第16話 目的

香魚子の視界の先にいたのは、鷲見すみと営業部長の目白めじろだった。

「え…」

香魚子には状況が飲み込めない。

「あの二人、デキてんだよ。こういうイベントの時は毎回二人でホテルに泊まってる。」

「…えっと、えっ…あの…営業部長さんはご結婚されてるはず…」

いつかの社内報で、家族のことについてインタビューに答えていた。

「うん、不倫だね。」

明石があっさり言う。

「正直さ、付き合ってようがそれが不倫だろうが、プライベートの問題だからどうでも良いんだけど、あの二人は仕事に私情を挟んでるのが俺的にはナシなんだよね。」

「どういう…」

香魚子は目の前で起こっていることに理解が追いついておらず、明石の言葉もうまく理解できない。

「鷲見さんのデザインばっかり、なんで選ばれてると思う?なんで店に並んでると思う?」

「え、それって…」

「目白さんが営業の若手に指示出してコンペの票の操作してるし、店にもゴリ押しで導入させてるんだよ。鷲見さんの商品の売り上げは下がってるのに。それで多分君の倍は給料もらってるよ。」

「そんな…」

「だから福士さんが良い企画して徹夜して資料作って完璧なプレゼンしても、ピーコックこの会社じゃ意味ないんだ。こんな会社のために福士さんが悩むのも泣くのも勿体ない。」


『完璧な資料だったもんな。…でもこの会社じゃ…』

『ピーコックは君の才能を活かすには濁りすぎた水だから』


明石の言葉の真意がはっきりした。

(ああ、あれはそういう…)

———ふらっ…

香魚子の目の前が一瞬暗くなって倒れそうになったのを、明石の腕が支えた。

「大丈夫?」

「すみません、えっと…寝不足と…ちょっと頭が混乱してしまって…」

「無理ないな。医務室で少し休ませてもらおう。」

「え、大丈夫です、帰れます!」

「いいから。」


明石に押し切られるかたちで、香魚子は医務室で休むことになった。

「水買ってきたけど飲む?」

「ありがとうございます。」

香魚子はベッドの上でペットボトルを受け取った。

「ちょっと眠れば?起きるまでついてるよ。」

「い、いえ!それはさすがに…」

(寝顔見られるなんて恥ずかしすぎて無理すぎる…)

「やっぱり寝不足だったんだね。」

「…すみません…。」

香魚子が観念したように言うと、明石はまた溜息をいた。さきほどの溜息とは違って少し困ったような優しい雰囲気だった。

「会社のせいもあるけど、寝不足にしてしまったのは俺のせいだね。ごめん。」

「いえ!明石さんのせいじゃないですっ!」

香魚子は慌てて否定した。

「私、ずっと考えちゃって…。会社のテイストのこともそうなんですけど、その…明石さんの考える会社の将来に私はいるのかなって。」

「会社の将来?」

「はい、川井さんはいるみたいだったけど…私は…」

「ああ、この間言った話か。そうだね、川井さんとか鴇田ときたみたいな営業の若手が会社の将来を良くしてくれたらいいなって思うよ。」

「……私は…いますか?」

明石は眉を下げて苦笑いするような表情かおをした。

「いない。」

(やっぱり…)

予想はしていたが、はっきり言われると辛い。香魚子の表情が一瞬で曇った。

「ちなみに俺もいない。」

明石が言った。

「え?」

「福士さんを寝不足にしたのはやっぱり俺の責任。俺が理由を言わずに目的もゴールも見えないような状態でデザインさせてしまったから。」

「理由?」

明石は頷いた。

「いつ言おうか、言っていいのか、すごく迷ったんだけど…」

明石にしては口が重い。

「俺ね、会社辞めようと思ってるんだ。」

「えっ!…あ、えっと…他に行くんですか?」

香魚子の質問に明石は首を振った。

「会社を作る。柏木と一緒に、ピーコックと同じ業種の文具の会社。」

「…え」「え?」「えっと」「あ」「それは」「すごいです!」

香魚子がビックリして細切れに言葉を発すると、明石は笑った。

「それで、福士さんにその会社に入って欲しいんだ。デザイナーとして。」

「……え?」

香魚子はポカンとして、状況が飲み込めていない。

「福士さんが本当にやりたいデザインができる会社にする。だからいっぱい考えてもらいたかったんだけど、何も言ってなかったから悩ませちゃったよね。これが大事な話の二つ目。」

「………。」

「大丈夫?」

香魚子は首をぶんぶん振った。

「ぜんぜん…全然言ってる意味がわかりません…」

香魚子が泣きそうになりながら言うと、明石は笑った。

「最初から満足な給料を出せるとは約束できないから、本当はもう少しピーコックで安定した仕事をするのも福士さんの為かなって思ったけど、こんな状況だから言わないわけにはいかなかった。」

「………。」

「これは人生を左右することだから、指切りみたいな軽い約束で決められることじゃない。2週間、よく考えて答えをもらえないかな?」

「にしゅうかん…」

香魚子は放心状態だったが、コクっと頷いた。

その夜は明石が香魚子をタクシーに乗せて見送った。タクシーの中の香魚子は夢か現実かわからないような思考回路でぐるぐると考えを巡らせていた。

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