第38話 Waxing Crescent-1

「え、なんで!?」


山尾家のリビングの前で、予想通り立ち尽くした恵が素っ頓狂な声を上げた。


この反応は想定内である。


このほかにも、嘘でしょ!?というのと、無言パターンも想定していた。


混乱中の彼女を横目にテーブルの上に本日の夕飯を次々に並べて行く。


生麩田楽に、ひじきの炒め煮、八宝菜に白和え。


どれも恵の好物ばかりだ。


山尾自身も洋食よりは和食のほうが好きなので、食の好みが合うところも嬉しい。


最近では一人の夜もつい恵の好きなものばかり選ぶようになった。


彼女を夕飯に招くようになってから、恵が好んで口にしたメニューを記憶して早苗と華南に報告する癖がついた。


幼馴染で唯一残った独身で、もうこのまま一生独り身を貫くのではと本気で心配されていた山尾が、意中の相手がいること、彼女とどうにか結婚したいこと伝えると、早苗たちは泣いて喜んでくれた。


周りの心配ばかりしていつも自分を後回しにしていた山尾のことを、彼らなりにずっと気にかけてくれていたのだ。


恵が高校の後輩であること、彼女はほとんど料理をしないこと、涼川歯科医院の次女で基本テレワークで自宅で過ごしている事をかいつまんで説明して、自宅で恵と夕飯を食べる機会を増やしたと伝えた翌日には、大量の差し入れが届けられた。


この調子だと、結婚後も食べる物には困りそうにない。


誰かの痛みは分け合って、誰かの喜びはみんなで倍にして。


そんなことが当たり前になっている地元ならではの幼馴染たちの気遣いは、照れくさくて嬉しかった。


こんな風に山尾が自分の気持ちや、自分の恋心を吐露したことはなかった。


いつも自分以外の誰かの気持ちを尋ねる事ばかりして来た。


だから、ちゃんと自分の気持ちを口にした瞬間は緊張で手のひらが震えた。


仕事ではあんなに明瞭に病名の説明が出来るのに。


恵に言った言葉に嘘は無くて、彼女が本当にこの家で生活を始めてくれたら早々に料理を始めたいとも思っている。


結婚後の夫婦生活の充実を図るのは、言いだしっぺのこちらの役目だ。


姉妹喧嘩で頬を打たれて以来、暫く禁酒していた恵も、今ではすっかり宅飲みが復活していて、山尾に向けた警戒心も徐々に緩んで行った。


警戒したところで無駄だと気づいたのかもしれない。


こちらとしては素面の時より数倍隙だらけなので有難い限りだが、言えばまた禁酒されそうなので賢明に口を閉ざしている。


適当に選んだミュアヘッズのボトルとソーダのペットボトルを手に二往復したキッチンから戻って来て、立ちっぱなしの彼女のこめかみにキスを一つ。


「今日やっと届いたんだよ」


リビングの真ん中に設置されていた古いソファーは姿を消して、代わりに登場したのは数週間前恵に選んで貰った三人掛けの大きめのソファーだ。


いつもの悲鳴が上がらなかったのは、彼女が慣れたせいもあるが、それよりもソファーが山尾家のリビングにある衝撃の方が大きかったせいだろう。


いつもはカールの上にそのまま腰を下ろすが折角なので、ソファーの座面を叩いて恵を手招きする。


彼女が抜群の座り心地だと嬉しそうに語っていた通り、身体全体を包み込んでくれるスプリングはうっかりすると眠気が襲ってきそうだ。


「え、だって、医院のロッカールームに置くって・・・・・・あれ、嘘!?」


信じられないという顔で見返されて、浮かんだ罪悪感を三秒でかき消した。


「意外と大きくて、二階に上げられなくて。ほら、恵も気に入ってたし、それならうちで置こうと思って」


ということにしておく。


ロッカールームのソファーは昨年新調したばかりなので、森井あたりに確認を入れればすぐばれるが、まあ問題ないだろう。


「先輩、最初からこのつもりだったでしょ!?」


「ちょっとでも居心地がいい方が嬉しいなと思って、俺が」


「ほら、そう怒らないで、今日も恵の好きなものばっかりだから。ご飯にしよう」


これは酔わせた方が良さそうだと踏んで、先にボトルを開けていつもより濃いめのハイボールを用意する。


「私、ほんっとに値段見てないんですよ!だって経費だって思ったから」


「俺がそう言ったからね」


マドラーでかき混ぜたグラスを恵に渡して、お馴染みの缶ビールを開けて軽く合わせる。


ほら飲んで、と促せばきゅっと眉根を寄せた彼女が勢いよくハイボールを煽った。


まるで呑まなきゃやっていられないという風に見えないでもないが、気づかない振りをする。


もう少し喜んでくれるかと思ったのに。


まあ、彼女の性格を考えれば無理もない。


誰かに何かを贈られるなんて初めてのことだろうから。


こういう戸惑いもひっくるめて独り占めということで自分を納得させておく。


「ええええ・・・どうしよ・・・ぜったいすごく高いソファーでしたよね・・・これ・・・・・・」


まあ安くはない買い物ではあった。


が、ソファー一つで彼女がより一層この家に居着いてくれるな安い出費である。


有難いことに山尾医院は経営状況も良好で、使い道の無い貯蓄額は増えていく一方なので。


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