第17話 Buck Moon-1

毎週経過観察に訪れる地元住民を見送って、今日の診療はこれで終了かなと愛果と雑談を始めた矢先、入り口の自動ドアが開いた。


揃って顔を向ければ、涼川歯科医院の次女が甥っ子を背負って困り顔で佇んでいる。


「・・・・・・こんばんはー・・・遅くにすみません」


いつもの数倍気まずそうにこちらを伺う恵を見止めた瞬間、ここ数日若先生がどこか上の空だった理由がすぐに分かった。


どうやら二人の間に何かがあったらしい。


さっきまで笑顔を浮かべていた愛果が、途端緊張したように表情を強張らせる。


他人の機微に敏い彼女は、山尾が恵を気にしていることを彼が自覚するずっと前から気づいていたし、自分の恋が最初から叶わないことも、重々承知しているようだった。


森井はこの小さな医院で繰り広げられる絡まった恋模様の唯一の傍観者であり、応援者である。


今のところ、若先生の味方だ。


「あらあら、どうされました?」


朗らかな笑顔で受付から出ると、火照った顔の甥っ子がぐったりした表情でこちらを見上げて来る。


「幼稚園から戻った途端こんな感じで・・・しばらく母が様子を見てたんですけど熱が上がって来たので心配で・・・」


まだ診て貰えますか?と不安そうに尋ねて来る恵に向かって、安心させるように笑顔を向けた。


「大丈夫ですよ、先生まだいらっしゃいますから。若先生ー!涼川さんところの大晴くんですよー」


恵の背中から大晴を抱き上げて、抱えた時の感じで大体の発熱具合を確かめる。


「幼稚園で風邪貰っちゃったかもしれないわねぇ」


「何人かお友達がお休みしてたみたいで・・・あ、診察券忘れた!」


診療時間ギリギリだったので慌てて飛び出して来たのだろう。


ポケットを探った恵がしまったと顔を顰める。


「あ、ぜんぜん大丈夫ですよ。良かったら、お水どうぞ?」


愛果が穏やかに応えて備え付けのウォーターサーバーを勧めた。


ここまで走って来たらしい彼女は息が切れていた。


「大晴くん大丈・・・」


声を聞きつけた山尾が診察室から待合室へ出て来る。


森井に抱っこされている大晴を見た後で、ここまで彼を連れて来た保護者を確かめて、珍しく彼が口ごもった。


「遅い時間にすみません・・・今日、お義兄さん学会出てて夜に何かあると困るから診て貰いたくて」


「ああ。うん。そうだね・・・・・・で、なんでそこで突っ立ってんの?」


待合室から動こうとしない恵に向かって、山尾が困り顔でおいでおいでと手招きする。


「え、あ・・・はい」


恵の困惑顔と、愛果の複雑な表情を横目に、森井は診療台へと大晴を運んだ。







・・・・・・・・・・・・







「お薬飲んだらすぐ良くなるから大丈夫だよ」


「ちゅ・・・-しゃ・・・しない?」


怯えるように恵の腕にぎゅうぎゅうしがみついたままの大晴の背中を優しく撫でてやる。


幼稚園で友達を遊ぶことに慣れてからは、叔母よりも同世代の子供たちと遊ぶことに夢中になっていた大晴が、こんな風にべったりと甘えてくれることは珍しい。


受付時間ギリギリの病院まで、気まずさを圧して必死に運んだ甲斐があった。


案の定風邪だと言われ、飲みやすいシロップと熱さましの座薬を処方してもらう。


大晴の診察で来ているのだから当然なのだが、山尾は恵に必要以上の事を話さなかった。


「注射しないよ、痛いのいやでしょ?」


「やだぁ」


ぐりぐりと腕に頭を擦りつけて来る大晴をもうひと頑張りだと抱き上げる。


昔はいくらでも喜んで抱っこさせてくれていたのに、最近はこちらがお願いしてもなかなかさせてはくれない。


幼稚園児はもうお兄さんなのだそうな。


だからこういう時は全力で叔母馬鹿になる。


「大丈夫よ、大晴。若先生はお薬で治しましょうって」


「しっかりご飯食べて、いっぱい寝てね」


お決まりのお大事にの言葉に、お礼を言って歩き出す。


元からの運動嫌いプラステレワークの恵は、筋トレの習慣なんてないので、筋肉がしっかりついて来た大晴を抱えての移動はなかなか骨が折れる。


これは明日、いや、明後日は筋肉痛だなと思いながら診察室を出ると、山尾が追いかけて来た。


「もう閉めるから、俺が背負って行こうか?」


「え!?いえ、大丈夫です。すぐそこだし・・・お気遣いなく」


「その割に腕辛そうだけど?」


眠気が勝って来た大晴の重みは増していく一方で、両足で踏ん張っているのも結構いや、かなり辛い。


が、この一週間いまだに電源オフのままのスマホの言い訳を考えられていないので、山尾と二人きりにはなりたくなかった。


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