第45話 Full Moon-1

「なんか機嫌悪くありません?先輩」


ブランド食器のコーナーをきょろきょろしながら、恵が探るようにこちらを振り向く。


いつも通りのつもりでいたのに、顔に出ていたのだろうか。


恵の側では一層気が緩むようになっているようだ。


「機嫌悪くないよ。それよりちゃんと前見て、危ないから」


「見てますよー。あ、これとかどうですか?ハートのマグカップ、いかにも新婚さんって感じ」


お祝いには持って来いですよね!と嬉しそうに答える彼女の楽しそうな表情といったら無い。


「・・・・・・恵、それ自分が使える?」


「え!?絶対使わないです。お蔵入りです」


「じゃあ、もうちょっと実用的なやつ選んで。自分が貰って困らないやつ」


「えええー・・・じゃあ、もうちょっとシンプルなデザインで・・・」


指摘を受けて、ディスプレイに向き直った恵の横顔は穏やかでご機嫌そのものだ。


どうにも腑に落ちない。


仕事帰りの愛果を食事に連れ出すために、病院まで迎えに来ていた朝長と再会した時の恵の喜びようと言ったら無かった。


あの日、山尾家にいつも通り夕飯を食べにやって来た恵は、懐かしそうに聞いてもいないクラスメイトの彼の事をペラペラと喋り始めた。


サッカー部で物凄く人気があったこと、気さくな人柄で男女問わず友達が多かったこと、いつも愛果と揃ってクラス委員に任命されていたこと。


そこまで聞いた時に、昔、彼女が定例会でしきりに視線を向けていた相手は彼だったのかと納得して、ああやっぱりあの頃の恵はかけらも自分に気が無かったのかと、少しだけ気落ちした。


上手く距離を詰めて、恵の気持ちを確実に手繰り寄せられていると感じ始めた矢先の当て馬の登場に、気色ばんだのは一瞬のこと。


彼の目的は、最初から長谷愛果で、恵のほうには見向きもしていなかった。


純粋にクラスメイトとの再会を喜んでいる彼の表情に嘘は見つからなかった。


あの頃の恋心が甦ってうっとりしているなら癪だなと、濃いめのハイボールを用意し始めた山尾に向かって、頬を染めたまま恵はこう言ったのだ。


『すっっっごくお似合いですよね、あの二人!!!!』


悔しがるでもなく、寂しがるでもなく、純粋な喜びに溢れたその表情を見た時に、真っ先に浮かんだ感情は、え、なんで?


少なくともあの頃の恵は、朝長に惹かれていたはずで、そうなれば愛果と仲が良くなかったというのも頷ける。


それなのに、今現在の恵は、愛果と朝長をまるで理想のカップルのように語って見せるのだ。


吹っ切れたと思っていいのか、吹っ切ったふりをしているのか、さあどっちだ?


ぐるぐる回る思考回路は結論を導き出せないまま時間だけが過ぎて行き、月末のレセプトが終わって、毎月の慰労会の最中に、改まった口調で愛果から、結婚します、と告げられた。


いきなりすぎる報告である。


まさかと思って尋ねれば、先月ここにやって来た朝長との結婚が決まったと報告されて、余りの急展開に驚いた。


恵の返す反応に不安になりながらも、黙っているわけにもいかず、ほろ酔いの彼女に、二人が結婚することを会話のついでにさらりと告げると、なんと恵は号泣した。


それも、嬉し泣きだった。


こんなに幸せなことはないとまるで自分のことのようにわんわん泣いて、あれほど山尾に愛果を勧めて来たのが嘘のように、朝長と愛果を祝福しまくった。


そして、医院全員からのお祝いとは別に、雇用主からの結婚祝いを用意したいと相談したら、恵は喜んで買い物に付き合ってくれた。


今日も変わらず彼女の機嫌は絶好調だ。


間違いなく自分のほうが先に恵にプロポーズして、彼女を口説き始めたはずなのに。


聞いた話によると、お見合いで偶然再会して、すぐに結婚を決めたという朝長夫妻の交際期間は二か月弱の超スピード婚。


こちらが恵のペースに合わせてんびり歩いているうちに、猛スピードで追い抜かれたことになる。


結婚を急ぐつもりなんて無かったけれど、やっぱりどうも腑に落ちない。


だからそういう顔になるのだ。


折角の二人きりのデートにもかかわらず。


それでも恵相手に今更焦ってもしょうがないし、残りの期限一か月の間に彼女の踏ん切りがつかなければ強硬手段に出る許可も、姉の玲子からは取っている。


だから、どうにか穏やかに過ごせているのだけれど。


時折湧いて来る苛立ちが、恵には伝わってしまっていたようだ。


本音を言えば、他所のカップルの結婚祝いを選ぶより先に、新生活で二人で使う食器を選んで欲しいところだ。


「朝長くん、コーヒー好きなんですよねー」


「・・・よく覚えてるね」


「毎日食堂の前の自販機で買ってたの見てたんです。長谷さんは、大抵カフェオレで」


「・・・・・・なんで長谷さんもセットで覚えてるの?」


普通は好きな相手のことだけ見ているものではないだろうか。


「あの二人いっつも一緒に居たんですよ、だから自然と」


どうしても目立つ二人だから目で追っちゃうんですよねぇと照れ笑いする彼女の表情には、憂いひとつ見当たらない。


彼女がどの立場から二人を見ていたのか疑問が浮かんでくる。


「恵は、それを見て切なくなったの?」


意地悪な質問を敢えて投げたのは、反応が知りたかったからだ。


いまだに彼女の口から結婚への前向きな言葉ひとつ導き出せていないことへの葛藤もあった。


「え、切なく?どうしてですか?」


「どうしてって・・・・・・恵は、朝長くんが好きだったんじゃないの?」


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