第47話 Waning Gibbou-1
それは恵にとっては突然の、山尾にとっては待ちに待った出来事だった。
この辺りに昔から住む住民のほとんどは、インターホンを利用しない。
昔ながらの日本家屋の引き戸をガラガラ開けながら、ごめんくださーい、というのが常だ。
インターホンを鳴らすのは、宅配便とセールスマンのみである。
防犯とは無縁の平和な港町ではそれが一般的だ。
すっかり春めいて来たのどかな日曜の昼下がり、山尾家のインターホンが鳴った時には、てっきり小豆島移住した両親からの荷物が届いたのだと思った。
ちょうど数日前に、野菜と特産品を詰め込んで送っておくから、ご近所さんにもお配りしてねと連絡が来たばかりだったのだ。
土曜の夜は、こちらに帰省していた大の呼びかけで、ガンと三人で久しぶりに飲んだ。
この面子で飲むとなると、決まって場所は山尾家になる。
兄一家と両親が暮らしている窪塚家は手狭だし、すでに大の部屋は無い。
岩谷家には売り物の酒が大量にあるが、三人が揃うと必然的に華南と早苗も顔を出して来るので男同士の込み入った話は出来ない。
その為、両親不在の優雅な独身生活を送っている山尾家が決まって飲み会の会場になっていた。
結局明け方まで昔話と近況報告をしながらダラダラ飲んで、二人が帰った後でシャワーだけ浴びて食器類はそのままでベッドにもぐりこんだ。
医師会までに目を通しておきたい資料がいくつかあったので、起きたら手を付けようとその後のスケジュールを組み立てているうちに心地よい微睡に包まれて、気づいたらとっくにお昼を過ぎていた。
久しぶりに怠惰な休日を過ごすことになりそうだった。
そうしてアラームを掛けずに眠りについて、インターホンの音で目を覚まして、自室から玄関へと向かう。
靴箱の上のシャチハタを掴もうとして、引き戸のすりガラスに映っている影が、配達員のそれではないことに気づいた。
どう見ても女性のシルエットだったのだ。
華南か早苗が差し入れを持って来たのなら、勝手に引き戸を開けて入ってくるはずだ。
万一玄関の鍵がかかっていたら、縁側を確かめて勝手口に回ってどうにかして家の中に入ろうとするのが幼馴染である。
呼ばない限り山尾家を訪れることのない待ち人の顔を一瞬脳裏に思い描いて、いや、無いかと期待を打ち消す。
仕事場は目の前で、所在確認の必要が無い山尾なのでいつでもおいでと恵には伝えてあるけれど、お夕飯のおよばれと、玲子の姉妹喧嘩以外で彼女が自らこの家に来たことは残念ながら一度もなかった。
「はーい・・・どちら様・・・・・・・・・」
サンダルを履いて上り口に降りて、ゆっくりと引き戸を開けたところで、完全に意識が覚醒した。
目の前に待ち人が困り顔で立っていた。
「あれ?・・・・・・恵」
記憶には無いが、酔った勢いで彼女に連絡を入れてしまったのだろうか。
休日を一緒に過ごしたいなと思った記憶は確かにある。
律儀な恵のことだから、メッセージを真に受けてやってきたのかもしれない。
リビングの惨状は隠しようがないが、こういう予期せぬ訪問はいつでも大歓迎だ。
いらっしゃい、と笑顔を浮かべようとして、違和感に気づいた。
恵のほうはいつものようにこんにちは、お邪魔します、と口を開く雰囲気ではない。
「なにかあった?」
また玲子と喧嘩でもしたのだろうか。
一瞬不安になった山尾に向かって、恵がしょげた眼差しを向けてくる。
「・・・・・・・・・先輩」
「うん?」
「私、家を追い出されそうです」
心底困った表情で告げられた台詞に、一瞬ん?となってすぐに我に返った。
呆けている場合ではない。
「・・・・・・・・・・・・ああ、そのことか」
ようやく合点が行った。
時期的にも、そろそろ強硬手段に出ようかと思っていたところだったのだ。
あと数日で四月になろうかという年度末。
山尾が玲子から示された猶予期限の春はもうやって来ていた。
こちらが先に動く前にしびれを切らした玲子が強硬手段に出たらしい。
まあ、遅かれ早かれそうなるとは思っていた。
「半分は先輩のせいですからね!?」
全く動揺しない山尾に向かって、恵が眦をつり上げる。
「半分って、何・・・・・・もう全部俺のせいでいいよ。それよりなんでインターホン鳴らしたの?いつもみたい上がってきたら良かったのに」
はいどうぞと彼女の背中を玄関の中に押しやって、引き戸を閉める。
と、恵が改まった口調で切り出した。
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