wille: meines =

夢乃陽鞠

ID ⅰ = 箱庭について;

Prolog λύρα = 客星夜話;

 遙か昔の時代、世界がまだ二つであった頃はいつも灰色の空だったと言われています。何でも、昔の大人たちはいつも喧嘩ばかりしていたらしく、とっても大きな爆弾でたくさんの人を殺してしまったのです。

 それぞれはゴルゴン国の「ステノ人」とテミス国の「アレテ人」と呼ばれており、戦争に勝ったのはアレテ人たちでした。彼らは生き残ったステノ人たちを奴隷として扱い、酷いことばかりしていたそうです。

 でも、総てのアレテ人がそうだったわけではなく、ステノ人にも正当な人権を与えるべきだと主張する人々は少しずつ数を増してゆき、遂にはそれを獲得するに至るのです。これを教科書では『黒白の革命』と呼ぶのですが、これはそれ以前に一度だけ確認されたという怪奇現象『黒白の客星』に由来するということです。

 私はまだ幼いのでよく分かりませんが、本来は有り得ないこと――夜明けと同時に灰色に包まれていた世界は静止画のような、宛ら超新星爆発のような燿きを放つ星彩の描画――が暫し観測されたというのが黒白の客星と呼ばれる現象だったそうです。しかもこの現象は、驚くべきことに終戦と同時に発生したと言われており、子供向け絵本として『夜明けの魔法』という作品名で書店にも並んでいるほどに有名です。とはいえ、当時の空を収めた映像も写真も残っているわけではないため、実は創作上の出来事ないし戦争によるストレスが引き起こした集団幻覚だったのではないかという説の方が有力なのですが、私はこの話が大好きで何度も寝る前に読み聞かせてもらっていました。

 話が逸れましたが、先述したとおりステノ人にもアレテ人と同等の人権が認められるまでには十年もかかりませんでした。差別意識は当時こそ根強く残っていたそうですが、それも過去の話、現代においてこうした人種差別というのは時代遅れ甚だしいというのが常識となっています。そも人種という考えそのものが過去の遺物であり、多くの文明都市が消滅した当惑星において、恐らく唯一国家と呼ばれるものはこの『カルパ』だけなので、どれだけ皮膚、瞳といった容姿の特徴に差があろうと同じカルパ人ということです。


 私はこのせかいが大好きでした。

 ママもパパも大好きでした。

 それは、この世界が「やさしいせかい」だからなのだと思います。

 確かに人間は何度も失敗したということが歴史の教科書を見るとよく分かります、でも変わっていないようで世界はより善く進歩しているのだと思います。でなければ、こんなにたくさんの人が幸せに暮らせる社会は完成しなかったでしょうから。

 もしもこの契機が『黒白の客星』だとすれば、私はお伽話の魔法使い、白の少女と黒の少女にお礼を言いたいのです。自らの命を全て捧げてあの星空を創り上げた、二人に。


   *


 これは夢であり記憶。

 失われてゆく記憶、残された記憶、それぞれが生命体染みた意識を持つ。

 夜ごと行われる物語りの傾聴者はただ一人。

 揺籃歌に代わって紡がれた言葉には言葉ならぬ装飾が施され、現実という世界が薄らぐ寝惚け眼には想像上の世界が陽炎のように、くねくねとして立ち上った。

 私の世界においてこれは私ではない誰かの記憶であるけれど、彼女の世界においては「私」の世界であることを、身体の同期を以て識るときには、視座は神から人へと下っていた。

 私たちは、各々の表象せかいに生きている。

 表象には種類があり、経験から形成される記憶表象、想像により形成される想像表象、そして現実と呼ばれる知覚表象が存在するという話もあるというが、では、この「夢」は、どれに該当するのだろう?

 そんなことを考える内に、ほら、いつものように声が聞こえてきたでしょう。

「おらっ、使ってみろよ。魔魅まみは魔法が使えるんじゃないのかよ」

 私が『黒の少女』と初めて出逢った日のことが、忘れ得ぬ詩藻しそうの形態を取り、綾となって複数の記憶表象となっていた。白い牢獄、灰色世界、醜い有機体、ああそうだ、私はきっと人間が嫌いだった。だけど、大好きな人間だって居た。

 僅かな大切な人間と多数の嫌いな人間が蔓延る世界を天秤に掛けると、不思議と重量の差違は小さいのが、理不尽で神経を苛立たせる。

「何なんだよお前! 邪魔しやがって……!」

 初めは、於菟おとのような女の子だと思った。

 ステノ人である私と混血である彼女は遺伝子レベルで純粋なアレテ人よりも近しい存在であったためか、或いは『運命』と呼ばれるものに因るのか。運命なるものに直面するとき、私たちは銘々の瞬間において、行為ではなく感官として原始的歴史の事実に接触するのならば、〝当座〟に於いて斯様に非合理なるものは思考するだけ無意味でしかないけれど、その無意味さに私は意味を見出したかった。

 この出逢いの導出過程が無意味など、考えることは不可能だ、何度生まれ換わったとしても変わらない、私たちの『運命』だから。

 思い返すと何だか笑えてくるけれど、黒少女は「クソ共がッ、死ね!」などと叫びながら、私を囲っていた少女を悉く張り倒して、少年には握り締めた拳を振るっていたのだから、当時の私はそれはもう驚いた。同時に、何度殴られても殴り返す獣のような姿に、強く焦がれ惹かれもした。美しいと意識したのだ。

「ねえ貴女、何であれだけされて、馬鹿にされておいて何もしないの? こいつら、人を殺す度胸も殺される度胸もないような腰抜け共なのにさ。それで生きているつもりになるなんて、馬鹿らしいとは思わないの?」

