第50話 早花月その3
「うううわぁ・・・愛果ちゃん・・・またエロくなってる・・・」
山尾家のリビングの、大きな三人掛けのソファの端で大げさにのけ反った恵が、ばたんとそのまま座面に倒れ込んだ。
山尾は月一の医師会で、今日は帰りが遅くなるらしく、よかったらご飯食べにおいでよ、と声を掛けられて、土曜日の午前診療が終わって山尾が出かけていくのを見送ってからすぐに山尾家にお邪魔したわけだが。
「エロく・・・って・・・恵ちゃん・・・言い方っ」
実は売れない作家を細々と続けている、と打ち明けられてから、どんどん開けっ広げになってサバサバしてきた恵は、色々と語彙が赤裸々すぎる。
仮にも執筆業なのだから、もう少し恥じらいやら慎みやらを持って欲しいものだ。
高校生の頃は、こんな子じゃなかったのに。
控えめでどこか大人びた雰囲気だった彼女の口から、エロい、なんて言葉が出るなんて想像すらしてこなかった。
歳月は人を変えるものである。
「だってほかにどうしろと?いやぁ・・・滲み出てるわぁ人妻臭が・・・エロいわぁ」
二回も言われた。
しかも滲み出てるってなんだ。
真っ赤になって頬を押さえた瞬間、捲っていたシャツの袖口を見た恵が、急に目を丸くした。
「え、なにこんなとこまで!?」
「へ?なにが・・・・・・っっっ蚊に刺されたの!」
肘のすぐ上に残されたキスマークは、間違いなく昨夜朝長が愛果に残したものだ。
昨夜の朝長は、愛果をベッドにうつぶせに寝かせた後、片っ端から舐めたり齧ったり吸ったりして疲労回復を図っていた。
ここ最近そういう夜がずっと続いている。
これが朝長の言う”一番の癒し”らしい。
いや別に嫌じゃないし、抱かれるのは嬉しいけれど、こんな場所までキスマークは本当に勘弁してほしい。
絶対ロッカールームで着替える時にみんなに見られていたはずだ。
上からカーディガンを羽織っているから、患者さんに気づかれなかった事だけが幸いである。
「この時期まだ蚊はいないでしょ。へええー愛果ちゃん専属のえっちな蚊に刺されたんだぁ」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべてこちらに詰め寄って来る元クラスメイトを睨みつける。
「ねぇ、恵ちゃん、この話、もうやめない?」
「ねぇ、愛果ちゃん、この話、ネタにしていい?」
「絶対ダメ!」
「んんーじゃあ、愛され妻ネタだけどっかで使うね」
「使わないで出さないで恥ずかしいから」
「大丈夫、愛果ちゃん以外分かんないから!」
「それが嫌なのおおおお!・・・だいたい、恵ちゃんだって新婚でしょ!?山尾先生との・・・そういうエピソード、いっぱいあるでしょ!・・・ちょっと身体見せて・・・」
どこまでも穏やかで紳士的な山尾の違う一面を絶対に見つけてやろうと必死に首筋やら胸元やらを確かめるも。
「いくら見ても出てこないよー。最近、私仕事部屋こもりっぱだし」
「作家業忙しいんだ?」
「ありがたいことに連載貰ってるからね・・・でも、いつ打ち切り通告されるか分かんないから、今のうちに書きたいこと詰め込んでおきたくって・・・おかげで静かな一人寝の夜だよー」
「・・・そ、その、山尾先生から誘われたりしないの・・・?」
職場の雇用主のこういう話はあまり聞きたくないのだが、仮にも元片思いの相手なわけだし・・・それでも好奇心に勝てずに質問してしまった。
もっと照れるかと思ったが、恵はあっけらかんと口を開く。
「ん、夫婦生活はそれなり・・・だけど、私のペースかなぁ・・・ほら、作家って浮き沈みめちゃくちゃ激しいから、書きたいって集中してる時に邪魔されると機嫌悪くなっちゃうし、その辺先輩はよく分かってるから、私が執筆モードになると一切手を出してこないのよ。ほんと有難い」
「なるほど・・・」
彼女は自分たちの夫婦生活をどこか俯瞰している節がある。
作家の気質なのだろうか。
愛果には絶対に真似できないことだ。
「でも、朝長くんは、色々とご執心みたいだね・・・」
「うっ・・・その・・・仕事忙しくてストレス溜まってるみたいで・・・」
「夫婦のイチャイチャで諸々発散したいんだ」
「たぶん・・・」
「でも、なんかちょっと・・・こう色っぽい感じで痩せてってない?」
「~~っ」
そりゃああれだけ上に乗せられたら、ウエスト周りは勝手にほっそりしてくるだろう。
全体的に絞りたかった愛果としては、願ったり叶ったりなのだが、傍から見てそう見えるという事だけがちょっと複雑である。
「でも、胸ちっとも減ってないね?羨ましい」
「・・・・・・重たいし肩凝るよ?」
「むしろいっぺんくらい胸の重みで肩こりになりたいわ・・・あ、そうだ。先輩が、座り仕事辛いだろうからってマッサージチェアー買ってくれてね、すごいいいから、試してみて!こっちこっち」
ソファーから立ち上がった恵が、奥の和室へと入っていく。
後ろから続いて和室に入れば、通販番組でしか見たことの無いような本格的なマッサージチェアーが畳の上に鎮座していた。
これは、かなり高級な貢物だ。
「山尾先生って・・・・・・恵ちゃんに甘いよね」
勧められるままマッサージチェアーに腰を下ろせば、恵が小さく笑った。
「朝長くんは、愛果ちゃんに夢中だよね」
電話だよ、と指を指されたリビングのテーブルの上で、スマホが着信を告げていた。
熱愛未満な私たち ~失恋から始まる同級生とのお見合い結婚~ 宇月朋花 @tomokauduki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます