第3話 約束
プレゼンから2日後、商品化が決まったデザインが発表された。
チーフデザイナーの
鷲見のデザインは“ファンシー”とか“ラブリー”といった形容詞が似合う、どちらかというと子供っぽい雰囲気のデザインだ。正直なところ香魚子の好みには合わないが、コンペでよく選ばれているし店頭にもよく並んでいるので人気があるのだろうと思う。
(売れ筋のデザインて、こういう路線なのかな…)
「はいこれ、福士さんの分。」
企画デザイン部の部長から、紙の束が手渡された。コンペの審査に参加していた社員たちの審査用紙だ。10点満点の点数と、自由な意見の記述欄がある。
パラパラと
【5点 花柄がありきたり。】
【4点 他の会社にもよくある花柄、売りづらい】
選ばれなかっただけあって、厳しい意見が多い。
(花柄、そんなにダメかな?“ありきたり”とか“よくある”って、普遍的でずっと一定の人気があるってことだと思うけど…)
———パラ…
【10点】
(え!?)
満点の表記に目を疑う。記入者氏名の欄を見た。
【営業部・明石
名前を見て、心臓が小さく跳ねた気がした。
【色がとてもきれいだと感じた。花柄自体は他社からも発売されているが、イラストのタッチ、イメージする紙、パッケージなどで差別化されている。ターゲットもきちんと絞られているのでプロモーションもしやすいと感じる。発売すれば息の長いシリーズになると思う。】
頭が落ち着かず一読では内容が入ってこなかったので、短い時間に何度も何度も繰り返し読んだ。
(ちゃんと聞いててくれたんだ…。伝わってる。)
目頭が熱くなる、という感覚を初めて覚えた。涙はこぼれなかったが目が潤んでいるのは香魚子自身にもわかった。
(…明石さんの字……読みやすい…なんとなく、明石さんらしい字…)
香魚子は明石の審査用紙を大切に手帳のポケットにしまった。
その日ランチから戻った香魚子は、会社のエレベーターに乗ろうとしていた。ピーコック社は8階建ての自社ビルだ。
エレベーターホールでボーッとしていると、後ろから声をかけられた。
「おつかれ。」
その声に、また心臓が小さく跳ねる。
「お、おつかれさまです!」
「レターセット、残念だったね。」
「え、あ、はい…でも、明石さんの審査用紙でたくさん褒めてくださってたので、嬉しかったのと…ちょっと報われた気がしました。満点ありがとうございました。」
香魚子はにこっと微笑んだ。
「あのプレゼン資料作るの大変だったんじゃない?」
「あ、えーと…あんまり残業するなって言われてるので、資料集めとかは家でもやっちゃって…ちょっと徹夜とかも…」
香魚子は“えへへ…”と答えづらそうに答えた。
「徹夜か。完璧な資料だったもんな。…でもこの会社じゃ…」
明石が何かを言いかけたのと同時にエレベーターが到着したので二人で乗り込んだ。
営業部は4階、デザイン部は6階だ。
「ミルフルールのデザイン、データは無理かもしれないけど、ラフスケッチとかコンセプトのメモは絶対に捨てないで取っておいてよ。」
「え?…はい。…?」
明石がそんなことを言う理由がよくわからないが、従うことにして小さく頷いた。
「じゃあ…」
そう言って明石が右手の小指を差し出したので、香魚子もつられて小指を差し出した。
「約束。」
指切りをし終えたタイミングで4階に到着し、明石は降りていった。
エレベーターに残された香魚子の顔は耳まで真っ赤になり、心臓は今まで経験したことのないリズムを刻んでいた。
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