第23話 Harvest Moon-2
ここ最近のハイボールは、いつも薄めだ。
いい歳の大人が二人きりで宅飲みしていて、酔った勢いでついそういう雰囲気に、という心配をしているわけではない。
ここに来ても山尾への信頼感は少しも揺らいではいないのだ。
問題なのは、恵自身のほうである。
言葉巧みに彼の口車に載せられて、ほろ酔いの頭でうっかりプロポーズに是と返事をしてしまいそうになるのだ。
危ない危ないとハイボールで喉を潤わせて、手元に視線を戻してから答える。
「先輩が料理するようになったら、時々およばれします」
先輩と後輩の模範解答を導き出した思考回路にグッジョブと信号を送りつつ、有難く糸こんにゃくのピリ辛炒めを口に運ぶ。
唐辛子が程よく効いた甘辛い味付けはとにかくお酒が進む。
大鍋で大量に作っているそうなので、尚更美味しいのかもしれない。
「そのまま餌付けされてくれればいいのに」
残念と肩を竦めた山尾が楽しそうにビール缶を傾けた。
「いや、されてますけど・・・あ、じゃなくて、されませんからね」
・・・・
ひと月前のあの夜、彼は恵に言った。
『春まで待つから、ちゃんと考えて』
どうして約半年の猶予期限があるのか首を傾げた恵に、半年もあれば自分の人となりは十分伝わるだろうし、恵も絆されてくれるはずだから、と山尾は悪びれることなく答えた。
あの夜二人の間で取り交わされた約束は。
スマホの電源をすぐにオンにすること。
用事がある時以外は山尾からの誘いを断らないこと。
先輩と後輩じゃない立ち位置で、お互いを見ること。
・・・・・
「俺が餌付けしたい相手がいるって言ったら、うちの幼馴染たち諸手を上げて協力を申し出てくれたよ。だから、夕飯のメニューは期待してくれていいよ」
大きめの冷蔵庫置いて行ってくれて良かったよと微笑む山尾の表情は、白衣を着ているときよりもずっと柔らかい。
彼の隣に寄り添いたいと願う女性はほかにいくらだっているだろうに。
「あのう、先輩・・・こないだも言いましたけど、結婚したいなら本気で長谷さん、考えてみたらどうですか?」
どうしたって一番に頭を過るのは大人になった魅力的なヒロインだ。
華奢な童顔で学年中の人気を欲しいままにていた頃から十数年、大人の色気と魅惑的なボディを手に入れた長谷愛果は、さらに最強になっていた。
みんなのアイドルを卒業してもなお、魅力を振りまき続けるなんて、なんとも憎らしいヒロインである。
こんな片田舎にしまい込んでおくのはもったいないと勝手に妄想を膨らませて行く恵の隣で、ビール缶をテーブルに戻した山尾が、あのねと苦い顔になった。
「それ、こないだも言ったよね?俺は長谷さんのことはなんとも思ってないよ。恵と結婚したいって言ってる」
「いや、でも現実的に考えてみましょうよ。そりゃあ私は気心知れた後輩ですけどね、長谷さんと結婚したら、ほら、もっとこう素敵な結婚生活が送れると思いません?家に帰ったらあんな色っぽい奥さんが待ってるんですよ?男冥利に尽きるでしょう?」
当時恵が描いたのは、高3の卒業式までの愛果と朝長だ。
これからも一緒に居ようと手を繋いで校門を抜ける二人の姿がラストシーンだった。
大人になった愛果には幸いこうして再会できたので、人妻な彼女も容易に想像できるが、残念ながら卒業後の朝長のことを知らないので、旦那様になった彼は思い描けない。
けれど、大人になった山尾はこうして目の前に居る。
愛果と並べてもお似合い以外の言葉が見つからないくらい、素敵なカップルなのだ。
力説する恵に、山尾がげんなりとした顔で眉根を寄せた。
「長谷さんをそういう目で見たことないよ。真面目ないい子だとは思うけど・・・そもそも恵はなんで俺じゃ駄目なわけ?」
「その設定は最初から存在してないからです」
秒で答えが口から出た。
だって本当にその通りなのだ。
恵が描いた青春恋愛小説の延長線上にあるのが、もし今の世界なのだとしたら、最初から恵の居場所はどこにもない。
物語を見守り綴る神様ポジション、もしくはモブの住民Aでおしまいだ。
ストーリー展開には少しも絡んでこないし、当然メインキャラクターと口を聞く事も無い。
だって名前すら存在しないんだから。
「・・・なんでも小説の設定に置きかけるのやめない?」
「そ、それが一番分かりやすいから・・・とにかく、私は長谷さんをお勧めします」
「・・・じゃあ、俺は自分を恵にお勧めするよ。それならいい?」
論点をすり替えて来た山尾をジト目でねめつける。
「・・・・・・・・・私は、先輩に素敵な結婚生活をプレゼント出来ないと思いますけど」
だって名前のないモブには過去も現在も未来もないのだから。
「恵から何か貰おうとは思ってないから、そこは心配しなくていいよ。俺からあげたいだけ」
不意打ちで投下された爆弾に、不覚にもキュンと来た。
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