第20話 Sturgeon Moon-1
「はい。上がって」
こちらを振り向く事無く奥に入って行く山尾の背中を困り顔で見送りながら、どうにか声を振り絞る。
「・・・・・・・・・・・・・・・お邪魔します」
てっきり
一人暮らしになってから、幼馴染たちから定期的に食料を押し付けられるので食べる物だけは大量にあるから、と言った彼に押し切られる形でついて来てしまったのだが。
「恵、お邪魔しますって言ったんだから、上がっておいで」
リビングらしきドアの前でこちらを振り返った山尾が眉を下げる。
「・・・・・・ええっと」
これまでの二人の経緯を考えると、この状況は正しいような正しくないような、もうわけがわからない。
話し合いが必要なのことだけは確かだが、果たして二人きりで良いのだろうか。
ちっとも冷静でいられる気がしない。
また自分がうっかり余計な事を言いそうで少し怖い。
靴を脱ごうかどうかで迷う恵にしびれを切らした山尾がおいでおいでとさっきのように手招きしてきた。
病院を怖がる子供に、ぬいぐるみ片手に笑いかける時の彼の仕草が重なる。
「大丈夫。取って食いやしないから」
「あ、そこは信用してます」
彼から誠実さと生真面目と思慮深さを抜き取ったら何も残らない。
だから、山尾が恵を傷つけたり怯えさせたりする可能性は皆無だ。
このまま押し問答をするわけにも行かないと、覚悟を決めてもう一度お邪魔しますと告げて靴を脱ぐ。
途端、山尾があのさぁ、と呆れた声を上げた。
「そこはちょっとは警戒してよ」
「え!?なんで」
「なんでって・・・」
げんなりと肩を竦めた山尾の姿が見えなくなる。
こうして地元でつるむようになってからはいつも玲子に連れられて
こんな形でお宅訪問する羽目になるとは。
彼の父親が医院を継ぐときに建て替えたと聞いた事がある自宅は、涼川歯科医院がすっぽり収まってしまうくらいに大きい。
そういえば、ずっと昔はこの敷地一杯に大きな日本家屋が建っていたと、歯科医院に来るお年寄りから聞いたことがあった。
山尾の後を追ってリビングに入ると、右手のキッチンで冷蔵庫を覗いた山尾がタッパーをいくつも取り出したところだった。
「貰い物の総菜が大量にあるから、あとはビールと、ウィスキーあるから、ハイボール作る?」
ファミリータイプの冷蔵庫をひょいと覗けば、ご丁寧に付箋が貼られたタッパーが大量にお目見えしていた。
日付と中身が書かれている。
「すご・・・マメ」
恵には到底できない芸当である。
「こうしとかないと、食べきれないから。こっちの煮物系は岩谷酒店のおばさんだな。んで、きんぴらと、インゲンと、鶏のピカタは早苗のところ。こっちの里芋は早苗の実家。適当にあっためていい?」
この間の気詰まりが嘘のように穏やかな声で言われて、ついいつもの調子で頷いてしまう。
さすがに座ったままなのは申し訳ないので、隣にあった食器棚から適当に小皿を取り出した。
「あ、手伝います」
小皿に描かれている綺麗な花模様が高級感を醸し出している。
「ありがとう。白ご飯いるなら、冷凍庫のやつチンするけど」
「んー・・・・・・おかず大量何でいらないです。先輩、なんかもうちょっとこう、普通の白皿とかありません?」
うっかり食器洗い中に割ったら困るなと思って尋ねれば、山尾が事も無さげにどれでもいいよと言ってのけた。
「母親が骨董市で買い集めたやつだから、割れても欠けてもいいよ。実際すでにうちに来たちびっ子ギャングたちが数枚割ってるし」
「ひええ・・・」
それでも念の為食器棚をもう少し覗き込んで見たが、どれも同じような綺麗な皿や茶わんしか見つけられなかった。
この家にはたぶん大晴が涼川家で使っているようなプラスチック製の百均の食器は存在しないのだろう。
諦めて不揃いの小皿を数枚選んでリビングのテーブルに運ぶ。
読みかけの朝刊と、置きっぱなしのマグカップになんだかホッとした。
「ああ、ごめん。朝バタバタしてるとついそのままにして出ちゃうんだ」
「・・・・・・山尾先輩でもそういうところあるんですね」
恵の中にある山尾のイメージは、朝早く生徒会室で資料の準備をしている几帳面な男子高校生と、地元住民から慕われている若先生の二つだけ。
男子高校生バージョンの彼が多少美化されているのは、掻き立てられた創作意欲を思う存分ぶつけて描いた小説のせいだ。
青春恋愛小説なのだから、ヒーローは爽やかで優しくてカッコいい限る。
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