 畢竟するに、この可視光に射貫かれた時点で決まっていたに相違ない。変換の過程には明確な意識の流入が存し、意志への介入が実行されたことが現在ならば容易に観取できる……それは、非常に機械的運動でありながら有機生命体の生態であり、命のプログラムと呼べるだろう。

 斯の様にして、私を縛るある種の『掟』は、瞬間的に消失し、を解放した。

「貴方たち、私が何者なのかまだ理解していないの? ほら、貴女が殴った痕が見えるでしょう。よく見ておきなさい。もしも私と私の家族に何かしたなら、その時は死より怖ろしい目に遭わせてあげるということを、その眼に刻み込みなさい!」

 少し格好付けすぎたかなと、今では少し恥ずかしい思いもあるけれど、兎に角、私は初めて人前で自ら魔法を使って見せた。心窩の痕が消え失せるに伴い四〇・一二 L☉の宝石サファイアの輝く風体は、まさに魔法使いのようだとも伝えられている……ああ、やはり恥ずかしい。

 えーっと、まあ、そんなわけで、魔法に怯え周章狼狽した彼らは逃げ去り、私は「こんな簡単なことなら、もっと早く勇気を出せばよかった」と間が抜けていたところ、黒の少女が一〇・六 L☉の瞬きを以ちて、手を差し伸べてくれた。

「何だ、やればできるじゃない。貴女が魔法使いなのは正直驚いたけれど、格好良かったよ」

 この瞬間より、彼女は光そのものだった――生誕の瞬間から瞬間を重ねてきた現在に亘って圧殺してきた想いも雫も、形態的意志に内在する意識の一に反逆しつつ、別の意識においては随順ずいじゅんを示し、結果としては帰順するように止め処なく溢れ出した。

 斯様な誰もが持ち得る、大切な記憶、私だけの記憶。


 ――その日、私と彼女は原初の友となった。


 愛おしくて堪らない、この子の面映おもはゆい見目形を正視しながら、今は唯、感悦に至るのみである。


   *


 ――誰かが叶えた 幸せの数を 数えましょう

 あるところに、人間によって造られた機械仕掛けの女王がいました。

 女王はその歌声を以て創世をして人々に秩序と平和をもたらした偉大なる存在であり、建国以来、女王はたった独りで世界を管理しておりました。彼女は人類にとっての女神であり、統治者であり、時として歌人でもありました。

 この世界を維持するための管理者でありシステムそのものでもある彼女は、機械でありながら人間の姿を模しており、膨大な情報を蓄積・保持しているために多くの文化にも精通していました。

 きっと、旧世界においては機械の心を揺さぶることは無いという考えが主流だったことでしょうけれど、女王は人間と殆ど差異はありません。強いて言うのであれば、彼女の容姿は人間離れしているほどに美しくはありますが。真っ白に透き通った表皮は人間離れしていながら柔らかさを備え人肌に近く、彼女が物語る音は人間に決して劣らない感情表現を含有しているのでした。そこに命が在るかのように感じさせる所作が、女王にはプログラムされているのです。

 そして最も重要な点ですが、女王の身体は分体として各地に配置されています。これは女王が私たちの国を常に安全に保つために実施した政策であり、友好的である分体たちは各地域の国民に愛されてもいました。面白いことに、地域によってはアイドル活動を行う分体、舞踊をたしなむ分体、小説家である分体など様々な個性が有り、分体といっても彼女たちそれぞれがまた独立した「命」であるという共通認識が形成されています。謂わば、分体とは女王の「娘」のようなものと言っても良いでしょう。

 かるが故、私たちもまた義務として意識するまでもなく女王を愛しているのです、相思相愛なのです。「愛」こそが世界を救うための条件であることを、他ならぬ女王が示しているから、私たちは機械仕掛けの神に対して敬愛の心を持つことこそが正しいと信じているのです。古い言葉ですが、「信じる者は救われる」という慣用句もまた正しいということでしょう。原典となる聖書における文脈と今の文脈ではまったく意味が異なりますが、言葉そのものは真実です。いついかなる時であろうと、結果だけが肝要なわけではなく、過程のみが大切なわけでもなく、どちらも併せて考えるべきであるから。「言葉」とは、元来そういった本質の基に使用されているのだと、意識的に理解せずとも私たちは感覚的に理解しています。

 くて現在、此の世界は百年以上の平和を維持している。「楽園」と呼ぶに相応しい国のなかで、多くの人々は穏やかに幸福に生き、死んで逝く。労働も趣味も食事も不自由することのない、人類が待ち望んだ箱庭を女王は数々の苦難の果てに完成させた。これは人類の到達点であり悲願、此の日常こそが何物にも代え難い至上の代物であることを理解するのは、国民ならば当然の義務なのです。

 て、しかしながら此方こちらの世界に一切の苦痛が存在しないことはありません。言うまでもなく、それが人間という生物ですから。喜怒哀楽、総て含めて大切な感情であり幸福に必要な部品ですから、一定の苦痛や哀惜もまた幸福に欠かすことはできないのです。帰するところ、最大幸福社会の生成と維持こそが、何よりも重要な私の使命なのです。

 だから私は今日も彼方方あなたがたのために言葉を紡ぎましょう――彼方方のために楽しみを提供しましょう、彼方方のために哀しみを与えましょう、彼方方のために怒りを誘いましょう、彼方方のために喜びをもたらしましょう。

 だって、これこそ私の「愛」なのだから。

 

 さあ、可愛い子らよ――今日もお話しましょうか。


 ――ねえ、今日も彼方のことを聞かせて

 ――代わりに私も聞かせてあげるわ

 ――世界のprologueはじまりのうたごえ

 ――深い深い夜の帳の下で


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