第37話 New Moon-2
「座り心地が良かったソファーどれ?」
恵の実家に設置するにはちょっと大きすぎる三人掛けを視線で示して山尾が問いかけた。
重厚な革張りのソファーや、カジュアルな木目調のソファー、固めのスプリング、沈み込むようなスプリング、とさまざまだ。
これまで試してきた動線を振り返って、恵はクラシックモダンな温かみのあるベージュのソファーを指さした。
「あのソファー、座面も広くて座り心地も良かったですよ。医院のロッカールームには大きすぎます?」
従業員たちの休憩スペース兼ロッカールームになっている部屋のソファーを新調したいので、一緒に見に言って欲しいと言われたときには、看護師さん達を連れて行くべきでは、と思ったが、逆に気を遣われると困るから、女性目線で一番気に入るものを教えて欲しいと言われた。
それならばと俄然やる気になった恵は、フロアの隅から隅まで歩き回って、座り心地やソファーの手触りを思う存分確かめた。
確かに、大型インテリアショップに連れて来られて、好みのものをと言われてもベテラン看護師の森井でも無い限り、値段を見てから商品を選びそうだ。
こういう気遣いも含めて、何とも従業員思いの雇用主である。
常駐看護師の森井の他に、時短勤務の看護師が一名と、愛果以外に掛け持ちでシフトに入っている受付助手が一名いるが、みな大人しくて自己主張の少ない女性ばかりなのだ。
自分のためと言われたら当然尻込みしてしまうが、よく知る山尾医院の従業員のためと言われれば人肌でも二肌でも脱ぎたくなる。
「いや、場所は大丈夫。スペースは十分あるから。じゃあ、あれにしようかな」
頷いた山尾が、近くに立っている係員に声を掛けた。
「皆さん喜ばれますねー」
「・・・・・・・・・そうだね」
すいと視線を逸らした山尾が、配送日についての相談をし始める。
側に居ても邪魔になるだろうとフロアの中をぶらつくことにした。
目的の品はソファーだったので、その一角だけを見て回っていたがこの階には他にもダイニングテーブルや、テレビボードなど、リビングスペースを彩る家具が沢山置いてある。
自室に置く置くは出来なくても、こうして見ているだけでも色んなアイデアが浮かんでくるものだ。
あの赤いスツールはお洒落なデザイナーズマンションに住むキャリア志向のOLさんが持っていそう。
あっちのテレビボードは、飾り棚が沢山あるから、子だくさんの家族にお勧めかもしれない。
白のシンプルなダイニングテーブルのセットは、新婚夫婦にはぴったりだ。
家具を選ぶタイミングは人それぞれだろうけれど、新しい何かを選ぶ事で新しい一歩がそこから始まる。
山尾は、大きく何かを変えるつもりはないと言った。
今の生活の中に、恵の居場所を増やせばいいと。
あれは彼の本心なんだろうか、それとも、臆病者の恵への優しさなんだろうか。
色が選べるコンパクトな一人掛けの北欧風のソファーの前で佇んでいると、手配を終えた山尾が戻って来た。
そういえば、一切値段を見ずにお勧めしてしまったが問題なかったのだろうか。
「先輩、あれ、すっごく高かったり・・・・・・」
「ん?値段は気にしなくていいよ。必要経費だから」
「あ・・・そっか。そうですよね」
涼川歯科医院も、会計事務所の先生に経費処理をお願いして上手くやりくりしている。
「欲しいものってなかなか見つからないから、恵が来てくれて良かったよ。他に気になるものある?ソファー、欲しいの?」
ダークグレー、アイボリー、オリーブグリーン、ダークブラウンの四色展開の一人掛けソファーを見下ろした山尾が、これならどこでも置けそうだなと呟く。
「ううん。大丈夫です。私の部屋それでなくても物で溢れてるし」
「涼川先輩が、恵はいつまでも学生時代の教科書を棄てないってぼやいてたな」
「・・・一応、資料になるかもしれないと思って、取ってるんですけど・・・あ、さすがに高校三年間の全部は残してませんよ。床が抜けるってお母さんにも言われたし」
学園ものでデビューしたので、しばらくはその路線を続けるつもりで一通りの教科書を残していたのだが、残念ながら陽の目を浴びることは無かった。
未だにあの一度きりの奇跡に縋っているのかもしれない。
恐らく覚えている読者の方が少ないだろう三角関係の物語を10年以上引き摺って、代わり映えのしないあの部屋に色んな思い出を閉じ込めて。
沈みそうになった意識を山尾の柔らかい声が引っ張り上げてくれた。
「物持ちが良くて何よりだよ。早めの夕飯食べに行こうか」
「え、いいんですか?」
「勿論。付き合わせたのこっちだし。夕飯くらい食べないとデートにならないだろ」
さらりと言った山尾が、いつもは総菜だから今日は別の物にしようかと頬を緩める。
久しぶりに聞いたデートの単語に、ドキンと心臓が音を立てた。
申し訳ないと思うよりも先に、弾んだ心に動揺した。
「取り寄せになるらしいから、ソファー届いたら見においで」
穏やかに笑った彼が手招きする。
ああ、いまこの人の視線の先には私しかいないんだ。
違う、と否定するのに数十秒を要した。
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