第46話 Full Moon-2

あの日、山尾医院で再会した瞬間の恵の眼差しには、山尾が見たことの無いキラキラしい感情が滲んでいた。


憧れや、理想や、夢や希望、そんな眩しいものがすべてそこにあった。


「・・・・・・・・・先輩」


ディスプレイからこちらを振り向いた恵が、真剣な表情でこちらを見上げて来る。


訊くべきじゃなかったかな、と瞬時に後悔した。


今の彼女の気持ちが、こちらに向いていることは分かっているけれど、懐かしい過去にはどうしたって勝てないのだ。


それは、早苗の夫である井上颯太が、結婚してすぐに男同士の飲み会で零した弱音だった。


素敵な未来をどれだけ描いたって、一番心が柔らかい時に刻まれた記憶はどこまでも眩しく光ってついて来る。


それが尊ければ尊いだけ、追い抜く事も、消し去ることも出来ない。


それら全部承知の上で藤野早苗を引き受けてくれた彼に、残された幼馴染たちは心から感謝していたし、期待もしていた。


彼にとっては大きすぎる期待だったとも思う。


けれど、ゆっくりと時間を掛けて颯太は自分の居場所を早苗の中に作っていった。


いまや誰も入り込めない強固な城になったそこでは、可愛い二人の子供がすくすくと育っている。


生きてる人間相手でもこれだけ厄介だと思うのに、本当にあの人には頭が下がる。


「うん?」


どうにか返した返事は、掠れていた。


「私、朝長くんも、長谷さんも、先輩も同じだけ好きでしたし、ずうっと見てました」


「・・・・・・・・・俺も込みなの?」


「そうですよ。私の高校時代は、その三人なしには成立しないんです」


どうして何の接点もない自分もそこに含まれているのか不思議で仕方ないが、問い返せる雰囲気では無かった。


ひとまず過去については納得した事にする。


「・・・えっ・・・・・・と・・・じゃあ、いまは?あれほど俺に長谷さん推してたけど、あれはもういいの?俺は恵がいいし、長谷さんも、朝長くんがいいみたいだけど、そこは納得出来たの?」


彼女の目に、山尾と愛果がどんな風に映っていたのかは謎だが、少なくともこちらには最初から最後までそのつもりなんて無かったし、彼女からアプローチされた記憶も無かった。


当然告白なんて言わずもがなである。


山尾にしてみれば、恵のなかでだけ展開していた二人の物語が無事に消え去ってくれたのならそれに越したことはない。


これを機にもう二度と、恵が余計なことを言い出さないうちに、二人の未来を確定させてしまいたい。


山尾の言葉に、恵は視線を揺らしてから、けれどはっきりと頷いてくれた。


「いまは・・・・・・朝長くんと長谷さんの幸せを、誰より強く願ってます」


彼女の懸念事項が無くなったのなら何よりだ。


「うん・・・・・・それも分かった・・・じゃあ、俺の幸せは?」


逃げるように後ずさる彼女の相変わらず細い手首を捕まえて、軽く引き寄せる。


恵はすかさずしまった、という顔になったが知らん顔した。


誰に縋ればよいのか分からないという顔の恵をそのまま待つこと数十秒。


「・・・・・・前向きに・・・・・・・・・検討中です」


突っぱねられる可能性もほんの僅かに残していた山尾の予想は、いい意味で裏切られた。


瞬きをして視線を合わせれば、すぐ目の前で恵が頬を真っ赤に染めている。


酒精に侵されていない彼女をこんな風に赤くさせるのは初めてかもしれない。


いい物を見れたとほくそ笑みつつ、駄目押しをひとつ。


「俺のことは、恵にしか幸せに出来ないよ」


「他力本願過ぎません!?」


ぎょっとなった恵が、手を振りほどこうと試みるけれど、それはさせない。


ちゃんと力加減はしつつ絶対にほどけない強さで掴まえておく。


恵のペースで進みつつ、たまには刺激があってもいいだろう。


物語には起承転結が必要なのだから。


「地元住民の健康を全力で守ってる俺に、一つくらいいいことがあっても良くない?」


真面目に地域医療に従事して、堅実な診療を続けている医師にも充実したプライベートは必要だ。


「・・・・・・いいことって・・・・・・私が?」


胡乱な眼差しを向けて来る彼女の指先を持ち上げて爪の先にキスを落とした。


「他に誰がいるの?」


少なくとも、彼女と結婚したいと考えるようになってからの毎日は、幸せに満ちている。


ずっと目先の事だけに囚われて来た山尾に、未来という二文字を抱かせた彼女の存在は何よりも大きかった。


ようやく、身の回りに心配の種が無くなったことも大きな理由ではある。


幼馴染たちが綺麗に片付いて、それぞれの幸せを掴んだいまだから、やっと自分自身の事に向き合う事が出来たのだ。


「恵が気に入った食器、二つ買って帰ろう」


「二つ・・・?」


訝しげに眉を寄せる恵の指を軽く叩いて、なんで分からないのと笑み崩れる。


「もうすぐ二人で使うだろ?」

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