第19話 心音

香魚子の答えは「NO」だった。

「………」

明石は少しの間黙った後に口を開いた。

「会社に入れないって…もちろんそういう答えもあるかなって想像しなかったわけじゃないけど…その…理由を聞かせてもらえないかな。」

明石にしては珍しく口調に動揺が見られる。

「えっと…」

「………」

「明石さんと…それから、柏木さんとも一緒に仕事ができたら楽しそうって思います。」

「なら…」

「でもダメなんです…」

「なんで?」

「………。」

香魚子は口籠くちごもってしまう。

「俺は…福士さんがいる会社を想像してたから、君のデザインがある会社を想像してしまったから、簡単には諦められない。」

明石が香魚子のをジッと覗き込む。

「わたし…」

明石が香魚子の紡ぐ言葉を待っている。

「………えっと…」

「うん…」

「明石さんのこと……たので…」

「え?」

香魚子の声が小さくて、明石にはよく聞こえなかった。

「明石さんのこと、好きになってしまったので…」

「え」

明石は驚きを隠せない表情かおをした。

「…なので、営業部長さんと鷲見チーフのことも何も言えないというか…同じ会社にいたら浮ついたデザインをしてしまいそうで…お役に立てない…です…」

———は〜〜〜〜〜っ

明石はこれ以上ないくらい大きな溜息をいてしゃがみ込んだ。

「あの…」

香魚子は心配そうにかがんで覗き込んだ。

———むにッ

(え…)

明石が香魚子の頬を両側から手で潰した。そして立ち上がった。

「ビビらせないでよ。」

「えっと…明石さん…?」

「福士さんが俺を好きで、何の問題があんの?」

「だって…」

「俺も福士さんのこと好きだけど、会社に誘ったんだよ?」

「え?」「え??」「明石さんが…?」「私を…?」

香魚子は全くピンときていない。

「かなりわかりやすくアピールしてたと思うけど。鈍いね。」

「私のデザインを好きでいてくれてるんだとは思ってたんですが…」

香魚子は困ったような顔をしている。

「俺は福士さんのデザインも好きだけど、デザインの事になると顔つきが変わるところも、楽しそうにデザインしてるところも好きなんだよ?」

「え……」

香魚子の顔が真っ赤になったのが、夜の暗がりでもわかる。

「でも、だったら尚更社員にしたらダメなのでは…」

明石は首を横に振った。

「言ったじゃん、付き合ってようが不倫してようがどうでもいいって。仕事に私情を挟まなければいいってスタンスだよ、俺は。」

「自信ないです…」

「俺は良くないものに良いとは言わない。」

たしかに明石はそうだろう、と香魚子は思った。


「…でも私、決めたんです。」

「ん…?」

「会社辞めたら、フリーランスでやっていこうと思ってて。それで、明石さんの会社ともお仕事できたらなって思ってたんです。」

「フリーランス?なんで?」

「明石さんとデザインのお話するのは楽しいし、明石さんも柏木さんも私のデザインが好きって言ってくださるので嬉しいんですけど…それだけじゃ成長しないと思うんです。もっといろんな人に、デザインに、仕事に触れて…それをデザインに活かしたいなって思います。」

香魚子は明石のを見て言った。

明石は少し考えて、ほんの少しだけ残念そうな顔をした。

「うん…たしかにそうだね。ちょっと残念だけど良いと思う。でも俺が作る会社をメインに仕事してくれたら嬉しいけど。」

「はい。」

香魚子ははにかんだように笑った。

———ハァッ

明石は溜息をいた。

「デザインのことになると、本当に良い表情かおするね。」

「…自分では全然わからないです…」

香魚子の頬は相変わらず赤い。

「抱きしめていい?」

明石が真顔で言った。

「えっ!!!!っわ」

香魚子が同意する前に明石は香魚子を抱きしめた。

それ以上赤くならないと思っていた香魚子の顔はさらに真っ赤になり、また全身が心臓になってしまったようにバクバクと鳴っていた。

「やっと触れられた。」

「え?」

「ずっと触れたいと思ってたし、下の名前で呼びたいなって思ってたし、夜中に一緒に映画観たいなーとか思ってた。」

明石が優しい声で言った。

「…名前で…呼ばれたいですが…心臓が持たないかもです…」

明石の胸の中で香魚子が言った。

「なんだそれ。」

明石は笑った。

「香魚子」

「わ」

「香魚子さん」

「わぁ」

「香魚」

「ひゃ…」

「香魚ちゃん」

「あの…ちょっともう本当ほんとにダメです…」

香魚子の反応を見て明石はまた笑った。

「さっき、女友達のノリって言われたときはどうしようかと思った。大事な話の三つ目で好きだって言おうと思ってたのに、友達か〜って。」

「あ、あれは…なんていうか…」

(そんなふうに思ってたなんて…)

「香魚子」

「…はい…」

「明日なんか予定ある?」

「いえ」

「じゃあさ、今日俺んち来ない?」

「え…っ」

(それって…)

「いや、別に今日そういうことしなくても大丈夫だよ。でもなんか今すげー離れがたい。香魚子の好きな映画とか観ない?」

「………えっと…あの…」

「ん?」

「………あか…あまね…さんとなら…そういうこと…になっても…大丈夫だいじょぶ…です…」

香魚子は明石の胸に顔をうずめて言った。

———ハァッ

「ヤバいな。そんなこと言われたら俺の心臓が持たない。」

明石の心音が、香魚子にも伝わってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る