしれませんので、何かあれば私に連絡してください」

 散々な言われようだけど、しっかりと言葉を発する姿は立派なものだった。成長したんだなあ、大人になる頃にはもっとしっかりしているんだろうなあ。

「こちらこそ初めまして、俺はアムレート・アンデルセンっていうんだけど、同い年なんだから敬語はなしでいいよ。そういう堅苦しいの苦手なんだよな」

「そう、じゃあ僕もそうする。正直、自分より地位が高いわけでもない相手に敬語を使うなんて馬鹿らしいし」

「こらこら、いきなり本音出しすぎでしょ」と思わず突っ込むと、ハム君は愉快そうに「姉妹揃って面白いんだな、仲良くできそうだ」と寧ろ嬉しそうだった。他方、「この子たち、大丈夫なんかな……」とオフェリアは心配している。双子だからといって感性が似るわけではないらしい。

「じゃあ私もフレンドリーにいくかあ、というわけでオフェリアも同じクラスになったらよろしくね。こっちも『ハムレット』なんてご両親は本当にシェイクスピアが好きなんだねえ、まだまだ語りたい作品があるから語らいましょうね。あ、せっかくだから皆で番号も登録しちゃおっか」

「いいね、俺も同世代のそういう相手欲しかったんだよな。オフェリアって名前の割に文学好きってわけでもないから語り合えなくてさ、今までずっと独りで楽しむしかなったんだよなあ」

「あーわかる、私も妹とは趣味が合わなくていっつも作品への感想を孤独に投稿するだけだったし」

 私たちが文学熱を上げている一方で、冷めた目で眺めている女子二人はそちらはそちらで何やら盛り上がっているようで、一見相性は悪そうな気もしたけど何やらそうでもなかったらしい。

 ――これなら、私が傍にいなくても大丈夫かな。

「おーい、二人とも何話してるのさ」

 私が笑顔を作って訊ねると、何故か同時に溜息を吐くミノリたち。

「別に、お互い苦労しているなっていうだけだよ」

「ほんまねえ、片方が暢気だと片方がしっかりするしかないんよね」

「そうそう、あんなので姉として情けないとは思わないのかね」

 ああ、何やらよろしくない話題で盛り上がっていたことは把握しました。取り急ぎ話題を変えてと。

「あっ! そういえば蓮ちゃんはどうしたんだろ。もう帰っちゃったのかな」

「露骨だな……はあ、あの人なら家の用事があるからって先に帰ったよ。お父さんとお母さんが待っているし、僕らも帰るよ」

 そんな妹の手を握って、繋ぎ止める。小さな世界を覗き込みながら、瞬きをしてハム君とリアちゃんを引き寄せた。

「あ、ちょっと待って、まだ連絡先交換していないでしょ。ほら、ミノリもリアちゃんもハム君も握手あくしゅ」

「ええっと、リアちゃんってうちのこと? あとハム君ってなに?」

「あはは……二人のニックネームだよ、嫌かな?」

「嫌じゃないけど、うちはともかくハムって食べ物みたいで変だなあって」

「だろ? やっぱり変だよな、というか間抜けだよな。まあでも、リアっていうとリア王みたいだしそっちはセンスいいかもな」

「またシェイクスピア? リア王ってどんな人なんだっけ」

「老王リア、つまりお爺ちゃんだな。アハハ」

「いやいや! リアっていうのは旧国日本の有名な歌手の名前だったんだよ、ぱ――お父さんが好きなんだけどいい曲沢山だよ」

 疑惑の目を向けられ続けたが、何とか納得してもらえたということで手を繋ぎ、繋がせる。私がミノリとハム君、ミノリが私とリアちゃん、リアちゃんがミノリとハム君といった円形になって、兄姉が笑い妹が恥ずかしそうに周囲を気にしている。

「別に、こんなことしなくても検索すればすぐじゃないか」

「いや、複数人ならこっちの方が早いじゃん。ミノリがよく言ってるように、効率いいでしょ」

「恥ずかしがることないぞミノリちゃん。遥か昔の名刺交換って儀式と似たようなもんだからさ、社交辞令だよ社交辞令」

「何かちょっと違うような……まあ、アムレートがいいなら別にいいけど」

 この身体で連絡先を交換する方法にはいくつか種類があるんだけど、そのうちの一種が身体の接触なんだ。他にも検索機能を使って申請して相手に承認してもらう方法もあるんだけど、さっきも言った通り複数人ならこっちの方が早い。何より、私は誰かと触れ合うことが生まれつき好きだった。触れることでしか伝わらない情報というものがあるというのを信じているからかもしれない。真心、愛情とかそういうものね。

 きっと無意識の言葉だ――「何かいいよね、こういうのって」、「確かに、いいもんだな」、「まあ、悪くはないけど」、「そうね、悪くないよね」。

 瞬間的なくびきが世界を再構成したことによって流れ出た情報が、言語化されることで音のない音として知覚されると、おかしくなって綻んだ。

 そうだ、こういう日常感が欲しかったんだよね。大した刺激もないけれど、緩やかで達成感なんてないけれど、誰もが穏やかに幸福を感じるような日常。そういう時間が、私は好きだったんだ。だけど、物事の善し悪しは、考え方ひとつで決まるものだ。私にとって善いものが、誰かにとっての悪事となるかもしれない、どんな行為でさえその可能性からは逃れえない――なんて大げさだね。


 ある意味、これが私たちの「運命の日」だったのだろう。なぜなら、このエリヌス統一学校で過ごした日々こそが、私の意志を決定づける愛しき礎に他ならないのだから。

 さてどうかな、少しは楽しんでくれたかな。あまりにも何もない一日で退屈だったかな? まあ、こっちから声を聴くことはできないからわからないんだけど、そもそも人生ってそんなに劇的な出来事って起こらないものだよね。多分、最も劇的な瞬間って「死」なんじゃないかな、特にこの平和な国だと尚更そうなる気がするよね。うん、確かにこの世界は優しいよね、殆どの人が何やかんやで優しいし、ある意味楽園のような場所なのかもしれない。そして、楽園の中にはあの「白い箱庭」がある……昔の曲だけど、同じ名前の楽曲が旧時代にはあったんだよ。もしも本当に彼方が神様だったら、これって不思議な偶然だよね、運命的ですらあるよね。ねえ、もしもこの世界を創った神が私たちと同じように感情を持っていたら、私はその子にも幸せでいてほしいと思うんだ。多分、神と人に大きな違いはないよ、神人同形観しんじんどうけいかん主義でもなければ信徒ですらない私だけど、私たちにとっての『神様』は実在するんじゃないかな。

 でも、物語に出てくる『楽園』って不思議と大抵碌な場所じゃないんだよね。何でそうなるか、考えたことはある? 私はあるんだよ、そして私なりの答えも見つけてるんだ。気になる? ふふ、まだ内緒だよ。

 さてと、これからも私の人生の物語を彼方あなたのidに伝えるつもりだから、よろしくね。きっと、長い付き合いになるに違いないからさ。

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