第24話 moon phase 15
祖父の法要で久しぶりに休暇を取って自宅に戻ることになり、地元の駅に降り立った途端、足取りが重たくなった。
仕事を詰め込んでいればそのうち忘れられると思っていたし、そうするべきだと思っていた。
引きずったところで戻れるはずもない。
今の自分には、目の前の日常をやり繰りすることで精一杯だった。
そして、彼女は穏やかにそれらすべてを受け止めながら、ずっとその先の未来を思い描いていた。
違う視点で足並みだけ揃えて和やかに過ごした日々は、山尾にとっては癒しそのもので、それで十分だった。
今となっては、あまりにも彼女を省みることが出来ていなかった自分の不甲斐なさに嫌気がさす。
あの関係は、どちらにしてもいつかは破綻することになっていたのだ。
そう納得するよりほかにない。
真っ直ぐ家に帰るのが嫌になって、地元唯一の逃げ場所である
両親と顔を合わせるのは明日の朝で十分だろう。
一人で軽く飲んでから帰ろうと思って、懐かしい引き戸を開けて暖簾をくぐったら、店長の岡本と一緒にカウンター席の端に腰を下ろしていた恵がこちらを振り向いた。
「いらっしゃいませーっ・・・って、お!」
「あ・・・・・・・・・山尾先輩・・・・・・」
その顔はあ、ではなくて、げ、だ。
ここで会うなんて思ってなかった、気まずい、どうしよう、とその顔に書いてある。
恵が姉と同じ道を選ばなかったのは正解だ。
こんなにわかりやすく感情の全てを顔に出されたら、患者は間違いなく不安になる。
「こんばんは。久しぶり」
いつも通り笑みを浮かべて、恵の隣の席に腰を下ろす。
わざわざこうして顔を合わせたのに違う場所に座る事の方が不自然だ。
「ほんっとに久しぶりですね・・・・・・元気でした?・・・・・・あ、いえ、あの・・・・・・お疲れ様です」
数か月振りに顔を合わせた恵が、頬を引きつらせて慌てて手元のグラスに視線を戻す。
”元気でした?”は聞いちゃいけないと思ったらしい。
ああ、やっぱりもう耳に入っているのかと小さく息を吐く。
そういえば、彼女の母親は山尾医院に定期的に通院している。
ベテランの看護師が急に辞めたと知ったら、間違いなく娘にそれを話すだろう。
そして、恵も玲子も、山尾がその看護師と交際していたことを知っている。
破局→退職の図は秒で浮かんだことだろう。
別に隠すつもりもなかったけれど。
それでも、こんな顔をされるくらいなら、知られたくなかったな・・・・・・・・・
「そのしまったーって顔、やめようか。もう終わった事だし、気にしてないよ。岡本さん、ビール貰えます?」
「はいよー。恵ちゃん、おしぼりよろしくねー」
「はーい・・・・・・逆に気を遣わせてすみませんでしたー」
頷いた恵が、すぐ隣のおしぼりボックスからおしぼりを取り出して山尾に渡す。
もうすっかり馴染んだ、常連客は出来ることは自分で、のパターンだ。
おつまみ三種盛りが届いて、相変わらずぎこちない恵と乾杯する。
「当分向こうで生活すると思ってました」
「まあ、こっちは身内同然の人間ばっかりだからね、どうしても気まずさはあるよな」
ガンや華南、早苗たちからはメッセージと着信が矢のように届いた。
忙しいだろうからと気遣って連絡を控えている知世ですら、何かあったら相談してねとメッセージを送って来たくらいだ。
山尾がどれくらい彼女と過ごした時間に癒されていたのか間近で見てきた幼馴染は勿論のこと、飲み会の連絡しか寄越さない恵ですら梢の表情なのだから、交際中の自分はよほど腑抜けた顔をしていたに違いない。
実際フェローの後半は、彼女の支えがあったから乗り越えられたようなものだった。
人生で初めて誰かに甘えることを覚えて、自分を甘やかすことを教えてもらった数年間だった。
割り切った口調で答えた事が意外だったようで、恵が頬杖を突いてこちらに身を寄せて来た。
「そんな顔してるわりには他人事ですね・・・」
「・・・いや、仕事が忙しいせいだから。最近は大体いつもこんなだよ」
教授のサポートをしながら日々の業務もこなし、学会に向けた資料作成と論文集めであっという間に一日は終わる。
父親の引退はもう決定しているので、それまでに出来るだけ多くの経験を積んでおきたかった。
父親が30年以上守って来たあの医院を、自分が台無しにするわけにはいかない。
山尾先生の息子、だからではなくて、後を継いだ山尾自身を信頼して貰えるように。
「こんな時に愛想笑いなんてしなくていいんですよ」
「さっき必死に作り笑いしてた恵がそれ言うの?」
「私も最初は取り繕って上っ面で適当に世間話しようかと思いましたけど・・・・・・時間の無駄だなと思って・・・・・・するなら、ちゃんと話したいなって。あ、別にネタにしませんからね。後輩の一人として、お世話になっている先輩の力になれたらと」
ここ数年どんどん遠慮が無くなって行った恵は、高校の頃の数倍喋るようになった。
とはいっても未だに華南や早苗の半分程度だけれど。
不思議とどれだけ口煩く言われても、恵の零す小言なら苦にならないのだ。
「・・・・・・・・・ありがとう。仕事どう?短編小説書いてるんだっけ?」
「書けたり、書けなかったりですねー・・・・・・でも、もう慌てるのやめたんで。家がある限りこれでいいかなって」
「その方がいいね。恵、運動神経良くないし、走ったら転ぶよ」
未だに涼川医院の二階で家族と暮らしながら、歯科医院の受付を手伝いつつ細々と小説を書いて暮らしている彼女は、いつ会ってもこんな感じでブレない。
目まぐるしく変化する日常から振り落とされないように必死になっている山尾にとって、恵の側は不思議と居心地が良かった。
「なんかの本で読んだんですけどね・・・・・・この世界に偶然は存在しないんですって。誰かとの出会いも、別れも、全部なにもかも必然で起きてるんですって・・・・・・・・・だから、意味はあったんですよ。絶対に」
こちらが寄りかかるばかりで終わらせてしまったあの恋にも、必然があるというのなら、この痛みと後悔を糧に、次こそは誰かを幸せにしたいと思う。
そして、彼女には今度こそ幸せになって欲しいと心から思う。
あの別れの日から、ずっと鬱屈していた心が、初めて前向きになれた。
間違いなく、彼女のおかげだ。
「恵は、小説家向いてるよ」
彼女の綴る文章の魔法にかかってみたいと、そう思える。
山尾の言葉に瞬きを一つして、恵が照れたように相好を崩した。
「今日は私のフォローはいいんですってば」
彼女が初めて笑顔を向けてくれたことに、心底ほっとしている自分がいた。
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