第4話 moon phase 0

高校入学時に始まった駅までの見送りは、早苗のため、というよりは友世の負担を少しでも軽くするためだった。


電車に乗った後の早苗のことは、全般的に友世にお願いするよりほかにないが、出来るところのフォローはみんなでして行こうというのが、友世と早苗以外の幼馴染全員の総意だった。


部活の朝練があるガンと大は、友世たちより早く登校することが多かったので、自然と朝二人を駅まで送るのは山尾の役目になった。


最初は慣れない電車通学で、揃って具合を悪くしたりすることもあった友世と早苗も、3年生になる頃にはすっかり電車通学にも慣れていた。


1年生の終わりごろからようやくクラスメイトと繁華街に寄り道するようになった早苗の笑顔は相変わらずどこかぎこちないままだったけれど、外の世界との接点を失くさずに居てくれたことだけが救いだった。


そして、この3年で、友世のメンタルはずいぶん鍛えられた。


これまで幼馴染たちの中では一番控えめで大人しくて、誰より気にかけなくてはいけない存在だった彼女が、率先して早苗の事を気にするようになって、季節ごとに風邪で寝込んでいた彼女が山尾医院に点滴を受けに来て意地でも早苗を一人にしないように努めるようになった。


これは早苗の親やマスター、山尾たちからすれば物凄く有難いことだったけれど、友世の抱えるプレッシャーは並々ならぬものだっただろう。


山尾の父親も、そのあたりの事情は重々承知していたので、診療時間を過ぎてから往診に行ったりして、子供の日常を守る為に力を尽くしてくれた。


あの町でなかったら、きっと、早苗だけではなくて、みんなが駄目になってしまっていたはずだ。


将来は山尾医院を継ぐことが決定している一人息子は、当然のように父親の往診に付き添って一番近くで友世のことを見てきた。


それはもう兄妹のように。


昨夜の点滴が良く効いたようで、顔色も良くなった友世と早苗がいつものように駅の改札を抜けて行くのを見送ってから、学校に向かう。


GWが終わってすぐの校内は、朝練をしている部活動が少ないようで、いつもより静かだった。


7時半すぎの生徒会室は、いつも山尾の貸し切り状態。


帳簿の数字を合わせるには持って来いののどかな時間を過ごすべく、いつものようにドアを開けたら、先客がいた。


「えっ!?」


まさかこの時間に山尾が登校するとは思っていなかったらしい涼川恵すずかわめぐみが、心底驚いた顔になって、大慌てで長机に広げていたノートを片付け始めた。


入学してひと月ちょっとの1年生には、生徒会の主要な仕事は割り振っていない。


主に2,3年生のサポートが主な役割で、当然早朝登校して片付けなくてはならないような子宮案件も任せていなかった。


だから、彼女がここに居るのは生徒会以外の理由だ。


教室よりこぢんまりとしている生徒会室は、慣れるとかなり居心地が良い。


そういえば、彼女の姉も時々ふらりと早朝の生徒会室にやって来て朝寝をしていた。


絵に描いたようなリーダシップと求心力で生徒たちの信望を鷲掴みにして、最後まで離さなかった前生徒会長の伝説の数々は卒業して2か月が過ぎた今も校内のそこかしこに残っている。


彼女のおかげで、後を継いだ現生徒会はかなり影が薄くなっており、会長はそれを嘆いているが、山尾はこの期待度の低さがかなり楽で良かった。


あれもこれもと期待されることで生まれる葛藤や不安を、山尾自身が早くから知っていたから。


そして、恐らく彼女もそれをよく知っているはずなのだ。


あの涼川玲子すずかわれいこの妹というだけで、教師陣から向けられる期待とプレッシャーはかなりのものだっただろう。


有無を言わさず生徒会役員に推薦されてしまった恵のことを思えば気の毒だけれど、迎え入れた生徒会役員たちは揃って嬉しそうで、代わる代わる姉の近況を尋ねていた。


みんなが、涼川恵ではなく、卒業後の涼川玲子に興味があった。


そして、彼女はそれをよく理解していた。


「あ、お、おはようございますっ」


自分から発言することはほとんどなく、指示された仕事をきちんとこなすことに集中する彼女は、姉とは真逆の性格をしていた。


はっきりとした目鼻立ちで一度見たら忘れられないと言われる玲子の容姿と似ている部分はほとんど見つけられない。


どちらかというと地味で大人しい印象の彼女は、意図的に目立たないようにしているようにも見えた。


姉の再来と呼ばれること避けるためだろう。


「おはよう。涼川、早いね?」


「あ、は、はい・・・ちょっと・・・・・・早く目が覚めちゃって・・・・・・すみません、仕事ないのに生徒会室来ちゃって・・・」


「ああ、いいよいいよ。役員はいつでも出入り自由だから。玲子先輩が金庫あるから施錠不要宣言してから、ずっと鍵も開けっ放しだしね」


それまでは、最終退室者が責任を持って職員室のキーボックスに鍵を返却することになっていたのだが、面倒じゃない?という彼女の一言で当たり前にメスが入った。


重要書類の保管があると零した他の役員に一つ頷いた玲子は、次の日には進路指導室の古びた金庫を譲り受けて来て、これなら文句はあるまいと周囲をあっさり納得させてしまった。


徹頭徹尾、彼女はそういう人だった。


「・・・・・・ありがとうございます・・・」


「もしかして勉強してた?」


「へっ!?」


「中間近いし、もし分からないところがあれば教えるよ?あ、そうだ。1年にはまだ言ってなかったっけ?歴代役員の答案用紙保管されてるから、それ見とけばだいたい傾向は・・・」


「あ、それ、お姉ちゃんから聞きました」


「ああ。そっか、だよね。玲子先輩が言ってないわけないか」


”春からうちの妹入学するから、よろしくねー。色々教えとくからフォローしてやってよ”


卒業祝いの花束を受け取って、涙一つ見せずに満面の笑みでまたね!と言って去って行った彼女が、実妹に重要事項を伝えていないわけがないのだ。


山尾の言葉に困ったように笑った恵が、言い難そうに切り出した。


「べ、勉強じゃ・・・ないので・・・・・・・・・あの、それでもここに居てもいいですか?」


もしや教室の居心地が良くないのかと一瞬心配になったが、表情を見る限りそうではなさそうだ。


姉が毎日のように通っていた生徒会室に、何か思い入れでもあるのかもしれない。


「それはもちろん。ここが居心地良いなら、好きなだけ居てくれて構わないよ」


穏やかに山尾がそう告げれば、ほうっと息を吐いた恵がやっと緊張を解いてくれた。

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