第35話 moon phase 22

「担当さん、寿なの?」


お中元とお歳暮の交換会を行うようになったのは、山尾が若先生と呼ばれるようになってから。


毎年製薬会社のMRや医師会の先生たちから大量に送られてくる焼き菓子やお酒を、家族だけでは食べきれず、従業員がいる山尾医院に差し入れとして持って行ったところ、それなら代わりにと別のお菓子を貰ったことがきっかけで、それから交換会が恒例になった。


種類が増えれば選ぶ楽しさも生まれるし、何より交換なので気兼ねすることもない。


独り暮らしの山尾の家に佃煮の詰め合わせは困るけれど、涼川家では重宝される、といった風に適材適所で美味しいものをやり取りするのは楽しいものだ。


今日も気の早いお中元が届いて、従業員の皆さんが帰る前にと山尾医院に届けたところ、ちょうど患者さんが途切れたタイミングで、中へどうぞと診察室に通されて、待ち構えていた山尾からそんな質問を受けた。


尋ねるまでもない、情報のリーク元は玲子だ。


「子供が出来るまでは共働きですって。旦那さんも編集者だから理解があって助かるって言ってました。みんなお嫁に行くんですねー」


前任の担当がベテランだったおかげでどうにか見捨てられずに続けられた名ばかりの作家業は、今ではほとんど趣味のようなもので、売れるものを書かなくちゃ、とか、みんなが望むものを書かなくちゃ、と思わなくなってからのほうが楽になった。


結局は、本は読み手に選ぶ権利があって、恵が差し出したいものを、受け取りたいと言ってくれる人にしか、恵の物語は響かない。


逆に、誰かが読みたいものを、恵がうんうん唸って嫌だなと思いながら綴っても、それが受け入れて貰えるとも限らない。


だったらもう、いっそのこと開き直って、好きなものを好きに書いて、読みたい人だけ読んでくださいというほうが気が楽だ。


少なくともその方が、好きな作品を書けたという満足感を得られる。


そう思えるまでの過程を一緒に過ごして来た現担当には、色んな迷惑を掛けて来たので思い入れもひとしおだった。


贈ったテールウェアのセットも喜んでもらえたので、わざわざ都心まで足を伸ばして本当に良かった。


「・・・・・・・・・安心した」


恵の顔を確かめた山尾が、安堵の表情で溜息を吐いた。


「え?なにか不安にさせるようなことしました?」


まったく心当たりがないのだが。


「玲子先輩の話聞いたときも、まあ無いだろうなと思ってたし、心配はしてなかったけど、実際顔見たら確信が持てたよ」


「ちょっと・・・私がいないところでお姉ちゃんから何吹き込まれたんですか?」


詳細不明だが、ろくなことではないことだけは確かだ。


あの日、ほろ酔いで自宅に戻って来た玲子は、上機嫌で、私は主役ぅうーとわけのわからない歌を歌いながらソファに倒れ込んでそのまま眠ってしまったのだ。


絡み酒で山尾に迷惑を掛けなかったことにホッとして、まあ楽しそうだしいいかと思って部屋に戻ったのだが、やっぱり何を話したのかくらい聞いておいた方が良かったかもしれない。


「いや。恵は恵のままだなぁって話」


やけに嬉しそうな山尾の表情が憎らしくて大声で言い返す。


「相変わらずなままですみませんね!!」


その直後、受付から申し訳なさそうな声が響いた。


「あのう・・・・・・若先生・・・」


確かめるまでもない、恵にとっての絶対ヒロイン長谷愛果だ。


「どうしました?長谷さん」


「涼川さんにお持ち帰りいただくお中元、まだ用意できてなくって・・・」


箱開けてないものもあるんです、と伝えた愛果に慌てて大丈夫ですと答えた。


勝手にこっちフライングをしただけなので、山尾医院はもちろん、愛果にはなんの落ち度もないのだ。


「あ、いえ、お気になさらず!賞味期限あるから早めに持ってきただけなんで」


「ってことだから、今回は有難く頂いて、みんなで分けてくださいね」


「あ、はい。そうさせて頂きます。涼川さんありがとうございます」


「いつもありがとうございます。今回も美味しくいただくわねー」


愛果と一緒になって差し入れを広げていた看護師の森井が愛果の後ろから顔を覗かせる。


「はい、どうぞ!あ、森井さん、お嬢さんその後おかげんいかがですか?痛み引きました?」


「おかげさまで!さすがに当日はうんうん言ってたけど翌朝にはケロッとしてたわ」


「良かったですー」


「お嬢さんどうされたんですが?」


「親知らずが生えて来て、玲子先生に抜いてもらったのよ」


「あー・・・あれ痛いですよね・・・私も顔がめちゃくちゃ腫れて辛かったの覚えてます・・・あ、それじゃあ、差し入れ頂きます」


「はい、どうぞどうぞ!」


高校時代よりもずっと色っぽくなった愛果の大人びた雰囲気にうっとりしながら会釈を返す。


愛果くらい学生の頃から変わっていたら、山尾も相変わらずなんて言わないのだろう。


アイドル女子からしっとり美人に成長した愛果と、山尾の組み合わせはなんともしっくりくる。


高校卒業後の朝長のことは分からないので、大人になった愛果の隣に並ぶならやっぱり同じく大人になった山尾だと思ってしまうのは仕方のないことだ。


あんなに相思相愛でマジで付き合う5秒前だった二人なのに、青春時代の恋が永遠になるのは物語の中だけらしい。


もしも、あのデビュー作がめちゃくちゃ大ヒットして、大長編になって大人になったみんなを描けていたら、どうなっていただろう。


大人になった彼らの魅力を上手く表現することが出来ただろうか。


愛果が戻って行った受付と診察室を仕切るカーテンをぼんやり眺めていると、山尾が名前を呼んできた。


「面白いアイデアでも浮かんだ?」


「え?そんな顔してました?」


「恵の考え事って大抵小説の構想とかネタでしょ」


「面白みのない日常ですみませんね」


「むしろそのほうが安心なんだけど。ここに来ていきなり感化されると困るよ」


「感化って、誰に?」


「担当さんが結婚したから私も、とか言いだされたらいやだなと思ってた」


おなじ独身仲間が減ってしまうことを山尾がそんなに寂しく思ってくれていたなんて。


玲子に無理やり引っ張り出されるようにして集められた飲み会仲間で結局残ったのは身内の恵と山尾だけ。


ご近所でしょっちゅう顔を合わせるし、玲子の手前断るのもなと気を遣って渋々付き合ってくれているのだろうと思っていたが。


「大丈夫ですよ。山尾先輩が寂しい思いすることはありませんから。この先も涼川家と先輩はずぶずぶの関係ですよ」


「ずぶずぶって・・・・・・まあ、それでもいいけど」


「お姉ちゃんに目を付けられたのが運の尽きと思うしかないですよー。気に入った人間は最後まで捕まえて離さない人ですからね」


「旦那さんもそうやって捕まえてるし?」


「そうですよ」


狙った獲物は逃がさず完璧に料理してしまうところが玲子の凄いところだ。


そして、捕まった義兄は幸せそうに涼川歯科医院で働いてくれている。


人を見る目も肥えている玲子の人生にハズレは無いのだ。


「じゃあ恵は?」


突然の質問に恵は一瞬目を丸くした。


「えー・・・どうだろう・・・・・・あんまり人に執着する方じゃないとは思うけど・・・言うほど人と関わってもないし・・・・・・」


まあそうだろうと頷いた山尾が、楽しそうに目を伏せた。


「・・・恵に執着される相手に、ちょっと興味があるなぁ」

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