第45話 梅見月その1
会議の後、ちょっといい日本酒を貰ったから、寄っていかないかい?と義理の父から声を掛けられて、それなら是非、と二つ返事で頷いて、ふた月ぶりに愛果の実家を訪れた。
上司でもある愛果の父親とは、接待ゴルフで一緒になることもしょっちゅうなのだが、実家に呼ばれることはあまりない。
ただでさえ義理の父親が同じ職場で肩身が狭い思いをしているのだから、休日まで呼びつけてくれるな、と愛果が口を酸っぱくして言っているせいだ。
朝長としては、義理の父親の心証はいいに越したことはないし、上司としても尊敬できる相手なので、呼ばれれば喜んでお邪魔させて貰うのだが、まあ正直言えば、休日は新妻と家でまったりと過ごしたい。
仕事は楽しいしやりがいもあるし、部下はどんどん成長してくれているし、同僚にも上司にも恵まれている。
このまま仕事を生きがいにして定年まで過ごそうと思っていた頃なら、休日返上で何処へでも馳せ参じただろうが、今は違う。
新たな生きがいを見つけてしまった。
出来ることならもっとテレワークを増やして、自宅で愛果と過ごせる時間を増やしたいくらいだ。
仕事を続けている彼女は、上手くシフトを調整して、朝長の休日に予定を合わせてくれているが、それでも時間が足りないと思ってしまうのだ。
これまで色々と堪えて来た反動か、出来るだけ愛果を側に置いておきたい。
家事に勤しむ彼女の姿をリビングのソファで眺めているのも楽しいけれど、そのうち物足りなくなって手を伸ばしてしまう。
最初のうちは戸惑っていた愛果も、最近は慣れたようで朝長がそういう雰囲気を醸し出すと上手く逃げるようになってきた。
昼間から家事が手に着かなくなるようなことは避けたいのだろう。
新婚だし、夫婦水入らずなのだから、いつそういう雰囲気になっても構わないと思うのだが。
困り顔の愛果との攻防戦もなかなか楽しくて、昔のようにハキハキと言い返してくる愛果を見ていると、高校時代の自分が甦って来て余計堪らない気持ちになる。
なんせ一番血気盛んな時期に好きだった相手なのだ。
多分、そういう妄想を一番した相手だと言っても過言ではない。
こんなこと、愛果に言えるはずもないのだけれど。
あの頃は華奢で折れそうだったか細い身体が、今はふっくらとした女性らしい丸みを帯びて、朝長に擦り寄って来るのだ。
これでその気になるなという方が無理な話である。
昔のように沢山笑顔を見せるようになった愛果は、文句なしに可愛いけれど、ベッドの上で戸惑いがちにこちらを見上げてくる彼女のちょっと心細そうな表情は堪らなく可愛い。
嗜虐心を擽られて、ありとあらゆる方法で構いたくなってしまう。
新妻が魅力的だと、仕事もプライベートも充実するものなのだ。
「最近ねぇ、愛ちゃんが家でも良く笑うようになったんだよ」
上物の黒龍の純米大吟醸をグラスに注ぎながら、長谷が、上司から父親の顔になって柔らかく微笑む。
ほんの一時間ほど前まで今後の営業展開について熱く語っていた男とは思えない眦の下がりっぷりである。
こういう表情を、朝長はもう何度も見て来た。
目に入れても痛くない一人娘だと昔から聞かされていた相手が、まさか自分の高校時代の片思いの相手で、その彼女が妻になる日が来るなんて。
お嬢さんと結婚する相手は色々と大変ですね、なんてお酌のついでに笑っていたあの日の自分に今の状況を教えてやったら、愕然とする事だろう。
愛果の実家の近くで新居を選んだのも、両親の気持ちをおもんばかっての事だったが、義理の母はこの選択をかなり喜んでくれたようだ。
いまもしょっちゅう愛果を連れ出してはランチだ買い物だと母娘デートを満喫している。
結婚してから購買意欲が出て来たらしい愛果は、クローゼットに洋服を増やしてくれた。
”お出かけ用”と告げられたそれらの出番を用意するのが自分なのだと思うと、なおさら休日の楽しみも増えるというもの。
有難いことに給料は右肩上がりなので、妻がどれだけ購買意欲を燃やしてくれても構わない。
むしろ働き甲斐があるというものだ。
家にこもりがちで、塞ぎ込んでいた時期の愛果を誰よりも間近で見て来た彼女の両親は、愛娘の変化を心から喜んでいるようだった。
彼女の変化のきっかけが、他ならぬ自分であることが、この上なく誇らしい。
朝長が居ない昼間の時間帯に実家を訪れては母親とお昼を食べることも多いようで、楽しそうな母娘の様子を伝え聞く長谷は、やっと昔の幸せな時間を取り戻せたとホッとしているのだろう。
学校でも家庭でも、彼女が太陽のように眩しかったあの頃を。
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