第5話 moon phase 1

「あれ、先輩来てたんですか?」


お馴染みの生徒会室のドアを開ければ、懐かしい定位置に懐かしい顔を見つけた。


デニムにTシャツというラフな格好にも拘らず、すらりとした印象を受けるのは、彼女の本質を表しているかのように、骨格が綺麗に整っているからだ。


どちらかというと、高校の制服よりも彼女はこういう格好のほうが似合う。


「ういーっす!山尾ぉ。元気そうねぇ」


ひらひらと気安く手を振って来た玲子に笑顔を向けたところで、妹の恵が生徒会室専用のコーヒーメーカーから熱々のコーヒーを入れて来た。


漂ってくる香りがいつもとは違う。


「お姉ちゃん、はい、コーヒー。ねえ、会長来たらその席ちゃんと譲ってよ?今はもうここには会長が座ってるんだからね?」


恐らく現生徒会長は、玲子がどこに座ろうが何も言わないし、むしろ喜んで自分の席を彼女に譲るだろうが、後輩の恵としては見過ごせないらしい。


あの、涼川玲子の妹なのだからもう少し傍若無人かと思いきやどこまでも律儀で後輩の枠からはみ出さない彼女は、品行方正で控えめな涼川玲子二号だ。


「はいはい、わーかってるわよ。いちいち細かいわねぇあんたは!あーっ美味しい!やっぱりオリジナルブレンドは美味いわぁ」


卒業してからふらりと生徒会室に来るたび、彼女は毎回お気に入りのコーヒー豆を持って来てくれるのだ。


「差し入れありがとうございます」


「山尾、あんたも飲みなさいよ。ほら、めぐもーあんたが飲めるようにわざわざコンビニで牛乳買って来たんだからね」


「・・・・・・ブラックでも飲めるわよ」


「飲むたび眉間に皺寄せるじゃないの。お姉ちゃんは美味しくコーヒー飲んで欲しいのよ。ほら、いいから二人の分もコーヒー入れて来な」


さあ行ったと追い払われた恵が、牛乳を受け取ってコーヒーメーカーのもとへと戻っていく。


玲子の面倒見が良いのは、妹がいるせいなのかもしれない。


一緒に生徒会をしていた頃には見えなかった姉としての一面を見るたび、なんともくすぐったい気持ちになって、同時に妹然として振る舞う恵の結構辛口な態度に笑みがこぼれる。


涼川家のリビングは、だいたいこんな感じなんだろう。


「それで、今日は?」


「んー?学校説明会の挨拶文見てくれって呼び出しー。私の草案残ってるから適当にパクって上手くやれって言ったんだけど、心配みたいね」


夏休みの間に、受験生たちが志望校を決めるために市内の高校を訪問する学校説明会では、現役の生徒会役員が学校紹介や案内を取り仕切ることになっていた。


そこで、来年度の一年生に向けて学校をアピールする役目を担うのが、現生徒会長なのだが、玲子の後を引き継いだ彼が背負うプレッシャーはかなりのもののようで、毎日のように草案を前にうんうん唸っていたのだが、とうとうSOSを出すことに決めたらしい。


去年のようなインパクトは誰も求めてないよとどれだけみんながフォローしても、青白い顔のままだった会長の表情が、今日こそは穏やかになれそうだ。


「・・・・・・去年の説明会、ほんっとに恥ずかしかったんだからね。山尾先輩、コーヒーどうぞ」


「ありがとう」


「えー?印象に残って良かったでしょー?普通の学校紹介したってつまんないし」


「女教師のコスプレとかやりすぎだから!」


格好こそ女教師だったけれど、立ち居振る舞いはほとんど女王様だった。


指し棒をぺしぺし言わせながら体育館を練り歩き、どんな高校生活を送りたいかと受験生に逆に質問を投げる形で行われた学校説明会は、かなり話題になった。


伊達メガネと口紅で武装した彼女の迫力は凄まじかったが、そうか、恵もあれを間近で見ていたのか。


だとしたら、身内としては相当胃が痛かったことだろう。


思い出してげっそりする恵に向かって、玲子が蠱惑的な瞳をきらめかせた。


なにか面白いことを見つけた時の彼女の表情だと、すぐに分かった。


そしてターゲットは唯一無二の妹だ。


「別に私と同じことしろなんて言わないしー。その年々の色を出せばいーじゃないのよ、気負わずにさ。同じ人間なんて二人いないんだからー・・・・・・ということでー・・・・・・めぐちゃん、あんたの書いてるあれのモデルってどれよ?恵の唯一無二くんー!」


唄うように紡がれた言葉の意味は山尾にはさっぱりだったが、当事者の恵は弾かれたように姉の元にすっ飛んできた。


「っは!?な、なんで・・・!?」


「ご飯も食べずに部屋に籠ってるから、真面目に勉強してるかと思いきや・・・まさか妄想・・・もがっ」


大慌てで玲子の口をふさいだ恵が、初めて大声を上げた。


「ななななに言ってんのよお姉ちゃんっ!」


押さえつける妹の手を掴んで強引に振りほどいて、玲子がぐるーっと視界を生徒会室に向けた。


「ぷはっ苦しいから!いやだって姉としては気になるもん、あんたの将来が。一人はこいつでしょー?で、もう一人はー?」


「え?俺?」


よく分からないが、いつの間にか自分も当事者に含まれていたらしい。


きょとんとする山尾を振り向いた恵が、ぶんぶん首を横に振る。


こんなに激しく動く彼女を見たのも、また初めてのことだった。


「山尾先輩は気にしないでくださいっ!まったく何でもないです、無関係です!平和そのものですから!」


「いや、なんかそう言われるとちょっと心配になるんだけど、俺なんかやった?」


この数か月穏やかに過ごして来たつもりだが、なにか恵が引っかかる事をしていただろうか。


尋ね返した山尾に、恵がご心配なくと身振り手振りで伝えてくる。


彼女は動揺すると動きが大きくなるタイプらしい。


「いいえっ!ほんっとにお姉ちゃん、余計なこと言わないで!あと、勝手に人の部屋入って人のモノ見ないで!」


「見てないもん、心配になって様子見に行ったら偶然見ちゃったんだもーん」


「見ちゃったでそんな色々詳しくわかるわけ・・・」


「まあ一瞬ノート引き抜いてパラパラはしたー!」


「おおおおお姉ちゃん!?」


「いーじゃないの、才能があるって素敵なことよー!」


いやー立派立派、と軽快に笑う玲子と、真っ赤になって狼狽える恵の口論の意味はさっぱり理解できなかったけれど、玲子が誇らしげに言った”恵の才能”について知る事になったのは、恵が卒業してしばらく経った後のことだった。

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