第4話 好きな花

明石あかし あまね、営業部第一グループ主任。

福岡県出身、3月生まれで年齢は33歳らしい。

そしてどうやら独身…


会社の無人の休憩スペースで、今までほとんど読んでいなかった社内報のバックナンバーを見ながら香魚子は溜息をいていた。

年に一回発行される社内報のその号は、営業部特集だった。明石のプロフィールも掲載されている。

(何やってんの、私…)

———ハァッ

大きく一回息をくと、手帳とペンを取り出した。

(明石さんのこと考えて変になってるより、褒めてもらえたデザインを考える方が良いに決まってるじゃない。)

サラサラとペンを走らせる。

(ミルフルールの企画は無くなってしまったけど…お花のシリーズはいつかやりたいよね。シーズン毎に違うお花で…春は…桜は定番だけど、チューリップ…タンポポとかも大人っぽくしたら新しい雰囲気でかわいいかも…)

デザインモードのスイッチが入ったかのように、周りが見えないくらいイメージスケッチに没頭していく。

「いいね、それ。チューリップ?」

ふいに、至近距離から話しかけられて香魚子はフリーズした。香魚子の座っているテーブルの向かいの席に明石が座っていた。

———ガタッ

間を開けて、香魚子の椅子が音を立てた。香魚子が思わず後ろに退いたせいだ。

「え、え、いつから…!?」

慌てる香魚子に明石はハハハッと大きく笑った。

「今だけど。コーヒー買いに来たらなんか描いてる人がいるな〜って。そんな驚く?」

「ごめんなさい、私たまに周りが見えなくなっちゃうんです!人がいると思わなかったから!」

心臓がバクバク鳴っている。

「知ってる。何度かそういうとこ見たことあるから。」

「へ…?」

「それよりさ、これってミルフルールの新しいデザイン?」

明石は、香魚子が手帳に描いたスケッチを指差した。

「あ、はい。この前明石さんがデザイン案 取っておいてって言ってくれたので、他のアイデアも考えてみようかなって。」

「いいね。」

明石は優しく微笑んだ。香魚子の心臓が先ほどのバクバクとは違った心音を奏でる。

「チューリップと、これは?」

「えっと、タンポポを…色がついたらもっとわかりやすくなると思いますが…」

「へぇ、じゃあ色がついたところも見たいな。」

「はい、いつかお見せしますね。あの…」

「ん?」

「明石さんの好きなお花はなんですか…?」

聞いてみた後で、もしかしたら好きな花なんて無いかもしれないと思い、恥ずかしくなった。

「うーん…」

明石が考え込むのを見て、ますます質問を間違えたと後悔した。

「ミモザ。」

「え………それはこの前私が言ったやつでは…」

「うん、だから。この前までチューリップが好きだったんだけど、名前に入ってるって教えてくれたから俺もミモザが一番好き。」

明石が“好き”と言って微笑むので、香魚子の顔は真っ赤になってしまった。

(ちがうちがう、“ミモザが”好きって言ったの。)

「あ、これ社内報じゃん。」

明石がテーブルの上の社内報に気づいた。

「これ俺も載ってるよ。」

(…知ってます、読んでたから…。)

明石が社内報をパラパラ捲っているとスマホが鳴った。

「あ、いぬいさんだ。じゃあね、福士さん。また。」

スマホを片手に明石は手を小さく振って休憩スペースを後にした。

(明石さんはいつも心臓に悪い…“また”って。“また”…)

香魚子は思わずニヤけてしまいそうになった。

「福士さん。」

また突然話しかけられた。

横を見ると見覚えのある顔の男性が立っていた。

「………えっと…」

(誰だっけ?営業部な気がする…コンペで質問されたような気もする…)

「同僚の顔くらい覚えてないのかよ。俺は知ってるよ、デザイン部の福士さん。」

「すみません、顔は見たことあります…営業の方…。」

「営業部、鴇田ときた 新之助しんのすけ。ちなみに福士さんと同い歳。」

「はぁ…」

(そのトキタさんが何の用だろう…。)

「福士さんて何者?」

「え?」

「明石さんが自分からデザイナーに話しかけてんの初めて見た。」

「…べつに…ただの普通のデザイナーです。デザインの話をしてただけで…。」

「ふーん…」

鴇田は自販機で明石と同じコーヒーを買うと休憩スペースから出て行った。

(なんなんだろ。…ていうか、営業さんくらいは顔と名前覚えなきゃダメだな…)

香魚子は社内報をもう一度捲って、じっくり読んだ。

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