第15話 ホテルのロビー
香魚子がブースに立つ当番の日だ。
———ふぁ…
香魚子はあくびを噛み殺した。
「おはよう。」
聞き慣れた心地よい声に、胸がざわつく。
「お、おはようございます!」
「今、あくびしてなかった?眠い?」
明石が優しく笑って言った。
香魚子は焦ったように首を横に振った。
「もしかして昨日も遅かった?今日長丁場だけど、大丈夫?」
「大丈夫です…」
伏し目がちに答えた。
昨日も深夜までタブレットに向かっていたが、良いと思えるものはできなかった。それだけに明石と顔を合わせるのが妙に気まずい。
「朝礼始まるから、全員集まって。」
営業部長の声が聞こえた。
「呼ばれてるね。行こうか。」
香魚子は小さく
「寝不足じゃなくても無理しないでね。」
明石は困ったように笑って言った。香魚子も同じような
商品の説明は、香魚子の予想通り
(思ってないこと言うのって考えてたより疲れるな。それにやっぱり寝不足で辛い…)
会場でのデザイナーの仕事は営業のサポートのようなもので、営業が顧客対応をしている間、別の顧客に商品の説明をして場を繋ぐ。営業の顧客対応が終わったタイミングで、待っていた次の顧客の対応を営業にバトンタッチする役割だ。明石の顧客は来場数が多いため、バトンタッチのタイミングで何度も顔を合わせなければならなかった。
(そういえば、営業してる明石さんて初めて見るなぁ。)
笑顔で対応したり、軽口を叩いて笑わせたり、質問には真面目に答えたり、表情がよく変わるがどの顧客にも真摯に対応しているのがよくわかる。そしてどの客も明石が前の客と話し終わるまで絶対にブース内で待機している。
(営業成績トップって納得かも…)
素敵だな、と思いつつも自分の仕事との差で胃のあたりがギュ…となる。
———ピンポーン
『17時30分です会期終了となりました。各社ブースの撤収をお願いいたします。なお、次回開催の…』
JSOT終了を知らせるアナウンスが流れた。
「撤去が終わったら打ち上げするんで、みんな店に集合してください。」
(打ち上げ…正直帰りたいけど、少しは顔出さないとまずいかな…)
打ち上げは会場近くのホテルに併設されたカジュアルレストランで行われた。
寝不足から食欲のない香魚子は、乾杯のビールを少しと、飲み物だけを飲んで場を
1時間後
「すみません、私ちょっと所用があるので失礼します。おつかれさまでした。」
香魚子は申し訳なさそうにしながら店を出た。
「福士さん。」
後ろから呼び止められ、ドキッとする。
「明石さん…」
「帰んの?」
「はい…。」
「俺も帰る。」
「え!」
よく見ると、明石はたしかに荷物を持っている。
「明石さんがいないと困るのでは…営業さんたちも、デザイナーのみんなも…」
(明石さん目当てで打ち上げ参加してる人もいそうだったし…)
「大丈夫 大丈夫。どうせみんな酔っ払ってて誰がいるとかいないとかわかってないし。会期中も毎日お客さんと飲みだったし、もう飽きた。」
そう言うと同時に、明石はもう歩き始めていた。
「福士さんに大事な話があって。」
「大事な話…?」
(柏木さんが言ってたやつかな…。)
「うん。3つあるんだけど、そのうち一つはもうすぐわかるよ。そっちの柱のところに行こうか。」
気づくと、ホテルのロビーにいた。柱の陰で何かを待つようだ。
「そういえば、柏木から聞いたんだけど…自分のことダメだって言ったって?」
「………伝わってるんですね…。」
「設営の日に会ったって、柏木が心配して連絡くれた。」
「………」
「この間の、“イマイチ”って言ったデザインのことで悩んでたりする?」
「…いえ、えっと……あの、あれ自体はたしかに良くなくて…でもそうじゃなくて、えっと……」
うまく言葉が出てこない。
「その、明石さんのせいじゃなくて…私のデザインて会社のテイストに…会社に求められてないのかな…とか、えっと…」
香魚子の頬を暖かいものがつたう。
「あれ…えっと…ごめんなさい、泣くとか最悪…これは、そういうんじゃなくてっ」
喉の奥をキュ…と掴まれたような感覚になる。
———はぁっ
泣いている香魚子を見た明石が大きな溜息を
(最悪。明石さんは悪くないのに泣いて責めてるみたい。めんどくさいよね…泣き
明石がハンカチを差し出した。
「福士さんがそんなに悩んだり泣いたりする価値なんてないんだよ、
(…え?)
「あ、来た。カウンターのところ、見てごらん。」
明石はホテルのフロントを指した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます