第25話 moon phase 16
「二次会行かなくて良かったの?」
引出物の紙袋を手にした笑顔の参列者たちの流れに沿って、昨年オープンしたばかりの結婚式場から通りに向かいながら山尾が言った。
敷地の外に出たところで少しだけネクタイを緩めた彼の言葉に、恵はこくこく頷く。
チャペルでの結婚式が始まった頃はまだすっかり青空だったのに、披露宴を終えて出てくると、間もなく夕日が沈もうとしている。
前日から花嫁エステに向かう玲子の送り迎えをして、母親の着物の準備を手伝って、今朝は早朝から母親を着付け先の美容院に送って、玲子と一緒に式場入りしてあれこれサポートに徹していた恵の体力はもう限界突破していた。
普段は家族と患者さんと山尾たち生徒会メンバーくらいとしか顔を合わせない恵が、10年以上ぶりに会う親戚への挨拶回りやら、新郎新婦の同級生やら先輩やら後輩やらに笑顔でお酌をして回って、カメラマンを買って出て、控室に戻る玲子に付き添って最後の瞬間まで献身的にフォローに務めたのだ。
表情筋は今にも痙攣を起こしそうだし、気疲れで喋るのも億劫だ。
もう向こう5年くらい社交は不要かなと本気で思う。
玲子の大学時代の恩師である教授は父親の友人でもあるため、久しぶりの再会で盛り上がった父親は親戚への挨拶を母親に任せて、披露宴が終わるなりタクシーで友人共々歓楽街へ意気揚々と出掛けて行った。
残された母親は慣れた様子で親戚たちを引き連れて、予約済みの和食レストランへと向かった。
恵も来たら良いのにと言われたが、そんなところに顔を出そうものなら針の筵ならぬ極太針の筵になることは目に目ている。
どこまでも完璧な玲子は、大学時代に捕まえた歯科医志望の彼氏を入り婿として迎え入れて、夫婦で涼川歯科医院を盛り立てていくことが決まっている。
その点次女の恵はどうだ?
大学卒業後定職にも就かず、医院の手伝いをしながら未だに実家住まいのまま。
当然彼氏はおらず結婚の予定はないし、それどころか母親の付き添いの買い物以外で家から出るのはコンビニ、
なんならここ三か月ほど電車にもバスにも乗っていない。
そんな恵に素敵な出会いなんてあるはずもない。
それらの事柄を笑顔でネチネチ言われるのは、いくら事実でもご免である。
相変わらずたまに入って来る原稿料は雀の涙だし、実家暮らしでなかったら確実に野垂れ死にしているレベルの生活力の低さ。
焦ってもがく時代はとっくに過ぎたので、両親も玲子も、気のいい玲子の夫も、何も言わないし、言ってもどうしようもないと分かっているのだろう。
恵の腰の重さは筋金入りなのだ。
姉の玲子は石橋が石で出来ていなくとも、多少足元が危うくとも、好奇心に駆られて飛び込む度胸と、生き抜く運の強さを持っているが、恵は違う。
慎重に目の前の石橋を確かめて、叩きまくってなんならそのまま叩き壊してその場に居座るタイプだ。
姉の玲子がどーにもならない恵に、この二次会で同じ歯科医の独身を勧めようとしていることは分かっていた。
だから、挙式に参列してくれていた山尾と一緒に真っ直ぐ帰宅することにしたのだ。
「行ってもどうせ知らない歯科医とお姉ちゃんの同級生ばっかりだし・・・・・・これ以上は色々無理です」
出されたコース料理にはほとんど手を付けずに、妹として出来る限り姉の幸せに貢献したつもりだ。
これまで何一つ姉孝行してくることが出来なかったので、今日くらいはと思っていた。
玲子が無事にお婿さんを見つけてくれたおかげで、父親が建てた歯科医院はこのまま継続することが出来る。
その上、玲子にべた惚れの義兄は、涼川の両親を自分の親同然に慕ってくれており、恵のことも含めて喜んで面倒を見させてもらうと宣言してくれた。
いい歳して行かず後家でのらりくらりしている恵に、義兄が辛辣な言葉を吐いたことは一度もない。
まあ、あの玲子がそんな男を選ぶはずもなかったのだが。
それでも、両親の老後の不安が解消されたことは、お荷物同然の次女としてはかなり有難いことだった。
だから、貰った恩の何割かは今日返せたと思いたい。
ふうっと息を吐いたらさっそく右頬がひくひくした。
そんな恵を見下ろして、いつもより近い場所から山尾が笑う。
「・・・・・・ほんとよく頑張ってたと思うよ。お疲れお疲れ」
優しく背中を叩かれて、仕事が忙しいなか休みを取ってわざわざ挙式に駆けつけてくれた律儀な山尾への感謝で胸がいっぱいになった。
バツイチ子持ち看護師との破局を長く引き摺っていた山尾は、あれ以来誰とも付き合っていない。
数年経っても胸が痛むような恋をしたことの無い恵にとって、その傷は想像する事しかできないが、よほど尊いものだったのだろう。
作家の端くれとしては、そんな恋が出来る彼が、物凄く羨ましい。
「来てくれてありがとうございました。お姉ちゃんもめちゃくちゃ喜んでましたね」
「上手く休みが取れて良かったよ。参列しとかないと延々言われそうだったし」
軽口を叩いて笑う山尾の表情は穏やかで、ハレの日に呼んで良いものかと迷っていた気持ちが少しだけ軽くなった。
「・・・・・・いいお式だったよ・・・・・・玲子先輩じゃなくて、旦那さんが泣いてたのも印象的だった」
「ほんとお姉ちゃんにぴったりの相手でしょ・・・・・・飲み会で意気投合してそのまま持ち帰った相手ですよ、あれ」
これは初耳だったらしい。
山尾がひょいと眉を上げて目を丸くする。
披露宴では、友人を介した食事会で出会い、何度かデートを重ねと上手くぼやかされていたのだ。
「・・・・・・・・・玲子先輩ってほんと強運だな。涼川歯科医院も安泰だし。恵の心配事はもうなくなったな」
「ねー・・・・・・このまま静かーに穏やかーに年を取っていきたいです」
この先姉夫婦に子供が生まれたら子育てを手伝って、年老いた両親をサポートしながら地元で穏やかに過ごす人生が、今のところ恵に一番しっくり来ている。
「玲子先輩は、恵に歯科医と結婚して欲しかったみたいだけど?」
「私が歯科医と付き合って上手くいくと思います?今日の一日でへばってるのに・・・」
「まあ・・・・・・ちょっと難しいかな・・・」
苦笑いを零した山尾に、つい気が緩んで話を振ってしまった。
「それより先輩はどうなんですか?そろそろお父さんからせっつかれてるんじゃありません?ゆくゆくは山尾医院に戻るわけだし」
あの日以来、恵は極力山尾医院の話も、山尾自身の将来の話もしないように心がけて来た。
肩の荷が下りたと完全に油断してしまったのだ。
さっそくしまったという顔になった恵を見下ろして、山尾が静かに目を伏せる。
「あの人にさ・・・・・・私との結婚を考えてくれてないのかって言われてさ・・・・・・それで初めて自分がどれだけその場しのぎの恋愛してたのか気づかされたよ。俺はまだまだ医師としても未熟だし、とてもじゃないけどあの人と娘の面倒を見れるような状況じゃなかった。一方的に甘えて、甘え尽くして終わらせてしまったから・・・・・・・・・俺がちゃんと一人前になれるまでは、誰のことも考えられないと思う」
「・・・・・・・・・焦っても、いいことないですしね・・・・・・山尾先輩はその気になったら、いくつでもいい人と巡り会えますよ」
彼の医師としての姿勢と誠実な人柄を間近で見てきた恵だからこそ、そう言い切れる。
はっきりと返したら、山尾が眦を緩めて、ありがとうと笑った。
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